カタリナとフランシスカ 〜チェスでつながる令嬢二名の日常〜

佐藤或都來

第1話 しんじつのあい、だってさ(ばっかじゃないの?)

 突然の王子の声に、煌びやかに着飾り夜会を楽しんでいた人々は動きを止める。そして、たった今声が発せられた方へと顔を向けた。


「カタリナ、貴方との婚約を破棄する!」


 見ると、もう暫く後に国王陛下が座すであろう玉座がある付近に、国の第二王子と側近予定の令息たち数人、そして王子の隣には大人しやかな令嬢が佇んでいた。


 確かあれは子爵令嬢のフランシスカ嬢だっただろうか、と目を向けた人々のうち数名が気付いた。また、陛下が来場される前に何をしているのかと怪訝な顔をしている者もやはり数名。それまでの華やかな場の空気が、人々の感情の変化により、じわりと異質なものへと変容していった。


 カタリナと呼ばれた、第二王子の婚約者として知られる侯爵令嬢は、声を上げた王子とその取り巻きがいる壇上に程近いフロア上におり、身体を強張らせて彼らを見上げている。人々はカタリナの背後から、今始まってしまったイベントを動きを止めて眺めている。



「私は真実の愛を見つけたのだ。このフランシスカと共にこの国を盛り立てて行くと決意した!」


 刹那、ヒソヒソと彼方此方から『真実の愛だそうだ』『真実の愛ですってよ』『真実じゃない愛ってあるのか』などと聞こえてくる。

 一瞬にして『真実の愛』一大ブームが会場内を駆け巡る。


 人々の中で、どうやら国外から訪れているらしい人物が隣にいる夫人と思われる女性に耳打ちした。

「『真実の愛』というのは最近流行っているのかい? 先日も他国の夜会で類似した場面を見たのだが」

 夫人は慌てて、自身の唇の前に人差し指を立てて牽制している。「しっ! 貴方! お声が大きいですわ!」と唇が動いたようだ。



「……真実の愛……でございますか……?」


 と、王子に見下ろされている令嬢カタリナは呆けたような声を発した。背後からしか察することができないが、恐らく周囲の人々と同様に怪訝な表情でいるのであろう声色である。今目の前で起こっていることに理解が追いつかない様子だ。



 会場の、そんなただならぬ状況の中、とある令嬢は思った。


(やだ。ちょっと聞いた? 真実の愛だってぇ! 助けて! 腹筋がっ……くぅぅ〜)


(イヤもう、ばっっっかじゃないの?)


(っていうか、陛下がいらっしゃる前に壇から降りたほうがいいんじゃないのこれ)


 人々もその令嬢と同様の事を考えていた。玉座が用意されている壇上を国王陛下が来場する前に利用(?)するなど、「王子といえども不敬なのでは……」と。とは言え、本人に直接伝える勇気ある者は居らず、誰もが見守るのみだったのだが。


「そうだ。貴方との愛のない政略結婚など間違っている! 王族といえども真実の愛に基づいた婚姻により民衆の支持を得て国の運営に携わるべきだ! それに聞いたところによると其方はフランシスカと不仲であり、嫌がらせをしていたそうじゃないか。そのような者と愛を育むことなど、そもそも私にはできない!」


 王子を囲むようにしている令息たちがそうだそうだと頷き合う。


 とある令嬢は思った。


(え、友達同士なのに嫌がらせ? そんなわけないじゃん?)


(そもそも嫌がらせって何? 聞いたことないんだけど)


(ホントこの人たちあったま悪そう。ウケるどうしよう。鼻膨らんじゃう!)


 人々の中でも、王子の発言に対して疑問を抱き首を傾げている者がちらほら見られた。彼らもこの令嬢と同様、王子の隣にいるフランシスカと目の前にいるカタリナが友人同士である事を認識しているのであろう。



 この国ではここ数年チェスが大流行している。外国からもたらされた娯楽なのだが、今では国の貴族を中心に知識層の嗜みとして持て囃されているのだ。自然、かなり大規模な大会まで設営され、毎年の行事となっている。


 そしてその大会での有名人がこの二人、カタリナとフランシスカだ。大会の若年女子部門での優勝争いでこの二人の戦いは最早風物詩となっており、その華やか且つ鮮やかな心理戦だけを見に来る者がいるほどと言う。

 大会では選手登録をした者のみ参加出来るのだが、この登録については爵位の記載欄がない。氏名、年齢、性別のみが登録される。貴族、平民の区別が一切無いのが特徴である。大会内では皆平等という考えの元、運営がされているのだ。


 つまり、チェスを嗜む人々の間では二人は好敵手ライバル同士として有名であり、国一番の人気者なのである。

 但し、普段の生活の中では身分差があるため、お互いに懇意にしている様子は意識的に見せていないようだった。また、二人をチェスの名手として認識している人々も表立ってファン的な行動を行わない。それは無粋なことであるとして忌み嫌われているのだ。密やかにファンとして応援し見守る、生活を犯さない、と言うのがルールと考えられている。


 カタリナ嬢がフランシスカ嬢に嫌がらせを……? と首を傾げている者はチェスを嗜む者なのだろう。彼らにとっては二人はセットで憧れのアイドルとも言える。その為、彼らは「ありえない」と湧き上がった疑問を周囲にこっそりと伝え始めている。

 また、王子と側近候補という立場でありながら、その内の誰もチェスを嗜まないと言うことはまだしも、国民について些かも関心を持っていない様子であるというのは如何なものであろうか、と人々は考えていた。国民の間で流行し大きな大会が催されている、そのスター選手たちを知らないなどという事が、王族とそれに類するものとしてあって良いのだろうか、と。

 そしてそれら諸々を鑑みて、人々は思ったのである。



 この王子が王太子じゃなくて、本当に、良かったァァァ!!! と。



(ほんっとこいつらが王太子とその取り巻きじゃなくて良かったわ。このガッカリ王子とその一味ったら……)


 件の令嬢も、心の中で人々と同様の思いを浮かべた。うっかり口から出そうになり、瞬時に唇を引き締める。


 そして訝しく思いながら見れば、側近の子息たちがニヤリと目配せしている様子が目に入る。


(こいつら……確信犯か?)


 子息たちが「してやったり」とばかりにニヤニヤとカタリナを嘲笑している様子は人々も確認していた。そして内、数人は考えた。『何故、このような事が起こっているのだろう』、と。

 思い当たるのはひとつ。側近候補の令息たちとカタリナは国内での派閥が異なるのである。カタリナは成績も優秀、利発な令嬢と誉高い。「自分たちの思い通りに動く人物ではない」と判断したのかもしれない。ちなみにフランシスカはいずれの立場でもない中立。しかも子爵と爵位も高くない。なので、彼らは彼女フランシスカならば自分たちの傀儡にできそうだと判断し、利用することにしたのではないだろうか。


 また、他方で更に数人が気づいた事がある。

 先程から何ら言葉を発する事なく笑顔を貼り付けている令嬢、フランシスカが、微妙ぅ〜に少ぉしずつ、王子から距離を取ろうとしているようなのだ。1秒につきほんの数ミリ程度と見られるのだが、確かに王子がフランシスカの腰に回している手が、少ぉしずつ位置を遠く変えている。気付いた奴グッジョブ! と人々は微笑した。そして心の中で応援する。『頑張れフランシスカ嬢!』『逃げろフランシスカ嬢!」と。


 フランシスカは相変わらず、笑顔を少しも崩さずカタリナへ顔を向けているのだが、その表情からどんな感情でいるのかは全く読むことが出来なかった。中々に肝の座った令嬢のようだと人々は内心称賛した。

 その賞賛を感じたチェス民は『そうだそうだ』『フランシスカ嬢は素晴らしいのだ』と何故だか誇らしげにうっとりと彼女を見ている。

 カタリナの表情はもちろん察することができない。しつこいようだが人々は皆彼女の背後にいるからだ。


 フランシスカが王子から距離を取ろうとしていることに気づいた人々が、また或いは側近候補たちの思惑を察した人々が、自分のパートナーや周囲にそのことをコソコソと告げる。告げられた人物がまた別の人物に告げる……そして瞬く間に会場内の殆どの人々が状況を察するに至り、一丸となって『面白くなって参りました!』と密かに心を躍らせることになった。不敬であるとかは最早どうでも良い。



「殿下との婚約は王家からのお申し出ということ、殿下はご存知ですわよね。陛下はこの事はご承知なのですか? ご了承は頂いているのですか?」


 カタリナが問う。すると、


「父上にはまだ話はしていない。だが、話をすれば了承頂ける筈だ」


 と、王子は自信ありげに答える。


 人々は皆半眼になりつつ思った。何故、先に話をして許可を得ないのかと。無能なのかと。そして何の自信なのかと。


 カタリナはもう何を言っても無駄だと悟ったのか、王子の返答を聞いた後、スッキリとした声色で言った。


「結構ですわ。国王陛下が納得されるのならば、婚約は解消致しましょう。ですが、わたくしが大切な友人に良くない行いをしているなどと言うことは全く身に覚えがなく、濡れ衣ですわ。そちらはわたくしの名誉のために訂正してくださいませ」


 王子は驚愕した表情で言った。


「えっ! 君たちは友人同士なのか!?」


 カタリナが頷くのを眺めつつ、人々は思った。『ホントに知らなかったのかよ』、と。


 見ると王子は近くの側近候補たちに確かめるように視線を彷徨わせる。令息たちは互いに確認を求め合っている。結果、彼らも誰一人として全く知らなかったようだ……。いつも自分たちだけで固まっていて、交際範囲も視野も狭い(側近として使えない)と言う事が決定的になった瞬間であった。



「ところでひとつ伺いたいのですが……殿下は『真実の愛』と仰いますが、フランシスカ様は殿下に対してその『真実の愛』をお持ちなのでしょうか?」


 人々は『そうそう! そこだよ!』とばかりに少し前のめりになる。と同時に、カタリナの語りかけ様がうっすらと皮肉めいた声色であることを察し、彼女の背しか確認できないことに少々落胆した。どんな表情でその言葉を発しているのかを見たいと、野次馬根性が頭をもたげたのである。


 王子は鼻息荒く即答した。


「当たり前だろう。そこは些かも疑う余地はない」


 と、王子は令息たちにも確認するように目配せしながら宣った。


 人々は皆一斉に、



『なっ、なんですってーっ!!!!!』



 と仰け反り、瞠目した。


 嘘だろ、おい、現実を見ろ。きみ、距離を置かれてるだろうが!!! と、うっかり言葉に出してしまいそうな人々は、心の中で悶絶を抑え込み顔を紅潮させている。


 そして、更に、人々は見逃さなかった。

 王子の発言のすぐ後に、ここまで笑顔を一切崩さなかったフランシスカがほんの一瞬顔を顰めたのを。身体をぶるりと震えさせたのを。

 因みに王子の答えを聞いた後、カタリナが途轍もない速さでさっと扇を開き口元を隠したのは、数人が確認している。



(……ねえ、頭おかしいの?)


(何思い込んじゃってんの? カタリナ笑ってんじゃん)


(っていうか、腰に置かれたお前の手がムニムニムニムニムニムニ動いてめっっちゃ気色悪いわ! この変態が!!)


(ああああもう、我慢できないいィィィ!!!)



 人々の中の誰かが、「……あっ」と小さな声を上げた。


 同時に王子の隣にいた令嬢、フランシスカが、多少の手加減は加えながらも振り払うように王子から距離を取り、叫んだ。




「……っ、わたくしのっ、ほうにはっ、『真実の愛』なるものはっ、


 ご  ざ  い  ま  せんっ !!」



 

 会場はしんと静まり返った。

 たった今高らかに声を上げた令嬢の、興奮した名残のフーフーという呼気だけが会場内に響いている。


 そして、哀れ、王子は表情をなくし、何が起こったのかわからない生気無さげな様子でそこにいる。つい先程まで尊大な様子だった側近候補の令息たちは、ただただ青ざめている。


 観衆たちは突然の空気の変わりように瞠目しつつも「さもありなん」「知ってた」と言わんばかりの様子だ。


 その後すぐに国王夫妻と王太子が微妙な表情で入場し、人々の目がそちらに移ったのを見計らい、騒ぎを起こした王子は騎士たちに引き摺られるように会場の外に出された。おろおろと慌てて追いかける側近候補たちと共に。

 会場内の人々から降り注がれる憐れむような視線に、彼らが気づいていたかどうかはわからない。


(腰巾着たちめ、失脚しろ)


 令嬢は去り行く彼らの背中を生暖かく見つめながら、舌打ちせんばかりに毒付いていた。





 数日後。


 第二王子は王族でありながら民に恥を晒した無能とされ廃嫡。元取り巻きたちは出世の道を断たれた。って言うか、それぞれの親から無能の烙印を押された。いずれもそれぞれの屋敷の奥で静かに謹慎しているらしい。

 正しい判断が下され、この国も安泰だとあの会場内にいた人々は胸を撫で下ろした。と同時に、『真実の愛』はもういい、なんなら暫くその言葉は聞きたくないと思ったのだった。




(って言うか、巻き込むんじゃねーよ)


 と、あの日あの婚約破棄イベントを起こす直前に王子に手招きされ、断れず渋々向かったらいきなり断罪劇に強制参加させられた令嬢、フランシスカは今日も心の中で毒付く。


 以前より王子はフランシスカが一人でいる時を見計らってしつこく話しかけてくるので、迷惑だとは感じていた。とは言え友人の婚約者だからと控えめに接していたのだが、そこが好ましいと思われてしまったようだ。また、取り巻きたちも都合の良いようにけしかけていたらしい。全くもって腹立たしいことこの上ない。そんなことでのぼせ上がるなんて頭弱すぎだっつーの。


 近くにいた侍女に「お嬢さま、お言葉」と静かに嗜められた。どうやら心の声が漏れ出ていたようだ。


 あの時はうっかり声に出さずに済んで良かったな、とフランシスカは目の前のクッキーを口元に運ぶ。


 友人のカタリナは別のもう少しまともな王族との婚約が結び直され、その側近も周辺の派閥から選ばれたことで立場が安泰となり、密かに感謝された。このクッキーは先日彼女が訪れた時に手土産に持参した有名パティシエによるもので、朝イチで店に並ばないと入手不可能と聞く。


 彼女からはもう一つ、美しい扇が贈られた。そして「これがあればうっかり唇が動いてしまっても隠すことができましてよ」と微笑まれた。

 そうだね、カタリナ。あの時笑ってるの隠してたもんね。わたくしも今度使ってみるわ。おほほ。


 フランシスカは口中の甘美なものを堪能し、ああ、今日も平和だわとふんわり微笑むのであった。



おわり。

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