幼気な瞳

 待ちに待った体育祭はそこまで迫っている。

 僕たちができることは日に日に減っていて、あとは本番を迎えるだけになっているのは日常の忙しさからも垣間見ることができた。

「とりあえず次の体育、俺はリレーの練習あるしそっちも頑張れよ」

 人志は足が速い。リレーのメンバーになったらしく授業とは言っても僕とは別の場所で練習らしい。って、他人の心配をしている場合じゃなかった。僕が一番頑張らないといけないのには変わらない。

 天気は生憎な模様だけど、練習するにはこれくらいの気候の方がちょうど良かったりする。何度も走りこんでいるうちに額には汗が滲んでいて、それをタオルで拭いながら水分補給を済ませると他のクラスの練習も見えた。

 この日は本番まで一週間も切ったということもあっていつもは中と外で別れている授業も全クラス外でやっているのでなんだか賑わっているように感じた。

「あ、小此木先輩」

 さすがに連続して何本も走るのは身体に応えるので石段に座って他の生徒の走りを眺めていると隣に知っている顔が座ってきた。

「調子はどう?」

「まぁ、それなりにですよ。発破かけたのは僕の方なんで後悔はしてないです」

「そっか、でもどうなんだろうね」

 静かに彼女は曇天を覗いた。今にも降り出しそうなのに降ろうとしないその雲は途切れる間もなく空を覆っている。

「彼女が、噂の三輪さん?」

 二人三脚の練習をしている彼女を指さして言った。先日の件のせいで脳裏に嫌なことを思い出してしまったが、今はそのことは置いておこう。

「そうですね。そういえば、最近は中々話もできていないですね」

 体育祭の実行委員が思った以上に忙しかったのは想定外だった。色々と考えと違った結果にはなったけど全体を通してみればたぶん順調なはず。彼女は作戦とかに意見をあまり出したことはないし、結果が彼の告白を阻止できるものだった良いみたいなものとして話を受け取ってことを進め居ていた。きっと今の流れも彼女は納得していると思う。

「そういえば聞いてなかったんだけど彼女はさ、向井くんのことは好きなの?」

「え?」

 あまり意図が分からない質問に僕は答えを詰まらせた。補足するように彼女は質問を重ねる。

「彼女はどうして君に彼の告白を阻止して欲しいなんてお願いをしたんだと思う?」

 その質問はさっきの質問の意味をさらによく分からなくした。いったい先輩は僕に何が聞きたいんだ。純粋な疑問を込めた彼女の質問に僕はついぞ答えることは適わなかった。

「ごめんね意地悪な質問みたいになって。ただ彼女は彼のことが好きなのにそんなこを言ったんだったらと思うと、少しだけ羨ましいなって思ったんだ」

 ふと隣を見ると初めて見せるような哀愁漂った表情に、僕は言葉をかけられなかった。同じクラスの生徒が遠くで呼んでいるのが聞こえると彼女は「まぁ考えてみてよ。じゃあまたね」と言って先に行ってしまう。

「……聞きに行こうか」

 色んな手を使って成功させようとしても、前提から綻びがあってしまうようならそれは意味がない。委員長が彼のことを好きならどうしてそんなことをするのか聞かないと、僕は味方をするのが彼女で良いと思えなくなってしまうような気がした。

 とはいっても今更こんなことを聞くのも憚られるので、どうしようかと思い悩まずにはいられない。とりあえず練習には戻ったけどその日のうちに聞くことができるほど器が大きいわけでもないので放課後、とりあえず僕は朱莉に相談した。

「小此木先輩の言う通りなんじゃないかな。そこははっきりしとかないと相手だってただただ告白を避けるために裏でこんなことされてたってばれたら絶対怒るよ。私だったら春くんが謝るまで校庭で引きずり回すかな」

 とりあえず関係ないけど金輪際朱莉の告白を阻止しようなんて絶対に考えないようにしとこう。手を若干強く握られたことに恐怖を感じながら自転車の鍵を外して一緒に校舎を出た。

「そんなに気になるなら私から聞いといてあげようか」

「いやそれは」

「だって直接聞くのが怖いんでしょ?」

 静かに頷くと分かったと言って携帯で委員長と連絡を取った。早速明日聞くことになったことを教えてくれると彼女はその勢いのまま押していた自転車の後部座席を叩いた。

「久しぶりに乗せてってよ」

「良いよ。家の前まで?」

「うん!ありがとう」

 荷物を受け取ると僕は彼女を乗せて走り出す。風が冷たくて肌を刺すようになってきた。乾いた汗が少し体を冷やすのを感じるけど気にせずに速度を上げる。夕焼けが写る川には陽光が、遠くにそびえるビル群は青白い光を照らす。

「もうすぐ体育祭だね」

「それなりに楽しみだ」

 家について朱莉と別れてから僕は自分の家の扉を叩く。体操服を洗濯機に入れてそのままシャワーを浴びつつ体を洗い流す。あがるとちょうど塾から帰ってきた妹と鉢合わせてそのまま一緒にリビングに向かってご飯を食べる。

 眠くなった体をそのままベッドで休ませようと自室に向かっていると携帯が振動した。こんな時間になんだろうと見ると相手は委員長。まだ朱莉と話をしてないから事情を聞いたわけじゃないだろうにどうしたのかな。

 電話を出ると彼女は特にいつもと違うなんてことはない。ただ声音が少しだけ硬い気がした。

「こんばんは。何かあったんですか」

「実は聞きたいことが一つだけあって。今大丈夫ですか?」

 僕はすぐに自分の部屋に入って鍵をかけると机のライトをつけて椅子に座る。

「うん。ちょうど今夜ご飯食べ終わったところなんだ」

「良かった……。告白の件について聞いておきたいことが一つだけあるんだけど、柳沢くんと亮くんが100メートル走で競うって話は本当?」

 そのことか。確かにまだ言ってなかったかもしれない。というよりすでにあの連絡グループは機能をほとんど果たしてないのが理由だ。

「そうだね。それは僕が勝手に約束しちゃったことだよ。ごめんまだ報告したなかったかも」

「そうだったんですね。これは確認なのでそこまで重要じゃなくて」

「じゃあ他に何か話があるの?」

「うん。私が亮くんのことをどう思ってるか気になるってさっき夜川さんに言われたの。だからはっきりさせておこうと思って」

 そこまではっきり書いて連絡したのかと朱莉の大胆さに驚きつつもその結果はもうすぐ知ることになる。

「私は彼のことは好きだよ。ただそれが友達としてなのか異性としてなのか分からないから、少しだけ待って欲しいと思ってお願いをしたの。こんな中途半端な気持ちでもきっと亮くんから告白なんてされたらOKしてしまう気がして、それであやふやなまま時間を過ごすのは嫌だから」

「……そっか。ありがとう」

 結局、小此木先輩が抱えていた心配は杞憂で終わったみたいで良かった。

「僕も全力を尽くして頑張るね。それじゃあまた明日」

「うん。ありがとう。また明日」

 電話を切ると、さっきまであった眠気が吹き飛んでしまった。

 ベッドに向かう気持ちがどこかにいってしまってしょうがなかったので着替えて玄関に向かう。母親に廊下ですれ違ってどこ行くのと言われたが練習とだけ一言残して外に出た。風はさっきよりも体感強くなっているけど、ゆっくりと町内を走る。

 本当に追い詰められないと頑張れない人間はいるけど、自分がその一人だと自覚したのはつい最近のこと。あと一週間だけでも本気で練習をしようと心に決めて、この真っ暗な住宅街を一時間くらい走り続けた。

 その日の夜はとてもぐっすり眠れたのは言うまでもない。

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