第八話 愚策

 それから半月が経ち、刃は神都での生活にも慣れてきた。刃が鷲見と契約してからというもの、殺し屋の襲撃は途絶えたという。

 昼食後の昼下がり、刃は景吉と共に領外の峠道を歩いていた。

 背後には武装をした家臣がぞろぞろと帯同している。漂う空気はどこか重く、死地へ赴くような表情の暗さだ。普段とは異なる状況に、刃は違和感を拭えない。

「……どこへ行く? 散歩にしては仰々しいな」

「…………」

 景吉は答えない。不審に思った刃は更に尋ねた。

「顔が険しいぞ、景吉。面構えが普段と違う。どこへ向かっておるのかは知らぬが、兵を二十名も連れていく理由は何だ?」

「……行けばわかることです。巻き込んでしまって申し訳ない」

「巻き込む? 一体何のことだ?」

 何を聞いてもお茶を濁すばかりで、景吉は真面に取り合わない。

 帯同する鷲見兵の表情にも不安が窺える。どうやら只事ではなさそうだ。

 修羅狩りは護衛のため、どこであろうと契約者に追従する必要がある。どうもおかしい状況ではあったが、刃は黙って景吉に従った。



 しばらくして、領地の境界となる扇状地に到着した。

 家臣が張った陣幕の中で、張り詰めた空気が場を満たしている。聞くところによると、なんとこれから隣国の《砂呉まなご》へ攻め入ろうというのだ。

 景吉の隣で、刃は腕を組んで呆れ返っていた。

「何もかもが急だのう……。殺し屋の雇用を勧めるわけではないが、このご時世にこうして領主が表に出てくるのは危険ではないのか?」

「そのための修羅狩り様でしょう? あなたがいれば、鷲見の敗北は有り得ない」

「そうではあるが……わしを用心棒か何かと勘違いしておらぬか? わしは侵攻には加担せぬ。契約者であるお主以外を護る義務はないのだぞ?」

「…………」

 景吉を見ると、着物の裾を握る手が震えている。

 切羽詰まった状況なのか、苦渋の決断をせざるを得なかったのか。いずれにしても、刃はこの選択が正しいとは思えなかった。

 すると景吉は、己を納得させるように心情を吐露した。

「神都はこのままでは滅びる……。こうするしかなかったのです!」

「早まるな、景吉! 民はこの侵攻を知っておるのか? 戦争など、和平から最も遠い行いだ! 民をなくして国は成り立たぬ!」

「農作物の凶作も続き、もう限界なのです! 領民もわかってくれるでしょう。領民への帰還報告は敵将の首だ!」

「他国を潰して何になる? 土地を奪っても怨恨の炎は消えぬ! それに、勝てる算段はあるのか? 砂呉は近場の殺し屋を囲い込み、隣国を瞬く間に蹂躙した国だ! なぜここに来るまでに……わしに相談をしなかったのだ!」


「うわああぁぁ!」


「――――!」

 陣幕の奥で、家臣の悲鳴が聞こえてきた。視線の先には、切断された腕が宙を舞うのが目に映る。刃は景吉を護るため、即座にはその場を動けない。

 悲鳴の出所を見据えると、下手人の姿を確認できた。甲冑を纏う七尺はあろう大男。その手には、持ち主の背丈よりも長い大太刀が握られている。

「景吉、わしの傍を離れるな。ただちに兵を引かせろ。あ奴はただの剣客ではない。名のある殺し屋だ。お主ら素人が束になろうとも、絶対に勝てぬ相手なのだ」

 刃の焦燥を他所よそに、景吉は妙に落ち着いていた。

「素人? 鷲見軍の兵を侮らないでいただきたい。全員が剣客として一流。殺し屋に後れを取るほど零落おちぶれてはいない!」

「お主、本気で言っておるのか……?」

 刃は唖然として反応に困った。鷲見軍の長たる男による、あまりに世間知らずな言動に。仕方なく刃は、優しく景吉を諭した。

「殺しを生業とする者にとって、兵卒など赤子も同然なのだ。このまま戦えば、ここにいる鷲見兵は奴一人に全滅させられる。それに刺客が奴だけとは限らぬ。契約外だが、被害を抑えるために奴はわしが討つ。景吉、ついてこい!」

「――え、それはどういう……」

 景吉の疑問に応じず疾走し、刃は刺客の前に立った。景吉もそれに追従する。

 身長が五尺に満たない刃から見て、対峙する男は山のように大きかった。

 髭を蓄えた無骨な面構え。頑丈な肉体を思わせる隆々たる筋骨。豊富な戦闘経験を物語る傷だらけの武具。見てくれだけで判断をすると小柄な少女が大男を斃せる道理はなさそうだが、目の前の男は刃に対しての警戒を緩めない。

 敵方の実力を正確に推し量ることは、戦場を生き延びるための重要な能力だ。

 刃が睨んだ通り、この男はただの雑魚ではないだろう。

「お主、名乗れ。誰に雇われた?」

「……………………」

 刃の問いに対し、大男は黙殺して答えない。表情の見えない面頬めんぽおの下で、大男は刃をじっと見据えている。

 あまりの間の長さに痺れを切らし、刃は返答を促した。

「早々に答えろ。さもなくば、即刻お主の首を飛ばす」

「……………………」

 大男は答えない。だが答えないならそれでいい。この問答にも意味はない。

 こんな愚物を相手にしているほど暇ではない。早々に終わらせ、鷲見軍を領地へと帰さなければならない。騒動の幕を引くべく、刃は殺意を漲らせた。

 すると大男は浮ついたように身体を震わせ、ようやく刃の問いに答えた。

「この圧迫感……やはり本物か。我輩は由良ゆら豪剣斎ごうけんさい。雇い主は言えぬ。修羅狩り――黒斬刃、手合わせを願おう!」

 やっと口を開いたかと思えば、刃は堂々と戦闘を申し込まれてしまった。男はシューシューと吐息が聞こえるほどに昂奮し、刃との邂逅を喜んでいるようだ。

 男の名を聞いて、周囲の鷲見兵がざわついていた。

 豪剣斎は、大手門を屋根ごと叩き斬ったという逸話を持つ有名な大剣豪である。

 由緒正しき剣客が殺し屋に堕ちたことを失望する声が鷲見兵から上がり、そんな凶手がこうして目の前に立っていることに一同が震え上がっている。既に鷲見軍は身内を手に掛けられており、豪剣斎が敵であることは疑いようもない事実だ。

 刃は構うことなく豪剣斎に尋ねる。

「目的は鷲見か?」

「そうだ! しかし、貴様を見たら腕を試したくなった。同胞の殺し屋は口を揃えて、『修羅狩りを見たら逃げろ』と言う。殺し屋を震撼させる修羅狩りの力量とは一体どれほどのものか! 我輩にも勝るのか!?」

「……わしの正体を知って尚も挑むのか。疾く終わらせるが、構わぬな?」

 目の前の男はただの戦闘狂だ。日輪の崩壊に影を落とす元凶だといっていい。

 刃は嘆声と共に脇差を抜き、眼前の大男に対峙した。

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