第七話 邂逅

 前領主との顔合わせとして、刃は景吉の父――鷲見佳光すみよしみつの元へと案内された。

 昨年までは佳光が将領として鷲見軍の指揮を執っていたが、彼は病によって引退したのだ。医者の見立てでは、緩解かんかいは厳しいという。

 城内を少し歩くと、佳光が住まう屋敷は中庭の一画にポツンと建っていた。六畳二間程度の広さが予想される平屋で、外観は廃屋のように酷く傷んでいる。

「ほう……これは……」

 屋敷の中は一般的な武家屋敷といった内装で、前領主の住まいにしては質素な印象だ。中には病床に臥す佳光と、看病をする小柄な従者の姿が見えた。

「むっ……?」

 よく見ると、佳光に付いている従者は刃の知る人物だった。後ろ姿だけでも見紛うはずがない。沸々と苦い記憶が蘇ってくる。気付かれる前に拘束してやろうかと刃が考えていると、従者とおぼしき少女がこちらへ振り向いた。

 あどけなさ醸し出す可憐な容姿は淑女を思わせる。茶色の髪は手入れが行き届いており、サラサラと毛先が肩を撫でている。幼い少女には似合わない紺色の忍装束を身に纏い、大きな青藍せいらんの瞳はキラキラと輝いている。

 両者はバチッと目が合ってしまい、状況を理解するために数秒の沈黙が流れていた。茶髪の少女は刃を見るなり、整った顔を歪ませて眉を顰めている。

「――げっ! 刃!?」

「おお、やはり詩音しおんか。お主、こんなところで何を遊んでおる?」

「ここで会ったが数年目、覚悟!」

 茶髪の少女は腰の小太刀を抜き、刃に向けて得物を振り翳してきた。幼い風采に似合わず、その動きは達人の域。正確に急所を狙う抜き身が刃に襲い掛かった。

 しかし刃は焦らない。この襲撃は予見していたことなのだ。

 呆れた刃は腰の脇差にも手を掛けず、指の腹で少女の斬撃を逸らせた。そうして体勢を崩した少女の首を掴み、そのまま壁に向かって叩き付けた。

「――けほっ、は、離して……」

 茶髪の少女は息ができず、刃の手を外そうと藻掻いている。

「詩音よ。わしにお主の妖術は通じぬ。従者を偽ることはやめて立ち去れ」

 少女の拘束に成功したところで、背後から景吉が慌てて止めに入った。

「刃様、何をなさるのですか! その方は修羅狩り様ですよ!」

「……え?」

 狐につままれたように思考が止まった刃は、少女の首を絞める手を解放した。

 茶髪の少女は腰を下ろし、絞められた首を押さえて息を乱している。

 少しして少女は息を整え、刃を見上げて声を尖らせた。

「いきなり首を絞めるなんて! こんな野蛮な奴を雇う気が知れませんわ!」

「先に斬り掛かってきたのはお主だ。修羅狩りなんて……一体どういう風の吹き回しだ? 嘘吐きは殺し屋の始まりだぞ?」

 口喧嘩をする二人の後ろから、景吉が不思議そうに尋ねてきた。

「御二方、お知り合いですか?」

「まぁ、知り合いといえば知り合いだな。こ奴の過去は詮索しないでやってくれ」

「わたしも今は真っ当に修羅狩りをやっているのです! もう、あの時のわたしではないのです! 馬鹿にしないでください!」

 茶髪の少女は憤怒を撒き散らせ、かしましいことこの上ない。

 しかし刃は、この少女を揶揄うことが楽しくなっていた。

「こんな子どもに修羅狩りが務まるのか? 景吉、考え直したほうがよいぞ」

「あなたが言いますか!? 刃も似たような年齢でしょう!?」

 それからしばらく口争が続き、痺れを切らした景吉に怒られてしまった。

 少女の名は――神楽詩音かぐらしおん。齢十四歳。刃とは浅からぬ縁がある。



 騒がしい詩音をたしなめて、刃は病床の佳光に向き合った。

 佳光は身体が痩せ細り、もう十全には動けないことだろう。

 すると佳光の目が薄っすらと開き、刃の姿を瞳に映していた。

「黒斬殿、有力な修羅狩り様とお会いできて光栄です。景吉を頼みます。斜陽にある鷲見を護ってください……ゴホッ」

「ああ、わしに任せされよ。わしがいれば、殺し屋が神都に及ぶことはない」

 咳嗽がいそうを聞いた詩音は、佳光の身体を起こして水を飲ませていた。佳光をそっと寝かせ、額の手拭いを入れ替えている。

 一連の動作は迷うことなく滑らかで、かなり手慣れている様子だ。

「神楽殿、いつもありがとう」

「いえ、わたしの仕事ですから。どうかご自愛ください」

 修羅狩りの仕事は、殺し屋の凶刃から契約者を護ることである。こうして病人の看病をすることは契約外の行為であり、奉仕に他ならない。

 詩音が単に優しいのか、もしくは何か裏があるのかと刃は推し量っていた。

 ――すると若い侍女が入室し、遅めの昼食が運ばれてきた。

「失礼します。佳光様と神楽様に昼餉ひるげをお持ちしました」

 詩音は佳光に付きっきりのため、いつも少し遅れて食事を取っているようだ。

「ありがとうございます。こちらへ持ってきてください」

 詩音も腹を空かせているだろうに、構うことなく先に佳光に昼食を食べさせている。これでは、まるで介護士だ。

「詩音、何を企んでおる? 修羅狩りの本分を逸脱しておらぬか?」

 詩音は佳光の介助をしながら、刃の問いに答えた。

「契約者を護るために、あらゆる懸念を排除しておきたいのです。どこに間者が紛れているかわかりませんから。目を離した隙に契約者が殺されました――では、修羅狩りの名折れです」

 詩音が何か調略を練っているというなら、暴いてやろうと刃は思っていた。

 だが返ってきた答えは理に適っており、刃は言葉を詰まらせていた。

「……そうか。よく考えての行動だったのだな。侍女すらも信用しないとは恐れ入った。わしも見習わなければならんのう」

「もう、あの時のわたしではないのです。見縊らないでください」

 刃は同じ修羅狩りとして、詩音の仕事への姿勢に感銘を受けていた。

 修羅狩りとは常に意識を高くしておかなければならないが、こうして他人に尽くすという行為はなかなかできることではない。

 ――倒幕してすぐの頃は、修羅狩りの名を騙る殺し屋が大量に湧いた。

 しかし時代は流れ、そういった奸物は淘汰されていった。殺し屋から忌避される存在として、護衛に従事できる者のみが現在も生き残っている。実力と真情に信頼がなければ、修羅狩りを生業にはできない。

 詩音もまた、こうして修羅狩りとして契約に至っている。外敵を退けられる確かな力と義侠心ぎきょうしんを買われ、この厳しい世相の中で信用を勝ち取ったのだ。

 それにこんな危険な稼業に身を投じるなど、金儲けが目的では到底考えられない。

 彼女も刃と同様の信念を胸に抱いて、日々の業務に勤しんでいることだろう。

 同僚とも呼べる存在が頑張っている姿は、刃の心にも活力を与えていた。

「失敬した。お主も頑張っておるのだな」

 詩音の仕事への意気に感心したまま、刃は彼女の仕事振りを眺めていた。

 ふと見ると、詩音の前に運ばれた茶碗に山のような御飯が盛られていることに気が付いた。その小さな身体のどこに入るのかと疑いたくなるほどの量である。

「……景吉よ。神都の存続が危ういのは、こ奴の食欲が原因ではないのか?」

 景吉にしか聞こえない声量で耳打ちをしたが、耳聡い詩音は聞き逃さなかった。

「――そんなわけがないでしょう!」

 詩音から後ろ回し蹴りが飛んできたが、刃はさっと半歩で躱した。

 プリプリと怒る詩音を尻目に、刃は逃げるように屋敷を後にした。

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