第五章 帰郷

 朱穂で一時の休息を取った後、一同は佐越へと急行していた。

 領地に潜入するという異質な殺し屋の所業により、近郊の一帯は火の海に沈んでいる。佐越を訪れたのは、刃の生まれ故郷の確認と、もう一つの目的があった。

「わしが帰ったぞ! 者ども、平伏ひれふせい!」

「わぁ! 刃お姉ちゃんと、雫玖お姉ちゃんだー!」

 扉を開けると、大勢の子どもが刃と雫玖の下へ駆け寄ってきた。

 ここは佐越孤児院。城下町の一画に位置する、刃と雫玖が育った場所である。

 二人は子どもの扱いには慣れているようだ。あっという間に取り囲まれ、服をぐいぐいと掴まれている。子ども達の姿を見て、詩音は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「百人近くいますね。こんなに戦災孤児がいるなんて……。師匠と先輩は、この孤児院に修羅狩りで得た報酬の全てを送っていたのですね」

「はい。親を亡くす子どもは増える一方です。こうして子ども達が生きていられるのは、刃さんと雫玖さんのご支援のお陰なのです」

 詩音の隣に立つエプロンを着た女性が、子どもを撫でながら答えた。

 彼女の名は埜寺京子のでらきょうこ。孤児院の院長であり、彼女自身もここで育ったという。鷹揚で優しそうだが、子ども達の教育には厳しいらしい。

 この世柄で孤児院を運営することは容易ではない。なんと孤児院の運営は、刃と雫玖からの支援で成り立っているという。刃に貯金がない理由に納得し、詩音は尊敬の眼差しで二人の先輩を眺めていた。

 すると刃は、部屋の端に座る男児の前で身体を屈めていた。刃が男の子を迎える表情は、いつにも増して優しい目をしている。

「……剣斗けんと、元気にしておったか?」

「姉上……」

 呼び掛けに応じ、男の子は刃に抱き付いた。刃は男の子を強く抱擁し、髪を手櫛で梳いている。その手付きは慈しむように丁寧だった。

 男の子は刃と同じく、艶やかな黒髪と深紅の瞳を持っている。刃と瓜二つである男の子の顔を見て、詩音は目を丸くしていた。

「……その子、師匠に似ている気がしますね」

「それは当然だ。紹介しよう。この子はわしの弟だ。名は剣斗。もう八歳になる。大人しい子だが、きっと立派な男になるぞ!」

「弟ちゃんですか! 可愛いですね! 師匠にそっくりです!」

 人見知りなのか背後に隠れる剣斗を、刃は自慢げに詩音の前に差し出した。

「ほら剣斗、挨拶だ」

「……よ、よろしく……お、お願いします……」

 拙いながらに挨拶を並べ、剣斗は堅苦しく頭を下げた。

 刃とは違って寡黙な子なのだろう。初対面を相手に頑張る少年の姿は可愛らしく、詩音は剣斗の両脇に手を入れてグイっと抱き上げた。

 頭を撫でられた剣斗は、詩音の腕の中で照れ臭そうに微笑んでいる。

「わたしは神楽詩音といいます。あなたのお姉さんの一番弟子ですよ! 気軽に詩音と呼んでください!」

「……はい。…………詩音……さん……」

 流石に呼び捨ては恥ずかしいのか、剣斗は遅れて敬称を付け加えた。

 刃は詩音から弟を奪い返し、弟子の挨拶に一言意見を述べた。

「一番弟子とは……。詩音、弟子はお主しかおらぬだろうが……」

「別にいいじゃないですか! 間違いではありませんよ!」

 昨日までの激動の日々を思い返すと、詩音の心は晴れやかだった。

 修羅狩りとして従事し、幾多の戦闘を経験し、落ち着いて笑っていられる暇などほとんどなかった。修羅狩りの悲願のためにも早々に契約して職務に就かなければならないが、こうしてゆっくり過ごす時間が詩音は好きだった。

 しかし、ずっとゆっくりしてはいられない。朱穂の殺し屋は日輪を蝕み、その魔の手はひっそりと全土に広がっているのだ。佐越とて例外ではないだろう。これは束の間の休暇であり、戦いの時はすぐそこまで迫っている。

 それに、ゆっくりしたいのは自分だけではない。誰もがそうであり、何よりも子ども達が無事に成長できる世にしなければならない。

 楽しそうに遊ぶ子ども達を見て、詩音は自分と照らし合わせていた。このような孤児院に入ることができれば、詩音は殺しに手を染めることもなかっただろう。

 刃は刀乃から、「世の仕組みを変えるのはいつだ」と詰問されていた。返す言葉もない様子の刃だったが、既にできる限りの手は打っていたのだ。

 刃は一国を命懸けで護ると同時に、報酬を故郷の孤児院へ送金していた。これ以上、一人の人間に何ができようか。それでも刃は実績を披露するでもなく、恩を着せるでもなく、ただただ沈黙を貫いていた。

 修羅狩り稼業は、その難易度も相俟って人材不足が著しい。それは、刃が戦闘中に殺し屋の頭領を勧誘していたことからも明らかだ。

 刃にとってだけでなく、修羅狩り全体にとって同胞の存在は光である。一人でも多くの実力者が和平への思想に共感し、修羅狩りの任に就かなければならない。殺し屋という闇に覆い尽くされてしまう前に、眩い光で日輪を照らさなければならない。各地を治める領主にも同様のことが言える。殺し屋を雇うことなく、修羅狩りを求めてくれなければ何も変わらない。そのためにも、修羅狩りの人員を増員していかなければならないのだ。

 そして臆病だった詩音は、殺し屋よりも危険な稼業に就いた。誰かに任せるのではなく、己の力で世を切り開きたかった。修羅の道に足を踏み入れたのは己の意志であり、この野望への炎が揺らぐことはない。

「子ども達の未来のためにも、誰もが剣を手放せる世界にしなければなりませんね! 師匠、先輩、一緒に頑張りましょうね!」

 珍しく同僚を鼓舞した詩音だったが、二人の先輩からは清々しい答えが返ってこない。刃は弟を撫でながら、決まりが悪い様子で呟いていた。

「まぁ、今のわしらは皆、野良だがのう……」

「うっ……確かにそうですね……」

 こうして佐越を訪れることができたのは、都合よく三人ともに依頼がないお陰である。だが素直に喜んでもいられない。修羅狩りの需要がなくなれば、それこそ世界は終わりなのだから。

「これまでは複数の依頼の中から一つを選ぶことが多かったが、こうも依頼がないのは久方振りだ。鳩鷹ども、よもや黒斬刃を忘れたと言うまいな……?」

 刃はあまりに依頼が来ないことで、冗談だろうが鳩鷹さえも疑い始めていた。

 雫玖も子ども達に引っ張られながら、野良である現状を憂えていた。

「そ、そうね。早く契約先を見つけないと……。子ども達の笑顔も見られなくなってしまうわね……」

「うぐっ……」

 雫玖の言葉が大きな鉾となり、刃の心に突き刺さった。それは今まさに、一番気掛かりだったことだ。だが佐越へは遊びに来たわけではない。

 刃は剣斗を降ろし、雫玖に目を向けた。目には気骨が漲っている。

「雫玖、今回は依頼を待つのではないぞ」

「……え? どういうこと?」

「佐越城へ行く。領主に献策し、佐越に紛れる殺し屋を駆除するのだ!」


    ◇


 佐越。

 秘境と呼ぶに相応しく、険峻な山岳に囲まれた谷間の要害。高低差の激しい天然の要塞は外敵の侵攻を阻み、攻め崩すのは万難を極める。

 更に修羅狩りの庇護の下で、佐越は四十五年間もの長期政権を維持している。倒幕以前から健在である国の中で、佐越は最古の社稷しゃしょくであるといえよう。

 佐越は日輪の最東端に位置している。城の裏手には、冥崖めいがい山脈と呼ばれる標高の高い山々が隔壁のように日輪を南北に横断している。

 まるで此岸と彼岸を隔てるように屹立した山脈は天を貫き、あまりの高度に尾根は雲で覆われ、稜線を拝むことは叶わない。

 山脈の向こう側は月輪げつりんと呼ばれ、足を踏み入れた者はいないという。



 刃と詩音は牢固たる城門を越え、佐越城の内部に案内されていた。

 雫玖は周囲の散策をすると二人に伝え、別行動を取ることとなった。

「あっさりと通してくれましたね」

「当然だ。修羅狩りとして名を知られれば、どこへでも顔が利く」

 しばらく曲輪を歩き、応接間へと案内された。城内は美しく、質素だが傷は見られなかった。佐越は長期間、殺し屋の襲撃を受けていないのだ。

 領主が来るまでの間、二人はお茶を啜って待機していた。

「師匠、先ほどの話は本当なのですか? 五年もの間、佐越が殺し屋からの襲撃を受けていないなんて……」

 刃は腕を組み、詩音の問いに対して目を閉じて頷いた。

磐座大地いわくらだいち。五年前、佐越に雇われた修羅狩りの名前だ。年齢はわしと同じく十六歳。殺し屋を忌み嫌い、容赦なく敵を惨殺する性質を持つ。わざわざ相手が苦しむ方法で狩りをするらしい。曝し首や拷問もお手の物だという話もある。修羅狩りの名を体現したような奴で、あらゆる勢力から恐れられておるのだ。佐越が平穏を保っていられるのは、大地の存在が全てであろうな」

「何だか、怖そうな人ですね……」

「馬鹿なだけだ。怖くはないぞ。恐ろしく強いがな」

 磐座大地のことを思い出し、刃は空想に耽っていた。大地の戦闘は、見る者によっては精神的苦痛を伴うほどに凄惨だ。戦場で暴れ狂う姿は、まさに獲物を狙う野獣。刃のように威嚇をするわけでなく、実力行使で敵に恐怖を刻み込むのだ。

 大地とは五年間会っていないが、その威名は刃の耳にも届いている。聞かずとも鳩鷹が文を送りつけてくるのだ。耳障りで仕方がない。

 ふと見ると、掌が手汗でぐっしょりと濡れていた。大地と再会することに対し、身体が無意識に反応を示している。刃が気にしていることは、落ち着いて話せるだろうかということだ。大地とは馬が合わず、殺し合いに近い喧嘩をしたものだ。昔は何かと因縁をつけられ、大地は喧嘩の理由を探しているかのようにもみえた。

 正直、大地に会うことはあまり気が進まない。大地が佐越に仕えているため仕方がないが、顔を突き合わせると何が起こるかわからないのだ。

 ――しばらく待ったが、領主はなかなか姿を現さない。

 時間を持て余した刃は、隣でちょこんと座る詩音に目を向けた。

「詩音、お主は殺し屋を殺める時に何か思うことはあるか?」

 詩音は顎を触り、じっくりと思考した。刃の問いの意図を詩音は理解していた。

「……わたしは、刀乃さんの考えに近いようです。殺し屋の存在は和平を遠ざけてしまいます。ですから容赦はしませんし、敵を殺すことに躊躇いはありません」

「そうか……こんなことで悩む、わしが少数派であったか……」

 神都や朱穂でも、詩音は数々の殺し屋を果断に屠ってきた。それは間違いではなく、実際に刃自身も助けられている。

 それでも刃の心の裡には、殺し屋を殺すことに対して制動を掛けてしまう自分がいた。殺し屋にも家族や恋人がいるかもしれない。死を悲しむ者がいるかもしれない。そう思うと、どうしても斟酌をしてしまうのだ。殺し屋を生かすことで、確実に苦しむ人がいる。頭ではわかっていても、刃は他人を殺めることを逡巡してしまうのだ。

 だがこれは、自身への欺瞞なのかもしれない。

 朱穂で雫玖は、大量の殺し屋を絶息させた。雫玖に殺しの許可を出したのは刃自身であり、劣勢を覆すために求めたことでもある。己の手を汚したくないのか、肉親を失ったことによる心的外傷か。刃自身にもわからず、思い倦ねていた。

 他人の皮膚に刃物を食い込ませることや、頭蓋に鈍器を振り下ろす行為には、それなりの才能がいることだ。殺し屋のように頭の螺子が外れた者にしか、そう易々とできることではない。刃は、なかなかそれができないでいた。戦いになると、身体が勝手に手を抜いてしまうのだ。

 しかし、この性質が業務に支障をきたすわけではない。かつて詩音が直面していた無意識の手加減とは異なり、刃は力の制御によって敵に後れを取ったことはない。強いて挙げれば、抑止としての力が有効に働かなかったことぐらいか。だがそれでも、襲い来る殺し屋は全て退けてきた。己の手法を貫くべきか、磐座大地のような恐怖政治を行使すべきか、刃はまだ答えが出ないのだった。

 すると沈黙を破るように、詩音から切り込んだ質問が投げ掛けられた。

「あの……師匠が人を殺さない主義は、どういった理由ですか?」

「………………」

 刃は少し間を置き、どう返そうかと悩んだ。

 戦闘で力加減をしてしまうことについては、詩音にやめさせたことでもあるのだ。修羅狩りの業務に弊害が生じていた詩音の事例とは異なるものだが、ありのままの返答では誤解を招き兼ねない。

 しかし考えが纏まらず、刃は思ったことをそのまま口にしていた。

「……人殺しは殺めた者のことなど何も考えぬ。だが誰しもが誰かにとって、きっとかけがえのない存在なのだ。人を殺めることは多くの人を悲しませてしまう。そう考えると、相手が悪人であろうとわしは躊躇してしまうことがあるのだ。他人の命を絶つという行為は、真っ当な人間の所業ではなかろう」

 刃の言葉を聞き、詩音は主旨を掴めずに眉を顰めた。

 詩音は襲い来る殺し屋を容赦なく殺してきた。刃の主張は殺し屋についての言及であるはずだが、詩音は自分のことを言われている気がしたのだ。

「え……? わ、わたしは……?」

「詩音は……まぁ、良い意味で常人とは言い難いのう。朱穂での働きは見事だった。お主はわしと違って、修羅狩りとして優秀そのものだ」

「えぇ……!?」

「ふっ、お主に偉そうに言っておきながら、わしもまだまだだのう。つまらぬことを聞いて悪かった。わしの悩み事は忘れて、お主はお主の信条を貫け。殺し屋殺しを否定しては護れるものも護れぬからのう。修羅狩りはもう誰の飼い犬でもなく、組織ですらないのだ。各々の信じる遣り方に従っておればよい」

「はい!」

 詩音は衝撃を受けたが、悪い気はしなかった。修羅狩りとして優秀だと言われたのだ。己の信条は間違いではないと、心で強く拳を握った。

 ――しばらくすると襖の戸が開き、中年の男が現れた。

「刃、久しぶりだね。息災でなによりだ。生きていてくれて安心したよ」

「わしを殺せる者などおるまい。お主も頗る元気そうだのう。士隆よ」

 男は刃と挨拶を交わし、座卓の向かいに腰を掛けた。

 佐越の領主――神代士隆くましろしりゅう。齢四十歳。

 領主には似合わない侍の袴を身に纏い、位の高さを感じさせない。彼もまた、地種の道明と同様に身を窶しているのだ。それでも隠し切れない年の功は威厳を放ち、着座への一連の所作は上品だった。真っ黒な髪と瞳、丁寧に揃えられた口髭が目立ち、その面構えは年齢よりも若々しく映る。

 領主を相手に知己のように振る舞う刃を見て、詩音は呆気に取られていた。

「師匠、お知り合いだったのですか?」

「ああ。士隆は、身寄りのないわしと雫玖を孤児院に入れてくれた恩人だ」

 刃と士隆は目を合わせて、ニコリと笑みを預け合った。

「八年前になるかな。刃も雫玖も、あの時はもっと小さかった」

「わしも、もう十六になる。あれから身体も大きくなっただろう?」

「そうだね、少し見ない内に大きくなった」

 士隆の目は慈愛に満ちている。刃もまた、珍しくいとけない笑顔だった。

「君のような子どもが、刀を置ける日が来ればいいが……」

 士隆は目を伏せていた。刃が戦いに身を置いていることを心配しているのだ。

 だが修羅狩り稼業は、刃が自ら選んだ道なのだ。その信念が色褪せることない。

「わしが戦う理由は、日輪の和平だ。殺し屋を駆逐し、世界に安寧を齎すために。戦災孤児をなくし、子ども達が安全に成長できる世を創るために」

 刃の瞳は淀みなく、毅然として士隆の双眸を見据えていた。士隆は刃の思想を理解している。刃の変わらぬ意志力を確かめ、士隆はニコリと微笑んだ。

「ああ、わかっている。それが修羅狩りの大義――だね?」

「そういうことだ。士隆、さっさと天下を獲れ」



 刃は、士隆に詩音の紹介をした。武勇伝を勝手に披露された詩音は、えらく照れていた。昔話にも花を咲かせ、士隆は刃の幼少期の思い出を詩音に共有した。

 会話が一区切りついたところで、刃は来城の要諦を士隆に持ち掛けた。

「士隆、本題だ。知っての通り、周囲の三国を含め、ここ一年間で近郊十二の国が地図から姿を消した。それも、修羅狩りとの契約が切れた翌日に。それらの国には、間違いなく殺し屋が領地に入り込んでおったと考えておる。佐越にも紛れておる可能性が高い。調べさせてくれぬか?」

 驚いた様子を見せた士隆だったが、納得したように首肯していた。

「そうだね。周辺諸国の訃報は耳に届いている。やはり、殺し屋が紛れている可能性は捨てきれないようだ。それでは――」

「――要らねぇよ」

 言下に何者かが口を挟んだ。

 声の発信源である床を見据えると畳が一枚捲れ上がり、床下から何者かが顔を出した。その人物は床へ上がると畳を元に戻し、ドスンと士隆の隣に座った。

 使い込まれた鈍色の装束、腰に佩く小太刀、熟達の忍を彷彿させる姿だ。殺意を撒き散らせる藤色の眼光は鋭く、殺し屋に近い気配を感じる。無造作に伸ばされた金色の髪を靡かせて、その者は刃を睨み付けている。

「……大地、久しいのう」

 大地と呼ばれる者の登場で、刃の心拍数が上がるのを詩音は感じ取った。残忍な性格の持ち主であるという、士隆が契約している修羅狩りだ。知人であるという刃の情報から仲が良いものかと考えていた詩音は、大地の返答に驚かされた。

「俺様がいれば佐越は安泰だ。刃、お前の出る幕はねぇよ。仕事がなくて困っているのか知らねぇが、探偵ごっこは他所でやってくれ」

 久闊を叙することもなく、大地は刃を冷酷に突き放した。大地の纏う雰囲気は情報通りだ。爆薬のように危険な香りが充満している。

 刃は毅然として反駁をする。大地の威圧に怯む様子はない。

「殺し屋が佐越に紛れておった場合、被害が及ぶのは城だけではない。周辺で暮らす民、それから孤児院をも危険に曝すこととなるのだ。修羅狩りは契約者に付く故、城内外の動向に目を向けることができぬ。わしは地種で、領主の調略にまんまと掛かってしまった……。大地、お主の実力を疑うのではない。修羅狩りとて人間。身体一つでは、護れるものも護れんのだ」

「俺様が士隆と契約している限り、殺し屋は姿を現さねぇよ。かつて現れた殺し屋には惨い殺し方をしてやったからなぁ。もし次に出てきやがったら同じ目に遭わせてやる。残念ながら、俺様の遣り方に穴はねぇよ」

 刃の述べた意見に対して、大地は取り合う姿勢を見せなかった。

 当然だが刃は引き下がらない。殺し屋を佐越の地でのさばらせておくわけにはいかない。そうして滅びた国を何度も見てきたのだから。

「何かがあってからでは遅いのだ。佐越は銀山を始め、豊富な資材を調達できる土地なのだ。佐越が堕ちれば、日輪は殺し屋に蹂躙されてしまうのだぞ!」

「俺様が佐越を護る。余所者は出ていきな!」

「相変わらず……頭が硬いのう……」

 刃は呆れて頭を抱えた。そして再び、狷介な大地に向き直った。

 刃の眼には殺意が入り混じり、不穏な空気が漂っている。

「仕方ない……」

「――――!」

 ――突然、刃は士隆に向かって脇差を突き付けた。

 殺気を感じ取った大地は、士隆との間に入って刃の斬撃を受け止めた。

 目にも止まらぬ攻防を繰り広げ、最後に二人は鍔で押し合った。

「刃、てめぇ……何の真似だ……?」

「大地、よくわしの殺意を感じ取ったな。腕は鈍っていないようだ。だが仮に、わしが領主を狙う殺し屋だったとしよう。お主は士隆を護り切れるつもりか?」

「へっ、やるなら構わねぇぜ? 表へ出ろよ。その自信を打ち砕いてやる」

 得物を納めた両者は立ち上がり、額を合わせて睨み合った。

 大地は常に殺意を漲らせ、今にも爆発しそうな危うさがある。日輪に於いて屈指の実力を誇る詩音でさえも、この場から逃げ出したくなるほどの殺意だ。殺し屋にとっては、佐越を攻め入る勇気など湧き出るはずがない。外敵の抑止にこんな方法もあるのかと、詩音は強制的に大地の脅威を理解させられた。

 止めに入ろうとした詩音だったが、二人の剣幕に気圧されて動けなかった。刃から発せられる殺意は、朱穂で詩音に向けられたものとは一線を画している。

 士隆はやれやれと肩を竦めて、両者を見守っている。

「自信ではない。確信だ。お主など、十秒もあれば事足りる」

「じゃあ、俺様は素手やってやるよ。死んでから言い訳しても遅ぇぞ?」

「馬鹿は死なねば治らぬようだのう。来世ではもう少し賢くなってこい」

「死ぬのはてめぇだ。六年越しの決着を、今ここで果たしてやる!」

 口撃が白熱し、猛る両者が互いの胸倉を掴んだ。腕には血管が浮き上がり、着物の襟がミシミシと悲鳴を上げている。二人とも繊手に似合わず、尋常ではない力が込められているのがわかる。

 目に見えぬ殺気がバチバチと火花を散らし、両者が同時に拳を振り上げた。

「――――!」

 二人とも拳を振り上げたが、その拳が振り下ろされることはなかった。

 突然洪水が部屋を襲い、二人を壁に打ち付けたのだ。水流に流された二人は、壁に打った頭を抱えて悶絶している。

「な、何だ!?」

「痛ぇ!」

 いつの間にか応接間入口の襖が開いており、雫玖が凛と立っていた。雫玖の水の妖術により、無理矢理に二人の暴走を止めたのだ。

「いい加減にしてよ! 刃ちゃんは喧嘩をしに来たの? 大ちゃんは馬鹿なの?」

 雫玖は柳眉を逆立てている。その様子を見て、刃と大地は萎縮している。

「……雫玖、すまぬ。まぁ全面的に、この馬鹿が悪い」

「お嬢、先に手を出したのは刃だぜ? 俺様は悪くねぇ」

「仲直りしないと、もう一発食らわすわよ?」

 応接間を襲った水流は、雫玖の制御により畳を浸すことはなかった。部屋を埋め尽くすほどの水量であったが、雫玖の掌に全ての水分が集束していく。

 慣れたことなのか、士隆は二人の喧嘩を楽しそうに眺めていた。

「君達が孤児院にいた時のことを思い出したよ。二人の喧嘩を止めるのは、いつも雫玖だったね。刃、大地、久々の再会だ。仲良くしなさい」

 びしょ濡れの二人の頭に、士隆は押入れから取り出した大きな手拭いを被せた。

「……すまぬ」

「……わかったよ」

 刃、雫玖、大地の三人にとって、士隆は育ての親に近いものがある。いつもは達観して立ち振る舞う刃だが、士隆の前では年相応の少女らしく従っていた。


    ◇


 刃と大地の諍いが落ち着いたところで、食事にしようと士隆が提案した。

 しばらく何も食べていなかった一同の中に異を唱える者はいなかった。相変わらず食べる量が多い修羅狩り一行。それを見越して大量の料理が運ばれてきた。 

「大ちゃん、行儀が悪いわよ。箸を正しく持ちなさい」

「うるせぇよ、お嬢。飯なんて口に入れば同じじゃねぇか……」

「何か言ったかしら?」

「……何でもねぇよ」

 大地は食べ方が汚い。あまりにも不作法で、雫玖は呆れて溜息をいていた。

「大ちゃん、せめて口を閉じて噛んだらどう?」

「……はいはい」

「雫玖、いつものことだ。僕も慣れてしまったよ」

 士隆は大地の行状を気にしていないようだ。五年間もこの調子で食事をしてきたのかと思うと、雫玖は幼馴染として汗顔の至りであった。

 刃は料理が気に入ったようで、留まることなく口に運んでいく。

「流石は佐越。故郷の味だのう!」

「刃、キャベツとレタスの区別はつくようになったのかよ」

「やかましい。似たようなものを、わざわざ区別する意味がわからぬ」

「全然似ていないだろうが……」

 何かと口論を始める二人を見て、詩音には笑みが零れていた。

「お二人は仲が良いのですね」

「どこがだ……詩音、こ奴には気を付けろ。絡むと面倒だ」

「わ、わかりました……」

 すると大地は、詩音をジロジロと睨め付けた。

 大地は喧嘩の標的を、刃から詩音に変えたようだ。

「んー? というか、こんなガキが修羅狩りなんてやってやがんのか? お前に務まるのかよ。向いてなさそうだからやめたほうがいいぜ」

 詩音を威圧する大地に対し、うんざりしたように刃が間に入った。

「……また始まったか。お主もガキだろうが。詩音は強い。わしのお墨付きだ」

 刃の助け舟に耳を貸さず、大地は詩音に詰問を続けた。

「お前、元殺し屋なんだってなぁ? お前が今も殺し屋ではないことを俺様はどうやって信じればいい? 腹の中では、いつ裏切るかを企んでいるんだろう?」

 居丈高な態度の大地から、詩音は疑いの目を向けられている。

 修羅狩りであることは刃に認められており、詩音の疑いは晴れたのだ。詩音は苛立ちが募っていた。他人に往事を掘り返されることは意に染まなかった。

「好き勝手を言わないでください! わたしは殺し屋から足を洗いました! 師匠に憧れて修羅狩りになったのですから!」

 詩音が言い返したことにより、大地は鬼の首を取ったかのように口角を吊り上げた。喧嘩を望むかのように詩音を睨み、ニタニタと笑みを浮かべている。

「鎌を掛けたが当たりだったか。お前からは血の匂いがしたんだよな。おいチビッ子、出ていけよ。殺し屋に食わせる飯はねぇ」

 詩音を虐める大地に呆れ、刃が痺れを切らせて口を挟んだ。

「……詩音、こ奴の相手をするな。偉そうなことを言っておるが、大地も元殺し屋だ。雫玖に半殺しにされて無理矢理に更生させられた奴だからのう。お主と同じ穴のむじななのだ。真面目に話を聞くだけ無駄だぞ」

 大地は過去を曝されて、口に含んでいたお茶を吹き出した。

「ば、馬鹿! 刃、それを言うんじゃねぇよ!」

「なるほど。雫玖先輩を『お嬢』と呼ぶのはそういう理由ですか……」

 大地の横柄な態度は目に余り、とうとう坐視していた士隆からお叱りを受けた。

「大地、詩音を揶揄うことはやめなさい。せっかく佐越の危機に駆け付けてくれたのだ。修羅狩り同士、いがみ合うことはないだろう?」

「へーい」

「よろしい」

 倨傲な大地も、領主である士隆には従っているようだ。士隆の場合は、領主というより親代わりだというのが大きいのかもしれない。

 士隆は隣に座る大地を優しく撫でている。大地は髪に触れられることに対して、気にも留めず食事を続けている。

 強暴な大地が大人しく撫でられる姿を詩音は不思議そうに凝視していた。大地の背丈は刃や雫玖とそう変わらない。それに口調は悪いが、大地の声は意外と澄んでいる。もし男であれば、声変わりをしていてもおかしくはない年齢である。

「…………」

「何だよ、チビッ子。見るなよ」

「あれ……? もしかして、大地さんは女の子ですか……?」

 詩音の言葉を聞いて、大地は箸をピタリと止めた。機嫌が悪そうに頭をポリポリと掻いている。呆れているようにも、怒っているようにもみえる。

 詩音は、大地の胸中を推し量ることができなかった。

「……見りゃわかるだろ。まさか俺様が男だと思っていたのか? どうみても女だろう。見る目がねぇぜ、チビッ子」

「そうだったのですか……。男の子だと思っていました……」

「うっ……」

 詩音の悪気のない返答は、大地の急所に刺さったようだ。あまり納得のいかない様子の詩音を見て、大地は悲しそうに俯いている。

 すると大地は、何かを大きな決意したように立ち上がった。詩音の手首をグイと掴み、その手を自身の胸元にグリグリと押し付けた。

「ほら、いい加減わかるだろう? 俺様は女だ。ほら!」

「…………」

「……ほら!」

「ごめんなさい……触ってもわからないです……」

「……そ、そうか」

 顔を歪ませる大地は、曇った表情のまま着席した。あれだけ騒がしかった大地だが、それからは黙々と食事を続けている。

「大地……お主、よくその胸の大きさで証明しようと思うたな……」

「……うるせぇよ。お前も大概じゃねぇかよ」

「ほう、やるのか? 絶壁少女」

「よぉし、俺様に喧嘩を売ったな? やろうぜ。今は暴れたい気分だ」

「食事中ぐらい、静かにしなさい!」

 再び掴み合いの喧嘩を始める二人を、雫玖の鉄拳が沈めた。



 食事を終えた一同は、数名の麾下の下で正式に契約を締結した。

「刃、雫玖、そして詩音。三名を佐越の修羅狩りとして雇い入れる。遊軍として、自由に動いてくれて構わない。佐越に潜む影の調査をお願いする」

「うむ、任された」

「お任せください!」

 詩音は仕事を任されたことを喜び、拳を握って飛び跳ねた。やっと修羅狩りとしての活動ができる。ようやく役に立てる。詩音の向上心は絶頂を迎えていた。

「何だか楽しそうだな。俺様もそっちがいい」

「じゃあ変わってあげるわよ。私が士隆さんに付くわ」

 羨ましそうにこちらを眺める大地を見て、雫玖が提案をした。

「いいのかよ、お嬢」

「いいわよ。ずっと士隆さんに付いていた大ちゃんには、外から佐越を見てもらったほうがいいと思うの」

「やったぜ! 士隆に付きっきりで飽いていたところだ!」

 領主の許諾も得ずに好き勝手を言う大地に対して、刃は嘆息した。

「勝手な……。遊びではないのだぞ。士隆、それでよいのか?」

「僕は構わないよ。雫玖、よろしく」

「ええ、任せて。修羅狩り――水姫雫玖、身命を賭して、領主の護衛を務めるわ」

 雫玖が領主に付いたことで、詩音は刃と大地の両名と行動を共にすることとなる。食事中に発生した大地との小競り合いを踏まえて不安が募る詩音だったが、それ以上に殺し屋の調査が待ち遠しかった。孤児院で子どもと触れ合ったことにより、詩音はより一層に佐越を護りたい気持ちが強くなっていた。


    ◇


 刃と詩音は、大地と共に領内を逍遥した。まずは領内の観光地を紹介され、大地から聞いてもいない蘊蓄を披露される。次に城下町を散策し、領民との交流を図った。最後に城内を見て回り、隠し通路などの情報を教えられた。一時的ではあるが、領主付きを離れたことで、大地は領地の散策を楽しんでいた。

「あ、刃さん! 大きくなられましたね!」

「うむ。もう大人だろう?」

 佐越に刃を知らぬ者はおらず、すれ違う者は漏れなく笑顔で話し掛けてきた。

 佐越の辺境で刃が居を構えていることは誰もが認知している。刃の存在が外敵の侵入を堰き止める一因となっていることも――。

 先ほど休憩した和菓子屋では、元神都の領主――鷲見景吉と出会っていた。神都での事変から立ち直り、佐越では穏やかに過ごしているようだ。刃と詩音は和菓子を奢られて、佐越での生活について話を聞いていた。元鷲見兵とは、今では対等に接しているらしい。皆が元気そうで何よりだ。

 人気者の刃とは相反して、大地を見た者は目を合わせることなくそそくさと姿を消した。何やら蛇蝎の如く避けられているようだ。

「……お主、嫌われておるのか?」

「さぁな。修羅狩りは、殺し屋専門の殺し屋みたいなものだ。恐れられて当然だろう。業務を遂行する上で、他人に好かれる必要はないね!」

「わしはどこへ行っても人気者だったが……。お主の場合は顔が怖いからではないか? もっと笑ってみせよ」

「うるせぇよ。修羅狩りっていうのは、恐怖の象徴でなくてはならないんだ」

 領地巡回の道中、詩音は大地の顔を矯めつ眇めつ眺めていた。

 大地は荒々しい素行とは裏腹に、端麗な美貌を持っている。悍馬のような少女だが、黙ってこそいれば佳人であるといっていい。中性的な容姿は精悍で、思わず見惚れてしまうほどだ。

 そうであるにも拘わらず、この嫌われようである。老人や子どもにまで避けられるとは、一体どのようにして外敵を屠ってきたのかと恐怖が募る詩音であった。

「チビッ子、何を見てんだ?」

「……何でもないです」

 大地の炯々とした眼光は物恐ろしく、詩音は彼女と友諠を育めるとは思えなかった。意識をこちらに向けられるだけで、勝手に身が硬直してしまうのだ。殺し屋であった彼女を更生させたという雫玖には、より一層驚かされるばかりだ。


    ◇


 大地による領地の案内が終わり、三人は天守閣の屋根の上で並んで座っていた。

 二人の峻厳な表情を詩音は気になって横目で見ていた。道中では二人とも平然を装いつつも、心は穏やかではなかったのだ。

「大地、事態は深刻だな……」

「ああ、とんでもねぇな……。刃、お前が来なければ気付けなかっただろう」

「二人とも、どうしたのですか?」

 珍しく刃が冷や汗を流し、顔を顰めている。

 大地も同様に、大きく生唾を飲み込んでいた。

「詩音、わからぬか? 紅蓮の言っていたことは正しかったのだ。既に佐越には、朱穂の殺し屋が入り込んでおる。上手く殺意を誤魔化しておるが、殺し屋特有の挙措で見抜くことはできる。なんと佐越の領民の一割近くが殺し屋の手先だ。これでは誰の領地かわからぬのう……」

「嘘……そんな……」

 詩音の聴覚は微かな心の機微をも見抜く。しかし、詩音でも殺し屋の動揺を感知できなかった。現在身を隠している殺し屋は完全に佐越に馴染んでいる。修羅狩りを目の当たりにしても、純真な領民を演じきれるほどまでに――。

 刃は朱穂を訪れたことで夾雑きょうざつの特徴を掴んでいた。以前までは見分けられなかった殺し屋を、今でははっきりと区別がつくようになっている。

「紛れるなんて数じゃねぇな。こんな場所に俺様はいたのか……。早く士隆に報告をしねぇと……」

 大地との修羅狩り契約が続く内に、殺し屋が正体を明かすことはないだろう。

 しかし領地に殺し屋が潜んでいるなど、どうあっても看過できないことだ。いつでも起爆ができる爆弾が、領地に散蒔ばらまかれている状況なのだ。

 刃は往時の行動を省みて、浅慮であったと悔やんだ。

 行き場を失った者を刃は佐越に連れて来ていた。その中には、殺し屋の間諜も紛れていたことだろうと刃は推測する。刃はまんまと殺し屋の陥穽に嵌められたのだ。どうして疑心を持たなかったのかと、刃は血が垂れるほどに拳を握った。



 三人が立ち上がろうとした時、背後から何者かの殺意を感じ取った。

 振り返ると、そこには朱穂で邂逅した修羅狩り――太刀川刀乃の姿があった。

 刀乃の佇まいに刃は不審に思った。刀乃は既に太刀を抜いているのだ。

「誰だ……? てめぇは?」

 刀乃の出現に対して、大地にも心当たりがないようだ。大地は既に臨戦態勢に入っており、威嚇をする虎のようにグルグルと喉を鳴らしている。

「刀乃……? どうしてここに?」

 刃の問いに反応を示さず、刀乃は間髪を入れずに斬り掛かってきた。

 目標は大地だ。突然の襲撃に驚かされつつも、大地はすかさず抜刀して斬撃を防いだ。大地による反撃の一太刀を刀乃は回避し、再び両者には距離が開いた。

 目的が読めないが、刀乃から滲み出る殺意は本物だった。

「刀乃さん、何をなさるのですか!?」

「刀乃……お主……」

 修羅狩りである刀乃から襲われる道理はないが、刃と詩音はある可能性を考えていた。それは、大地が元殺し屋だということだ。刀乃は、更生しようとも殺し屋には容赦をしない男だ。彼の思想を鑑みると、これしか考えられない。

 だが修羅狩りが修羅狩りを攻撃するなど、あっていいことではない。

 大地の心境が思い遣られる。外敵の侵入、更には攻撃まで受けたのだ。大地は問答無用で戦いに応じることだろう。このままでは戦争になり兼ねない。

「刀乃、よすのだ! 大地は佐越の修羅狩りだ。襲われる謂れはない!」

 大地が怒りに任せて暴れ出す前に、刃は刀乃を諭した。だが刀乃の放つ殺意は翳りを見せず、微塵も色褪せることがなかった。

「標的はそいつだけではないぞ、黒斬刃。お前と神楽詩音も同様だ。俺はこうして人質を取り、お前を無力化できる状況をじっと待っていたのだ」

「何……だと……?」

 刀乃の言葉を聞き、刃は思考を無理矢理に堰き止められた。状況が全く理解できない。詩音の過去も知られたというのだろうか。だとしても刃には何の心当たりもない。修羅狩りに命を狙われる理由など、何一つとして思い付かない。

 刃を押し退け、大地は殺意を漲らせて前へ出た。

「刃、どけよ。どこの誰だか知らねぇが、あいつは俺様にとっちゃ殺し屋も同然だ。俺様に挑む馬鹿がまだこの世にいやがったとはな。望み通りに殺してやるよ」

 剥き出しの殺意と共に、大地が足を踏み出した時だった――。

 大量の水が滝のように天から舞い降りた。刃、詩音、大地の三名は瀑布に曝され、屋根から強制的に突き落とされた。

「水……?」

 三人は受け身を取り、中庭の枯山水の砂利から刀乃を見上げた。屋根の上では、刀乃がこちらを鋭い目付きで見下ろしている。

 そして刀乃の背後から、狐の仮面を被った小柄な人影が姿を現した。

「――――!」

 現われた者の姿を見て戦慄した。狐の仮面など、韜晦となるはずがない。

 ここにいてはいけない者の登壇により、懸念は真実となってしまった。

 現在は士隆に付いているはずである――玲瓏たる水の戦姫。


 ――狐の仮面の少女は、紛れもなく雫玖だった。


「雫玖……?」

 震えた声が、自然と刃の喉から発せられる。雫玖の登場により、士隆を護る者はどこにもいない。雫玖は修羅狩りの職務を放棄したのだ。

「皆、ごめんね……これも修羅狩りの仕事なの……」

「先輩……? どういうことですか!?」

「お嬢……てめぇ、士隆はどうした?」

「士隆さんは生きているわ。あなた達が大人しく死んでくれたら生きて返すわね」

「雫玖、何を言っておるのだ!?」

 雫玖は軒樋に溜まった水を操り、刃に向かって矢のように飛ばした。

 刃は脇差を抜刀し、水の矢を撃ち落としに掛かる。しかし撃ち漏らし、一本の水矢を膝に受けてしまった。こうして手傷を負うこと自体があまりないことであり、刃は激しい痛みに顔を引き攣らせた。

「ぐっ!」

 音速を見切る刃にとって、水の矢を落とすことなど造作もないはずである。

 しかし雫玖の裏切りに動揺し、身体が鉛のように重かった。

「雫玖、お主……」

 精彩を欠く刃に対して、刀乃から核心に迫る言葉が投げ掛けられる。

「……残念だが、水姫雫玖はお前の友達ではない。黒斬刃の動向を監視するために差し向けられた密偵なのだ」

 刀乃は真剣な物言いだった。彼は冗談を言う男ではない。

 雫玖はその言葉を肯定するように、仮面の下でケラケラと笑っている。

「一体いつからだ!? 雫玖!」

「初めからよ」

 雫玖は被せるように冷たく言い放った。

 するとふわりと屋根から飛び、刀乃と雫玖は地上に降りてきた。

 そして着地と同時に地を蹴り、刀乃は詩音に向けて太刀を突き立てた。

「おい、チビッ子!」

 大地が詩音の間へ入り、刀乃の斬撃を上腕で受けた。

 鈍い音が鳴り響く。妖術により硬化した大地の身体に傷はない。

「ボケっとするな! 目を背けたくなる気持ちもわかるが、お前がそんな調子だと護れる者も護れねぇぞ! お前は修羅狩りだろうが!」

 刃、詩音、大地は佐越に雇われた修羅狩りなのだ。一時の動揺で瓦解するなどあってはならない。理解し難い状況だが、何よりも士隆の安否が最優先事項だ。

「ご、ごめんなさい!」

 詩音は我に返り、震える手で腰の小太刀を抜いた。

「チビッ子、援護をしろ! こうなった以上はお嬢を殺す!」

「先輩を……殺す……!?」

 雫玖の裏切りについて思料したが、詩音は現状を受け入れられなかった。つい先ほどまで、雫玖は共に会食の場にいたのだ。食事を楽しみ、刃と大地を戒め、共に笑い合っていた。その時の雫玖の心には、一切の乱れがなかったのだ。

 だが雫玖の攻撃には殺意が込められていた。冗談や戯れでは済まされない。雫玖の背信行為を受け入れ、彼女が謀叛人であると認めなければならない。

 刃と大地は抗おうと気炎を漲らせるが、刀乃は修羅狩りを有効に封じ込められる禁じ手を繰り出した。

「投降しろ。大人しく従えば、神代士隆は殺さない」

「……くっ!」

 殺意を振り撒いていた大地だったが、刀乃の下知に動きを止めた。

 領主を人質に取られている以上、不用意に手出しできない。刀乃と雫玖の真意を測ることはできないが、このまま戦うわけにはいかない。

「仕方がないのう。大地、詩音、武器を置け」

 大地と詩音に対して、刃は目配せをした。

「……いいのかよ、このまま従って」

「わしの言うことを聞け。士隆が捕まっておるのだ。迂闊には動けぬ」

「まったく……。信じるぜ、刃」

 刃、詩音、大地の三名はそれぞれ武器を投げ捨て、刀乃に従った。



 腕を縄で拘束されたまま、刃達は木の幹に縛り付けられていた。

 これは金属の繊維が混じる特殊な縄で、屈強な下手人に対して使われるものだ。力任せに引き千切れるものではない。詩音は音の妖術を使用するため、加えて口を縄で縛られている。

 刃は沈黙を続ける雫玖に対して、この大逆の意義を問い質した。

「せめて最期に話を聞かせろ。雫玖、これも修羅狩りの仕事――とはどういうことだ? わしらを殺すことと士隆の護衛を解いたこと。修羅狩りとはあまりにも真逆で、殺し屋の所業としか思えんがのう。この職務放棄をどう説明するのだ?」

「…………」

 雫玖は顔を伏せて答えない。そこに刀乃が遮って前へ出た。

「……いい、俺から説明をする。死にゆくお前達には意味のないことかもしれないが、俺達を殺し屋だと思ってもらっては困る。まずは認識を改めてもらおう。お前達は大きな思い違いをしている。修羅狩りのことを何一つわかっていない」

 刀乃の台詞は大地の逆鱗に触れ、縛る縄がギリギリと軋みを上げていた。

 大地は犬歯を剥き出しにし、力尽くで縄を解こうと躍起になっている。

「何だと? てめぇ……誰が修羅狩りをわかってねぇって? 俺様は五年間、この地を護ってきたんだぜ? つまらねぇことを言いやがって……。ぶち殺すぞ!」

「大地、黙れ。とりあえず聞くぞ。……では刀乃よ、修羅狩りについて教えてもらおうか。わしらの思い違いとは、一体何のことであるのかを……」

 逆上する大地を箝口させ、刃は刀乃に話を進めるよう促した。

 刀乃は殺し屋に寝返ったのではなく、あくまでこれは修羅狩りとしての行動であるという。詩音と大地が元殺し屋であることが要因でないなら、刀乃の行動理論を把握しなければならない。でなければ易々と殺されるわけにはいかない。

 刀乃は大地を忽略し、淡々と言葉を続けた。

「要人を護衛し、領地を脅かす者を排除する――お前達の行いは、日輪にとって重要なことだ。だがこれは後から加わった業務であり、修羅狩り本来の使命は他にある。修羅狩りとは、《妖魄ようはく》を抹殺するために作られた神都幕府の特務機関だ。天下人であった劉円様は代々、妖魄の排除に注力していた。倒幕以降、この役職は失われてしまったがな……」

「妖魄……?」

 刀乃は苦虫を噛み潰したように慄然としている。刀乃は幕府が健在であった頃から、これまで修羅狩りとして務めてあげてきたのだ。主君を失う絶望は、刃も共感できる。だが刃は彼の説明をよく理解できなかった。現在の修羅狩りの本質は幕府の頃とは異なっているという。刃は聞き慣れない言葉に眉を顰めていた。

 すると刀乃は、縛られた少女達に質問をした。

「一つ問う。お前達は人ならざる力――妖力をどうやって手に入れた? どうやって発動している?」

「…………!」

 少女達は刀乃の問いに即答できず、数秒の間が空いた。己に宿る妖力について、少女達は何も知らなかったのだ。なぜ自分が妖力を持って生まれてきたのかを。

 刃は縛られた手に力を込めた。すると、黒の妖気が刃の身体に渦を巻いていく。

「……どうして妖術が使えるのかはわからぬ。この能力は生まれ持ってのものだ」

 刃の回答に、詩音と大地も同感だった。

 念じれば使える便利な力、その程度の認識だった。

「全てを無に帰す黒の妖力。それは《禍月まがつき》の頂点に君臨する――《阿修羅あしゅら》と呼ばれる鬼神の能力だ。妖魄であるが故に、お前に宿った忌むべき力なのだ」

禍月まがつき……? 阿修羅だと……?」

 刀乃の言っていることが理解できず、少女達は知らない単語を反芻するしかなかった。何を聞かされているのか、どうしてこのような状況にあるのか。密事が度重なって明るみとなり、事態の理解が一向に追い付かない。

 言葉を並べる毎に刀乃は語気を強め、怒りや恨みといった負の感情が全身から滲み出ている。少し呼吸を荒らげながら、刀乃は言葉を続けた。

「殺し屋の中にも妖力を持つ者を多数確認したが、全ては《妖憑ようひょう》だった。日輪中を渉猟した結果、修羅狩りが滅尽を目的としてきた悪鬼――妖魄は数名に絞られた。何があろうとも妖魄を生かしておくわけにはいかない。それが劉円様の悲願であり、修羅狩りとしての使命だからだ!」

「一体何を言っておる……?」

 刃達を睥睨する刀乃の鋭い眼には、一切迷いのない殺意が込められている。刃が殺し屋に対峙する時と同じく、己が正義であると確信を持った瞳だ。

 そして刀乃から、衝撃の事実が告げられる。

「黒斬刃、神楽詩音、磐座大地。お前達は人間ではない。修羅狩りの第一目標である妖怪の王――禍月に連なる血族なのだ」

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