第六話 変貌

 不審に思いながら宿屋を出ると、目に飛び込んできた光景に僕は言葉を失った。


 今まで森閑しんかんとしていた街は見る影もなく、まるで別世界に迷い込んだかのように大勢の人でアルンの街が賑わっている。ログインするゲームを間違えたのかと疑ったが、建物の配置を見る限りここは間違いなくフィヨルディアだ。


「ちょっと、そこの坊主……」

「……?」


 雑踏の盛況を見て呆気に取られていると、背後から何者かが僕に向けて声を掛けてきた。声に釣られて振り返ると、髭を蓄えた蓬髪ほうはつの男性が立っている。

 NPCしかいなかったこのゲームで、話し掛けられるという経験は初めてだ。


「な、何ですか……?」

「………………」


 通りすがりの男性は返事をせず、僕の姿をまじまじと見詰めている。

 まるでお尋ね者を見付けたかのように顎を擦りながら眉をしかめ、僕の頭のてっぺんから履物の爪先までを嘗め回すようにジロジロと観察している。


「な、何でしょうか……?」


 気味の悪い状況に痺れを切らせて僕が再び質問を投げると、髭のおじさんから驚愕の答えが返ってきた。


「濃緑色で和風の羽織、腰の太刀……間違っていたら申し訳ないが、君は……『エイタ』という名前かな?」

「――! そうですが……どうして俺のことを……?」

「数日前かな、君を探している女の子に会ったよ」

「え……?」


 僕の名を知られていることに一度は驚いたものの、彼がプレイヤーであれば人物の名前をモニター上で確認できるため不思議ではない。それよりも彼が次に発した言葉が気に掛かった。この世界で僕を探している者などいるはずがないのだから。


 いまいち状況が飲み込めないが、僕はその人物について尋ねてみることにした。


「……それは、どんな子でしたか?」

「黒髪の小さな子だったよ。朱色の花を髪に挿して――」

「――その子はどこへ行きましたか!?」


 髭のおじさんが話し終わる前に、僕は彼の両肩を掴んで訊ねた。

 もしや――と考えていたが、その特徴は間違いなくアイだ。


「南へ歩いて行ったが、数日も前のことだ。今はどこにいるのかわからんよ」


 僕の剣幕に気圧されながら、髭のおじさんはおどおどと答えていた。


 アイが生きていて、僕を探してくれている。その事実を知られただけでも情報としてありがたい。地道に探すしか方法はない。


「ありがとうございます。彼女は……ええと、友達です。探してみます」

「はいよ、頑張って見付けてやりな」


 そうして髭のおじさんとはそのまま別れようと思ったが、この男性はフィヨルディアで出会った初めてのプレイヤーだ。僕は興味本位で話してみることにした。


「おじさん、よくこのゲームをやろうと思いましたね。サービスは終了しているし、もうフィヨルディアでできることはないじゃないですか?」

「……ゲーム……? サービス……? 一体何のことかな?」

「だから、この世界にログインをしたのはなぜかと思いまして……。当然ですが、ラズハを使用していますよね?」

「はぁ……?」


 髭のおじさんは困惑している様子で、眉を顰めた表情のまま固まっている。どうやら僕が投げ掛けた質問の意味を理解できなかったようだ。


「ログイン……? ラズハ……? すまないが、よくわからないな」

「そう……ですか……」


 僕が追及を諦めると、髭のおじさんは首を傾げて去っていった。彼は一体何のために、こんな百年以上も前のゲームにログインをしてきたのだろうか。


 おじさんの挙動を見て、僕はふと疑問がよぎっていた。

 ラズハを知らないとなると、彼はモニター上で遊んでいることが考えられる。しかし、それにしては流暢に言葉を話していた。


 ラズハを使わずにログインをした場合、会話はキーボードによるチャット入力で行う必要がある。僕は会話を通常通りに行えるが、彼はそうではないはずだ。こちらの言葉は、相手にどのように受け取られているのだろうか。


 多くのプレイヤーが突然フィヨルディアにログインしてきたことも、宿屋の店主が入れ替わっていたことも何一つ理由がわからないままだが、そんなことは後回しだ。

 とにかく今は、僕を探しているというアイを見付けることが先決だ。


    ◇


 アルンは建造物の密度が低く、かなりの長距離を見渡すことができる。

 しかしこの街は五キロメートル四方もの広さがあり、一人の人物を探すことは容易ではなかった。アルンを隅々まで探したが、一向にアイは見付からない。


 アイはNPCとしての役割を失い、消滅してしまったのではないだろうかという一抹の不安がよぎっていた。心配が募るばかりで、不穏なことを考えてしまう。


 それでも、アイとおぼしい少女が僕を探していたという髭のおじさんの言葉を信じて、僕は彼女を探すことを諦めなかった。


 この世界で僕のことを知っていて、更には朱色のかんざしを挿した黒髪の少女なんて、どう考えてもアイ以外の人物では有り得ないのだから。


「もしかして……《エンマルク》へ出たというのか?」


 エンマルクとは、アルンと霊峰の間に広がる草原地帯のことである。NPCがアルンの外へ出られるとは思えないが、見付からない以上は可能性を排除できない。


 決意を固めてアルン外周の西門をくぐると、ギリギリ目視できる小高い丘の上に小さな人影が仰向けで倒れているのが見えた。その人物がアイだと認識するより先に、僕は倒れている子どもの元へと駆け出していた。


 近付いてその姿を確認すると、僕は安堵から大きく息を吐いた。

 宿屋の紺色の装束を着た黒髪の少女。倒れている人物は、やはりアイだった。


「アイ! 大丈夫か!」


 名前を呼んで小さな身体を揺すると、少女の瞳がゆっくりと開いた。

 悄然しょうぜんと疲れ切っている様子で、その華奢きゃしゃな身体には全くといっていいほどに力が入っていないようだった。


「アイ! 俺がわかるか!? どうしてここで倒れている!?」

「エ……エイタ……やっと会えた……」


 アイは返事をしたが、か細い声で元気がない。


 少しして、ぐうぅ――とアイの腹部から間の抜けた音がした。

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