出来損ないの恋



 最初に断っておこう。

 これは――出来損ないの恋の物語。


 甘酸っぱさや爽やかさなんて微塵もなくて、ただ自己否定と「自己否定」という名の自己肯定という、じめついた、鬱陶しい感情ばかりに振り回され、誰かに好意を抱いているはずなのに、その誰かの力になりたいはずなのに、その実、相手に好かれて、救われたいという、そうすれば自分も、出来損ないの自分が変われるはずだと淡い期待を抱き、結果、どうしようもない故意、取り返しのつかない故意の行為を繰り返した――笑い話だ。

 生まれてこなければ良かったのに、と思う。

 そうすれば、こんなにも傷付くこともなかったのに。

 感情なんていらないのに、と思う。

 そうすれば、あなたを求めて苦しむこともなかったのに。

 これは、出来損ないの恋の話。

 恋も愛も知らなかった出来損ない達の、故意の話だ。







 僕には誰にも言えない秘密がある。

 もし、僕が自伝を書くとすれば、そんな始まりになるのだろうけれど、我ながら陳腐だと思う。誰にも言えない秘密くらい、誰にだって、一つはある。殊更に、大袈裟に取り上げるようなことじゃない。

 廊下を進んだ後、右に折れ、階段を上がる。二年生の階へ。

 放課後の校内は騒がしい。誰も彼も浮かれているようだ。ひょっとしたら、僕もそうなのかもしれない。

 目当ての教室の前に辿り着くと、僕はひょいと扉の中を覗き込む。いた。

時を同じくして、彼女もこちらに気付いたらしく、友人との会話を切り上げて、こちらへと向かってくる。


「早かったね」

「うん」

「帰ろっか」

「うん」


 彼女、須原ういは、黒い髪を纏め直すと、歩き始める。

 僕の一歩先を、いつものように。

 ずっと昔から変わらないように。


「今日、何食べたい?」

「なんでもいい」

「それが一番困るんだって」

「えー」


 僕は彼女のことが好きだ。

 はじめての恋だから、はっきりとそうだとは断言できないけれど。

 僕は彼女のことを想い、慕っている。


 僕は、実の姉に恋をしていた。






 いつだったか友達に訊ねられたことがある。


『初はさ、人に言えない秘密ってある?』


 その時の私はなんて答えたのだっけ。

 確か、曖昧に笑って、適当に話を合わせて、それで終わった気がする。

 私の秘密。

 私には、好きな人がいる。

 同じクラスの川端という奴で、幼馴染だ。


「お姉ちゃん、そう言えばさ」


 隣を歩く妹が問い掛けてくる。


「健次君、待たなくて良かったの?」

「え? なんで?」


 妹、一は手で口を覆い、にやにやと笑う。


「またまた~、そんなこと言っちゃって。好きなんでしょ、健次君のこと。私、知ってるんだから」

「ははは。だとしたら、それはあなたの勘違いよ」


 えー、と一は否定とも非難とも取れる声を上げる。

 私には、好きな人がいる。

 同じ学年で、同じクラスの、川端健次という奴で、妹や友人には内緒にしているつもりだけど、ずっと昔から好きだった。当然、本人にも秘密だ。一緒に帰りたいか?という問いに、正直に応じるなら、「帰りたい」となると思う。

 でも、私にはそんな資格はない。

 恋をする資格すら、ないのかもしれない。


「そう言えば、健次君、教室にいなかったけど、何処に行ったんだろ」


 呟かれた言葉は独り言のようで、だから私は答えなかった。

 それが独り言でなかったとしても、答えなかっただろうけど。

 健治なら今は図書館だ。見ていたから分かる。

 後ろを付けていたから知っている。


 私は、ストーカーだった。







 後悔していることがあるとすれば、それは、あまり後悔していないこと、だっただろう。

 借りっぱなしだった本を友人の図書委員に押し付けて校門に向かう途中、見慣れた姉妹の姿を見つけた。長い髪と、短い髪。すたすたと歩く一人を、楽し気に追う、もう一人。初と一だった。

 俺はどうするか少しばかり悩んで、二人の肩を叩いた。


「初。一。よっ」

「健次」

「健次君!」


 後はもう、お決まりのコースだ。

 俺達はどうでもいいことを話しながら、家へと向かう。小学生の頃、中学生の頃、そうであったように。ずっと昔から、何も変わらないように。

 俺は、どうしようもないくらいに、二人を裏切ったというのに。

 大人びた初に、快活な一。

対照的な二人だが、その目元はそっくりだった。いつ見ても、「似ている」と思う。あの人に、似ている。



 ―――「ごめんね、健次君」。



 不意にあの時の言葉が思い出され、心臓がどくりと跳ねた。

 香る彼女の匂い。繋ぎ合った手。初めての感覚。彼女はもういないというのに、フラッシュバックするかのように不意に思い出されて、男としての衝動が制御できなくなる。こんな自分が、嫌だ。あまり後悔していないことが、尚更に、嫌だ。

 ひょっとしたら、俺が彼女達を好んでいるのは、あの人の面影を追っているだけなのかもしれない。


 俺は、彼女達の母親と関係を持ったことがあった。






 ―――僕は、

 ―――私は、

 ―――俺は、


 ―――出来損ないだ。

 そう、これは出来損ないの恋の話。

 ハッピーエンドなんて以ての外、バッドエンドすら迎えることもできず、だらだらと続く日常の中で恋と故意を積み重ねた、嘘吐きな罪人達の物語。何処にも行けなかった人間達の何にもならなかったお話。

 それでも、この感情を「恋」と呼んで良いのなら。

 いつか良い思い出になる、だなんて慰めを口にすることなく、ただただ、この夏を精一杯に生きることができるのなら。

 実らず、成就せず、出来損なった恋にも、価値があるのかもしれない。


 最初に断っておこう。

 これは――出来損ないの恋の物語。





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