第41話 星空一面 その五

 巡宙艦オスプレイの下士官食堂。

 下士官室(下士官の居住室兼寝室)や娯楽室に鍛錬場など。

 エインツら三人が、艦内での出入りを許可されている部屋の一つである。


 今日の特訓や日課を終えた三人は、夕食を摂るべく、指定された時間に食堂を訪れていた。

 節水と洗う手間を省く為に、盆と皿を一体化させた、幾つかの窪みがあるステンレスのトレイに食事が盛られている。


 本日夕食の献立はステーキをメインに、パンと焼き野菜。目玉焼きに野菜のコンソメスープで構成されている。


(これは美味そうだ……)


 声に出さずにエインツは唸る。

 一度出港してしまえば食事は、単なる栄養補給ではなくなる。


 船上は娯楽が圧倒的に少ない上に、嵐に遭えば命懸けとなる世界。食糧が底を突けば最悪、乗組員たちの反乱や暴動に発展してしまう事は歴史が証明している。

 船乗りにとって食事は、おかの上とは比較にならないほどの関心事であり、重要事項なのである。


 食は士気の源泉。

 最新鋭の巡宙艦であろうとそれは、木で船が建造されていた時代から変わらない、船乗りたちの不文律だ。

 それ故、巡宙艦の食事担当部署の者は、軍服を着た料理人とも言われるくらいの、料理の専門家集団である。


「ご馳走さん」


 全ての品が美味だった。信念関係無しにエインツは、残さず胃袋に収める。


「もう食べたの! もう少し良く噛んでから食べないと駄目だよ」


 エインツらは四人掛けのテーブルに座っていて、エインツの左隣には当然ハルナが座っていた。

 ラルシェはエインツの対面で、静かに食事を続けていた。

 母が子を躾けるようにハルナは言う。


「温かい物は温かい内に食わないといけないだろ……」


 それに対しエインツは、半分こだわり。半分先人の知恵の持論で反論する。


「もう!」


 不満を言う口でハルナは、その口でステーキを食べた。


「しかし、一度で良いから艦メシを食べてみたいと思っていたが、噂以上に美味かったな」

「うん。素材も調理法も。私がいつも食べているのと全然違うけど、熱意はもしかすると家のシェフ以上かもしれない。凄く新鮮な気分」

「ベルティス家お抱えの料理人と比べるなよ」

「良い食いっぷりだったぜ兄ちゃん」


 エインツがハルナにツッコミを入れた直後、エインツの背後から男の声が掛けられた。

 陽気さを感じさせる声にエインツは振り返った。頭から爪先まで真っ白な、料理人そのものの格好をした男が一人。金属のポットと、三人分のコーヒーカップとソーサーなどが乗った台車を手に立っていた。


「あれだけ美味しそうに食べてもらえて、料理人冥利に尽きるってもんだ。オイラの名前はジャス。オスプレイの調理要員さ。この艦の母港がある一帯はコーヒー栽培が盛んな関係で、食後のコーヒーもこだわっているんだ。飲むかい?」


 濃い灰色の短髪に、青い目のジャスがポットを持ち上げながら言った。コーヒーを注いでくれるようだ。

 二十歳前後くらいだろうか?

 エインツとハルナと、それほど年齢差があるようには見えない。


「ああ。貰えるか」


 おそらく彼は、敬語で話しかけられたくない人間だろうとエインツは推測した。

 コーヒー好きとしても、申し出を断る理由は無い。


「私も貰える?」

「こだわりがあると言われれば、頂くしかないな」

「あいよ。しばらくお待ちを」


 慣れた手つきでジャスは、三つのカップにコーヒーを注いでいく。


「砂糖やミルクはお好みでどうぞ。今この艦は、お三方の話題で持ち切りだぜ」

「持ち切りって……どういう意味なの?」


 ジャスの言葉にハルナが疑問で返した。


「そりゃもう。ラルシェ社長は元から超有名ですし。その社長と一緒に戦った戦友の子孫が、滅茶苦茶美人だし」


 説明しながらジャスは、ラルシェとハルナの順にコーヒーを置いていく。


「そんでもって、巡宙艦が束になっても倒せなかったフォルテアを、魔法剣だけで撃退させた男が乗っているんだから。噂にならない方が無理ってもんすよ」


 最後にエインツのコーヒーが配られた後もジャスは、三人のテーブルから離れずに話を続ける。

 人見知りという言葉は無いようだ。

 エインツはジャスの印象につけ加える。


(……なんか、初めて見る気がしないな)


 砕けた物言いに他人との距離感など。

 初対面のはずなのに、どこかで会ったような。

 不思議な感覚を覚えながらもエインツは何も言わず、ブラックコーヒーを一口飲んだ。


「美味いな……このコーヒーは誰が淹れたんだ?」

「オイラだぜ。と言っても淹れ方のマニュアルがあって、その通りに淹れただけなんだけどな」

「この艦の乗組員は、毎日このコーヒーがただで飲めるのか。羨ましいな」


 えぐみが一切無い、濃い目の苦みが特徴の一杯。

 エインツは漆黒の液面を見つめながら、しみじみと零す。

 その横顔をハルナは見つめていた。


「……ジャスさん」

「さんづけはしなくていいよ。呼び捨てで大丈夫」

「……ジャス。このコーヒーの淹れ方、私に教えてくれないかしら。エインツに淹れてあげたいの」

「俺の為に……」

「恋人としてエインツには喜んでもらいたいから。私に出来る事はしたいの」


「おうおう。熱いね。お二人さん。料理を作った方がご馳走様だよ」

「……いちおう言っておくがジャス。恋人だからな」


 ハルナの前に左腕を伸ばし、守る体勢でエインツはジャスに睨みをきかせる。


「心配するなって」


 ため息混じりにジャスは、やれやれという手振りを交える。


「ドラゴン相手に、一人で戦いを挑むような男を敵に回す気なんてねえよ。オイラは料理しか能が無いんでね」

「……なら良い」


 言ってエインツは、恋人を横恋慕から守る体勢を解いた。


「悪いがハルナ。このコーヒーの淹れ方はこの艦の秘伝なんだ。恋人に尽くす健気さは応援したいけど、オイラの一存では教えられないな。ごめん」

「そうだよね。レシピが秘密なのは当たり前の話だし。気にしないで」

「おい! ジャス」


 ハルナが詫びた直後、厨房の奥から男性の怒鳴る声が届いた。


「鶏肉の仕込みが途中だろうが! コーヒー注いだのなら、油売ってないでさっさと戻ってこい!」

「へいへい」


 気だるけに言いながらジャスは、コーヒーのポットと、砂糖やミルクなどをエインツらのテーブルに置いた。


「んじゃオイラはこれで。ゆっくりしていってくれ」


 そう言い残してジャスは三人の元を離れていった。

 残されたのは三人の沈黙。

 口直しと言わんばかりに、ラルシェはコーヒーを口に運ぶ。


「中々に賑やかな男だったな……」

「ま、まぁ。……色んな人がいるって事だよね」

「……」


 ジャスへの控えめな感想をラルシェとハルナが言い。初対面の男に既視感を覚えたエインツは、理由を探るべく押し黙る。


「……エインツ? 難しい顔をしてどうしたの?」

「いや、誰かに似ているような気が……」


 ジャスに似ている人間。

 エインツは自らの記憶を手繰り寄せ、そして思い当たる。


「そうか。グラハムだ」


 明確な答えに辿り着いたエインツは、つかえが取れたのを感じた。


「グラハムって、私のご先祖様の?」

「……言われてみればそうだな。中身はグラハムに似ている気がする。陽気で軽いところが特に」

「ラルシェもそう思うか!」


「そんなに似ているんだ。……エインツ。差支え無ければ、グラハム様とアリーシャ様がどんな人だったのか教えてほしい」


 偉大なるご先祖様と苦楽を共にした、生き証人の話が聞ける。

 好奇心を宿した濃橙の瞳は、魔法の勉強に打ち込むハルナの目と同じ煌めきを放っている。


「ハルナからすれば聞きたいだろうが、聞けば幻滅するかもしれんぞ。……特にグラハムがな」


「それでも良いよ。エインツの過去を聞いた時は、気持ちの整理をつけるのでやっとだったし、その後も慌ただしくて聞けなかったから」

「……今日の訓練内容をまとめないといけない。私は先に戻っている」


 食事を終えたラルシェは、そう言って席を立った。


「え? ラルシェから見たお二人の話も聞きたいのに」

「エインツが全部話すさ。戦いの前の、二人の貴重な時間の邪魔はしない」

「すまんな。気を使わせて」

「気にするな。これくらい使った内には入らん」


 言い残してラルシェは、食器を手に去った。


「あ、じゃあ急いで食べないと」

「焦らなくても良い。もうデートは始まっているんだからな」

「それもそうね」


 慌ただしかったのは一瞬で、ハルナは品のある落ち着いた所作で料理を口に運ぶ。

 軍艦デートというのも面白い。

 思いがけず湧いた二人きりの時間。

 存分に楽しんでやる。

 エインツは、身と心の両方で微笑んだ。

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