生きるという事
ラプラスAki
生きるという事
病院の一室。俺はベッドにいる。
虚ろな目で天井を見る。いつもと同じ天井。
そこに女が一人、入ってきた。
「調子どう?」
彼女の名は詩織。義理の妹だ。俺は言葉に反応せず、
「もうすぐだな」
唐突な俺の言葉に詩織は言葉を返した。
「なにが?」
「命日」
あいた窓から春の風が入ってくる。
俺は廊下にでて共用部の椅子に座り、買ったカフェオレを飲んでいた。
行きかう人々。様々な理由で廊下を歩く。
「こんにちわぁ」
突然の声に体をびくっと震わせる。
「あたらしいひと?」
少したどたどしい口調の女の子が俺を見上げている。5歳前半くらいか。
「ああ」
感情のこもらない返事か、漏れた息かわからない声で、返事をする。
「あっ田中のおじいちゃん」
そういうと、女の子は走っていった。
変な子だな。と思い、俺は立ち上がり病室へと向かった。
後ろから詩織の声。
「調子よさそうじゃん」
声のほうへ顔を向ける。
「ああ。また来たのか?」
俺の面倒臭そうな声に彼女は「もう」とむくれた。
病室につくと何やら騒がしかった。隣のベッドのおじいさんが医者に心臓マッサージを受けていた。緊迫した空気をひしひしと感じた。
俺と詩織は気にしながらもこっそり自分のベッドへ歩を進める。
通り過ぎる瞬間「田中謙三」のネームプレートが視界にかすめた。
俺は女の子を思い出した。
「ねえ」
詩織の言葉で我にかえる。
「抗がん剤、やろうよ」
「……」
沈黙する。
カーテンで仕切られた隣から「ご臨終です」という声が聞こえた。
黙る二人。
「前から調子悪そうだったもんね。田中さん」
田中さんは運ばれていった。
外は晴れ。調子は悪し。投薬はしてないが「余命一年」の俺はたびたび体調が悪くなる。
「だいじょうぶ?」
ベッドで本を読んでいると、声がした。振り向くと、以前話しかけてきた女の子がいる。
「これ、おいしいよ。はい」
そう言うと、飴を俺の手に握らせる。
俺は咳き込んだ。
「誰だおまえ」
「わたしは伊崎咲です」
「どこの子だ。自分の病室に戻れ」
苦痛でとげとげしい言葉になる。
「となりのへやだよ」
「そうか」
咲の言葉にイラつきながら咳き込む。
「先生よぶ?」
「よんでも無駄だ」
「ふーん。なんで?」
「俺はもうすぐに死ぬ」
「あっ遠藤さんとおんなじだ」
怪訝な顔をする。
「もう死ぬんだって」
「意味わかっていってんのか?」
「田中さんがいってたよ」
「どの田中さんだ」
「となりで寝てる田中さんだよ」
「よく見ろ」
俺はいままで田中さんがいたベッドを指し、
「この間死んだ」
「死ぬって透明になること?」
意味のわからない言葉にイラつく。舌打ちをして少し語気を強めて、
「自分の部屋に戻れ」
「いやだ!」
女の子はむくれて言う。
「おじさんの知り合いがいえって言ってるから。だからいやだ」
何をだ。と言おうとして、
「咲!」
病室の入り口から鋭い声がした。肩を怒らせカツカツとこちらに早足で歩いてくる。
「すいません。うちの娘が。変なこと言いませんでした?」
「……いや、別に」
「田中さん。この人田中さん知り合いですか?」
俺に指差し言った。
「もう! 田中さんは亡くなったって言ったでしょ! 何度言ったらわかるのよ!」
女の子はあまり堪えてない様子だ。
「行くわよ!」
女性の母親らしき女が咲を引きずっていく。
「じゃーねー」
女の子らと入れ違いで詩織が入ってくる。
「あの子は?」
「さあな」
「調子悪いの?」
心配そう詩織が言う。
「……まあな」
「治療うけようよ」
「そうだな……」
「うん」
沈黙する二人。
「おねえちゃんだって言ってるよ」
その言葉に窓の外に目を向けた。
「……そうだな」
ふと、子供がいれば咲くらいになっていたか。と思った。
昼の病院の屋上。フェンスは飛び降り防止の為に登れないように返しがついている。
フェンスに手をかけた。
もうすぐ薫の命日。
握っている手を開き指輪に目を落とす。この指輪は薫が亡くなった時握っていたものだ。
自殺だった。
結婚二年目。薫は妊娠したが、子供は流れてしまった。その事に彼女は深く傷つき、ふさぎ込むようになった。やがて過呼吸を起こして救急車で運ばれた。その後精神科をすすめられて受診。
『パニック障害』
と診断された。
俺は彼女を医者なんかより良く知っている。だから自分で彼女を治せる。と思い込み、彼女を通院させなかった。
そして少しづつ良くなってきたと思い。彼女を一人にしてしまった。
彼女は「行かないで。そばにいて」と言ったが、俺は大丈夫だ。良くなってきているんだから、リハビリにもなる、と彼女を置いていった。
後悔してもしきれない。酷い事をしてしまったと今は思う。
ベランダから飛び降りた薫が持っていたのが、この結婚指輪だった。
その後俺は自責の念でおかしくなりそうだった。俺が置いていかなければ、ちゃんと治療すれば。こんな事にはならなかったのではないか?。
俺は電車に飛び込もうとしたり、屋上から飛び降りようとしたりした。いずれも未遂に終わった。
死のうとする度に周りの人達のことが頭をよぎった。
彼女が自殺してこんなにつらいなら、俺がそうしたら、周りは同じように苦しむだろう。
そんな思いが俺の後追い自殺を止めいてた。
しかし、苦しみは日々増していくばかりだった。そのうち外が怖くなり、部屋に閉じこもった。そんな自分を激しく責めた。そんなんだから彼女も見捨てたんだと。
そんな俺を詩織も彼女の両親も責めなかった。いたたまれなく情けない。もし逆に俺ならはらわた煮えくりかえっているだろう。そう思う度に自分を責めた。
そんな矢先の余命宣告。
少しほっとしていた。自殺でなく病死なら周りもそんなに傷つかないのではないか? そう思った。
『もう終わる。終えられるんだ』
と。
だから俺は手術も抗がん剤も打たないとその時、決めた。
そこからだんだん苦しみが癒えていった。
いつものように昼頃にカフェオレを買いに病室をでた。となりの病室を通り過ぎようとした時、
「あの……」
と女性の声がした。
振り向くと、見覚えのある顔だった。
「先日は娘がご迷惑を……」
「ああ」
思い出した。確か咲とか言う女性の母親だ。
「娘さんは?」
「今は少し体調が悪くて……」
母親は病室を振り返り、そしてこちらに向き直った。
「お時間ありますか?」
「え? まあ」
咲の母親と俺は病院の庭のベンチに腰かけていた。
「すいません。付き合わせてしまって」
「ええ、まあ。それより何かお話が?」
「はい。娘のことで……」
しばらく沈黙が流れ、
「咲は何と言っていましたか?」
咲の母親が言った。
「?」
「いきなりこんな話をして、おかしいと思うのですが……」
母親は前置きをして、
「娘があなたの知り合いと話していて、その人が伝えたい事があると言ってせっつくものですから……」
「知り合いですか……」
「ええ」
「その友達は何という名前ですか?」
「薫さんと言っていました」
咲の病室のベッドの脇の椅子に座り、眠っている彼女の横顔を眺めていた。
母親によると、一年ほど前、咲の脳に小さな腫瘍が見つかった。それは良性で脳機能に問題はないと医者に言われたらしいが時々深い眠りに陥ることがあった。今回は検査入院でこの病院に来ていた。
咲がそっと目を覚ました。
こっちを向く。
「おじさん」
たどたどしい口調で言った。
「ああ」
「おかあさんは?」
「飲み物買いに行ってる」
咲はまだ意識が朦朧としているらしく、天井を見つめている。
「おじさんの知り合い会いに行ってたんだ」
「……薫は死んでる」
「いるもん。ちゃんと」
「どこにだ? どこにいる」
語気を強める。
「いまはねてるよ。起こすね」
「はっ! ばかばかしい。薫は死んでる。死んだら会うことも話すことも触れることもできない! 君にはまだわからないかも知れないけどな!」
大人げないことを言ってしまった、と同時にまだ彼女への強い思いが残っていることに驚いた。
反省して、次の言葉をつなげようとすると、
「指輪もってる?」
と言った。
俺は驚きすぎて、口を馬鹿みたいに開けたまま固まった。
「なっ」
「もういいって。指輪は」
何も言えないでいると、次の言葉を口にした。
「生きたかったよって」
「なに?」
「知り合いの人が言ってるよ」
「薫が言っているのか?」
「うん」
「……」
俺はポケットに入れていた指輪を取り出した。
「私もやることあるんだ」
話が急に変わる。腫瘍のせいだろう。ちぐはぐなのは仕方ないが。
「人助け」
「……そうか」
「だから生きるよ」
俺は咲の母親と軽く話をして、病室をでた。
「なんの話だったの?」
廊下で待っていた詩織が言う。
「別に」
自分の病室に向かう。
「そういえば遠藤さんが亡くなったって」
「そうか……」
しばらく考えていた。自分の事。薫の事。詩織の事。
「生きたかった。か……」
「ん? なんか言った?」
「いや」
自分の病室につく。
「治療うけるよ」
「え?」
「俺はまだ生きるよ」
そう言う俺に詩織は飛びついて喜んだ。
夏の終わり。俺と詩織は薫の墓を訪れていた。周りを少し掃除して花と線香をたむけた。
薫が死んで以来一度も墓に参らなかった。治療を受ける事を決め、参ることを決めた。
「おねえちゃん喜んでるよ」
「ああ。そうだな」
墓石に水をかけ、手を合わせる。
(もう大丈夫だ。ありがとう)
「おじさーん!」
声の方を向くと、咲と母親が見える。
咲は走ってきて、
「おじさん。笑って!」
俺に抱きつきながら言う。そうか。薫が死んでから笑っていなかったことに気づく。
咲は笑う。そして俺も自然と笑みがこぼれた。
「さあ! 帰るぞ!」
俺は咲を抱き上げ肩車をした。
薫の墓には結婚指輪が置いてある。
例え短い命でも、生きる事をあきらめない。
そしてきっと、笑えるから。
だから
『生きて』
生きるという事 ラプラスAki @mizunoinori
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