破滅に導くサイボーグ

森本 晃次

第1話 都市伝説の村

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年9月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。


 これはいつ頃の時代のことであろうか?

 おカルトっぽさが残っていたり、都市伝説があるような村は、昔からどこの地方にでもあった。

「学校の七不思議」

 などというのは、結構いろいろなところにあったりするではないか。

 学校が存在するということは、明治よりも前ということはない。どうやら、昭和に入った頃のことであろうか。

 村では、まだまだ自然が残っていて、都市伝説が多く残る村というのも、存在していた。昭和初期というと、田舎だけに限らないかも知れないが、田舎というのは、さらにひどいものである。

 何しろ、都会では、人口が増えすぎて、それに輪をかけるように、凶作だったというではないか。

 それこそ、

「娘を売らないといけない」

 というのが、当たり前のようになり、人身売買の広告が、街に貼ってあったりというほどであった。

 それを考えると、田舎では、

「本当に、娘をどこかの置屋に売ったりして。それに味を占めるという、とんでもない父親がいたりするというが、実際には、そこまでしないと生活ができないというほどの、どうしようもない時代だった」

 ということである。

 実際に、その頃になると、政府は一つの策を考えた。

「いや、時代的に、政府なのか、軍部によるものなのか、分からない」

 ということであった。

 というのは、

「当時日本は、日露戦争に勝ったことで、南満州鉄道と、その周辺の土地に、権益を持っていた」

 ということになっていたのだ。

 日本は、

「南満州鉄道と、その近くに住んでいる居留民保護」

 という名目で、その付近に、

「関東軍」

 というものを組織した。

 その関東軍が守る、満州という国は、日本の何倍もの面積を持っているが、実際に人口はそうでもないのだ。

 そこで日本が考えたのが、

「満州全土を自分たちのものにしてしまい、日本で困っている人、特に、農家などの、次男、三男などと呼ばれる人に、満州国の開拓を宣伝する」

 ということだった。

「広大な満州という土地は、非常に広い国土を持っていて、その土地を開拓することで、日本も、食料だけではなく、燃料になる、石油や石炭を採掘できるということで、一石二鳥」

 ということをもくろんだのである。

 しかし、実際には、満州国には、そんなに純度の高い、良質な資源はなかったのだ。

 日本の政策として、

「満州というところは、夢のような国で、それこそ、極楽浄土のようなところだ」

 という宣伝をし、たくさんの移民を作ることで、

「日本国内の食糧問題の解決」

 ということに成功したのだった。

 日本は、満州事変を引き起こし、半年もしないうちに、満州全土を制圧し、そこに、たくさんの、

「日本からの移民」

 というものを送り込んだのだ。

 しかし、送り込まれた移民は、相当な苦労があっただろう。

 というのも、満州は、中華民国から見れば、

「日本に蹂躙された国」

 ということで、特に満州に対しての嫌がらせ的なことが激化してきたことだろう。

 そもそも、満州事変を起こしたきっかけというのは、

「中国の反日運動」

 というものだった。

 中国人は、当時、反日の観点から、

「朝鮮人を含めた日本人に、土地を売ってはいけない。もし売ったり貸したりすると、死刑に処す」

 という法律が存在した。

「それくらいしなければ、国土を守れない」

 ということであろう。

 日本という国は、それだけ中国に恨まれていたということであろう。

 もちろん、侵略行為をしたのは間違いないのかも知れないが、なぜ日本にだけ、目の敵のようにするのかが分からない。

 何といっても、

「アヘン戦争」

 や、

「アロー戦争」

 というものを引き起こしたイギリスに対して、敵対しなかったのだろうか?

 あくまでも、日本に対してだけが、厳しいもので、

「同じアジアだ」

 ということからだろうか?

 中国というところは、まったくもって、よくわからないところである。

 そんな時代に、ある村があり、その村には、伝説があった。あくまでも伝説ということで、いちいち調べた人はいなかったのだが、どこからか、ウワサガ広がったようで、その内容に、当時の一人の教授が反応し、

「そんな伝説があるのなら、ちょっと調べてみたいな」

 ということを言っていたのだ。

 ただ、この問題は、

「いつも起こる」

 というわけではなく、

 しかも、起こる時というのが、

「定期的だ」

 ということから、今まで、調べようという人がいなかったのだろう。

 その定期的というのは、

「月に一回」

 というペースであった。

 しかも、これを気にした人というのは、奥さんから、

「こんなウワサヲ聞いたんだけど」

 と言って、興味深げに話すのだった。

 そのウワサの発症というのは、

「奥さんが生まれた村の隣村でのことだ」

 というのだ。

 今は結婚して、都会に出てきているので、

「そんなウワサをいつ聞きつけたのか?」

 ということであるが、どうやら、自分の育った村にまで、ウワサが広がるくらいに、何かがあるということであろう。

 実際に、話をしてきた人は、

「あなたの旦那さんに言えば、調査してくれるんじゃない?」

 ということであった。

 というのも、旦那である博士は、

「都市伝説などの研究を進めている」

 ということであった。

 結婚する時、

「大学教授なんですってね」

 と、村ではそれなりに評判になった。

 しかし、大学教授だからと言って、物理学であったり、生理学などといったものを研究しているわけではない。

 どちらかというと、地元の歴史とでもいえばいいのか、教授がいうには、

「民俗学の研究」

 だということであった。

 なかなか、この時代に、民俗学の研究というと、そんなにもいないし、どうしても、世の中が、

「戦争機運が高まっている」

 という状況において、

「民俗学という学問は、あまりありがたがられるものではなかった」

 まだ、戦時中のような、本の出版制限などという、

「情報操作」

 というところまでは言っていないので。まだ、規制がかかっているわけではなかったが、研究するといっても、考古学などのようなものであれば、まだしも、

「都市伝説なるものを研究する」

 というのは、なかなか、当局も認めてきれない。

 もちろん、大学から金が出るわけでもない。

「研究したいのであれば、自分の金で」

 ということであるが、当時の大学教授というのは、名誉職だと思われているが、実際には、そんなにお金が儲かるわけではない。

 それを思うと、

「いくら、人から教えられたから」

 と言って、簡単に、

「はい、研究を始めましょう」

 ということにはならないだろう。

 それを思うと、やり方を考えないといけないのは、当然であった。

 そこで、T大学の鮫島教授が、民俗学の研究ということで、この村の都市伝説の研究に乗り出した。ただ、鮫島教授というのは、当時でいうところの、財閥系ということもあって、他の人とは違っていた。

 一種の特権階級といってもよく、特権階級のおかげということもあるのか、大学時代から、考え方も、突出しているところがあった。

 だから、彼は考え方としては、両極端なところがあり、国に対しても、普段は、そこまで愛国心なるものはないのだが、急に、愛国心を人に説くようなことがある。だから、人によっては、

「変人」

 と思っている人も多いだろう。

 しかし、それでも、教授の周りには結構人が集まってくるのは、何か、人を引き付けるところがあるからなのだろう。

 奥さんである雅子は、旦那のどこに惚れたのか聞かれると、あいまいにぼかしてはいるが、それは、

「言葉にすると難しいということなのか」

 それとも、

「人に話しても、分からない」

 というところなのか分からないが、とにかく何か、

「他の人には分からない何か」

 というものがあるのだろう。

 それも曖昧なところであり、それは、奥さんにも分からないというところなのかも知れない。

 そもそも、当時の財閥というのは、結構強かった。

 実勢に政治にも口を出すところも多く、軍と結びついていたりすることで、ある意味、特権階級の地位にあったといってもいいだろう。

 特に軍というと、

「国防」

 ということでもあり、

「大日本帝国憲法の統帥権」

 というものに守られた、

「天皇の権威」

 をそのまま反映しているものだったのだ。

 だから、その権威をもとに、政府とは切り離したところで、得られる特権階級というものを生かし、軍もそれを利用することで、

「裏で暗躍する財閥」

 というのも、あったことだろう。

 鮫島教授は、そんな財閥の中では、そんなに知名度があるものではないが、知名度の代わりに、他の財閥よりも、

「情報に長けている」

 というものであった。

 そんなに知名度がないのは、あくまでも、

「日本で」

 ということで、この財閥は、元々貿易で財を成したものであり、根拠地は、海外に拠点を置いていた。

 もちろん、開業者も日本人で、日本を中心とした企業であるが、海外に行くと、企業としては、誰もが知っているようなブランドが、実はこの財閥だったりするのだ。

 特に軍とすれば、

「海外の情報がほしいわけで、結びつきが大きいのは当たり前だ」

 といってもいいだろう。

 特に、アメリカ、イギリス、オランダ、中国などであるが、これは奇しくも、

「大東亜戦争にて、敵国になる国ぐにではないか」

 もちろん、そんなことを予言できる人はいなかっただろうが、ただ、注目している人は軍人にもいた。

「日本という国は資源がないからな」

 ということで、近い将来、資源の問題で、アメリカともめることは分かっていた。

 ただ、アメリカとしても、日本という国は怒らせるのではなく、うまく手なずけて、アジアでの自分たちの権益を、

「日本によって、保証してもらいたい」

 という思惑を持っていた人も。少数派ではあったが、一定数はいただろう。

 そういう人と財閥が結びつけば、

「アジアにおける権益を保ちながら、欧米列強を刺激することなく、来るべき戦争に備えることができるだろう」

 というものであった。

「世界大戦がどのようなものになるか?」

 ということは、それぞれの人に、それぞれの考えがあっただろうが、少なくとも、

「第一次大戦におけるベルサイユ体制」

 というものが、来るべく、

「第二次世界大戦」

 というものを思わせるに十分な体制だったということは、

「火を見るよりも明らかだ」

 ということであろう。

 第一次世界大戦というのは、

「民俗戦争」

 というものと、

「帝国主義による最後の戦争」

 という色が濃かったのではないだろうか。

「ドイツ帝国」

「ロシア帝国」

「オーストリア=ハンガリー帝国」

「オスマントルコ帝国」

 などという、

「王をいただく」

 という国がいろいろな民族を抱える中で起こった戦争だったのだ。

 しかし、結果としては、すべての国が、帝国主義から革命が起こり、戦争継続が困難になった。

 結果、敗戦となったわけだが、そんな敗戦国に、戦勝国は、多額の賠償金を課したりしたのだ。

 その時点で、

「次の世界大戦は近い」

 ということは分かり切っていたのだ。

 そこで、敗戦国で、多額の賠償金を課せられたドイツにおいて、

「ドイツ民族の優位性」

 というものを解く形で台頭してきたナチスが、その力を握るのは当たり前のことであり、再軍備に走り、独裁国家として、ヨーロッパを席巻しようとしたのも、分かり切っていたのではないだろうか。

 ヨーロッパを席巻し、その中で、

「たくさんの民俗がいる中で、一番となるのが、ドイツ民族だ」

 というスローガンは、民族主義で戦ったかつうての、

「第一次大戦」

 とは違う。

 ということを思わせるのだろう。

 だから、ナチスは、ドイツ国内で、一気に支持された。

 あれだけ、

「敗戦国」

 としての、国家のプライドもズタズタにされたのだから、ヒトラーの演説は、ドイツ国民の心を打ったとしても、それは当たり前のことだったのだ。

 再軍備を行うことで、

「ドイツ民族が、ヨーロッパで一番」

 という発想となり、かつての敗戦国の惨めさを、一気に払拭できるというものである。

 実際に、ユダヤ人への迫害などというのは、ある程度公然と行われていた。

 そこが集団意識の恐ろしいところで、

「隣の人がするから、俺がしても」

 という感覚であったり、

「国家体制であれば、それはそれで仕方がない」

 と、国家のせいにすれば、なんだってできるという考えを持つということだってあるだろう。

 それは、

「アジアにおける大日本帝国」

 にも言えることであった。

 ヨーロッパのほとんどの国では、帝国主義は崩壊していたが、日本は、相変わらずの帝国である」

 というのは、日本の場合は、他の帝国とは違い、何といっても、

「万世一系」

 ということと、今までの歴史から考えて、

「天皇中心の中央集権国家」

 というものしか、考えられない国家でもあった。

 確かに中世というと、

「武家の世界」

 であり、その中心に幕府というものが置かれ、政治の中心は、その幕府にあったのだ。

 しかし、実際には、

「幕府というのは、天皇から任命されて、政治を行っている」

 といってもよかった。

 実際に、力がなくても、

「民衆は、天皇には頭を下げる」

 ということだ。

 幕府とて、天皇の権威がなければ、成立しないといってもいい時代だってあったではないか。

 結局幕末になると、

「幕府では、この難局を乗り切れない」

 ということで、幕府を倒して、

「天皇中心の新政府を樹立する」

 ということでから出来上がったのが、明治新政府であり、

「諸外国に、押し付けられた不平等条約撤廃に向けて、議会政治や憲法制定といった、新国家としての、大日本帝国ができあがった」

 というわけである。

 大日本帝国というのは、そういう意味でも、

「立憲君主国」

 なのである。

 他の国のように、国王が、専制君主を行ったわけではないので、天皇といえども、勝手なことはできない。

 あくまでも、天皇を崇め奉るというのが、

「神の国」

 と言われる、

「大日本帝国」

 の本来の姿なのだ。

 そういう意味では、今の日本国というのは、

「敗戦によって、占領軍によって押し付けられた民主主義」

 といってもいいかも知れない。

 だが、さすがにベルサイユ体制の問題を考えると、日本に、莫大な賠償金を強いるわけにはいかない。

 ただ、一つ厳しいのは、

「戦争の絶対的な放棄」

 だったのだろう。

「武装解除させられ、基本的には、再軍備などできるはずのなかったドイツにて、民衆の後押しから出てきたナチスは、第一次世界大戦から、十数年しか経っていないのに、すぐに再軍備を行うことができた」

 ということで、

「第二次世界大戦の教訓として、ナチスに再軍備をさせたという過ちを二度と犯してはいけない」

 ということであろう。

 その再軍備をさせてしまったことが、結果的に、あれだけの犠牲者を出したということで、

「日本には、絶対に再軍備をさせてはいけない」

 のであった。

 ただ、日本には、諸外国にない、いろいろなしがらみのようなものがあった。

 他の国でいう、戦争責任者というと、

「大統領」

 であったり、

「首相」

 ということになるのだろうが、日本においては、

「基本的には、天皇である」

 ということだ。

 何といっても首相というのは、

「政治の代表」

 であり、

「軍の作戦にはかかわってはいけない」

 ということになっているのだ。

 日本においての軍というのは、

「天皇直轄」

 であった。

 それは、大日本帝国憲法における、

「統帥権」

 というもので、

「天皇は、陸海軍を統帥す」

 と書かれているのだ。

 つまりは、軍は、

「天皇直轄であるから、政府は口を出せない」

 というわけだ。

 首相が、戦争を始めるわけでも、終わらせるわけでもない。しかも、省庁には、

「陸軍省」

 というものがあり、そこには、

「陸軍大臣」

 というのが存在しているにもかからわず、あくまでも、

「軍政」

 というような、人事などを行うところで、

「軍令」

 という作戦の立案であったり、軍としての方針を決めるところは、天皇直轄で、有事となると、

「大本営」

 ということで、陸海軍の本部が置かれるということだ。

 そこには、軍関係者以外では、天皇しか入れない。もちろん、

「大元帥」

 という形で入るわけだが、そんな統帥権を天応が持っていた。

 鮫島博士は、この統帥権に、少なからずの疑問を持っていた。

 それは、

「財閥として、軍などに出入りしているから、軍や政府というものがどういうものなのかということを、肌で知っていた」

 ということからであろう。

「大日本帝国が、もし、戦争になれば、混乱が起こって、内部から、戦争継続が難しくなるのではないか?」

 と思っていたのだ。

 それは、もちろん、敵国を、

「アメリカ」

 か、あるいは、

「ソ連」

 と思っていたからだ。

 もっとも、この考えは一定数の人が考えていた。

 陸軍の中に派閥があり、その中の、

「皇道派」

 と呼ばれるところは、

「対ソ連」

 ということを考えていて、

「統制派」

 というところは、

「中国大陸進出派」

 であった。

 そして、海軍は、基本的には、

「対アメリカ」

 ということで、三者三様にそれぞれの考えがあったのだ。

 ただ、中国大陸に進出すれば、

「アメリカが黙っていない」

 ということも分かっていた。

 しかも、イギリス、フランスなども、中国大陸に権益があった。

 元々、ドイツもあったのだが、第一次大戦の敗戦によって、権益がなくなり、その分、日本に回ってきたということもあったのだ。

「山東半島の、青島」

 などが、そのいい例であっただろう。

 さらに、日露戦争で獲得した。

「大連」

 や、

「奉天」

 などの権益も、その租借期間を延長したりしたものだった。

 そんな状態において、鮫島教授は、

「戦争は避けられない」

 と思っていた。

 中国との衝突は当たり前のことだが、そのあとに、そのような形になるかということもある程度は分かっていた、

 そう、

「列強による、経済制裁」

 何といっても、資源に乏しい日本という国の首を絞めるには、一番の効果だった。

 そもそも、どこまで、アメリカやイギリスが、

「日本を戦争に引っ張りだせるか?」

 ということを考えていたかということである。

 少なくとも、日本は、ドイツと、同盟関係を結んでいた。

 ヒトラーの思惑として、

「対ソ戦において、日本と協力して、ソ連を挟み撃ちにできれば、ソ連を屈服させることができる」

 と考えていたかも知れない。

 日本は、確かに、

「日ソ不可侵条約を結んでいた」

 という経緯はあるが、ドイツとしては、

「俺たちが最初に、独ソ不可侵条約を破ったのだから、日本が破っても構わない」

 と考えていたかも知れないが、どこまで信憑性があることなのか分からない。

 日本は、少なくとも、それまでの戦争で、

「だまし討ち」

 であったり、勝手に条約を破ったりなどということをしたことはなかった。

 実際に戦争が終わるまで、

「不可侵条約を結んでいた」

 と言われる。3国のうち、実際に、ドイツは、

「独ソ不可侵条約」

 を、ソ連は、

「日ソ不可侵条約」

 というものを一方的に破っているが、日本から破ったことはなかった。

 情勢的に、

「そんなことができるわけはない」

 といえるのだろうが、日本という国は、戦闘では、だまし討ちなどをしたことは一度もなかったのだ。

 そもそも、大東亜戦争の大義名分も、

「東アジアから、アングロサクソンを追い出して、アジアに共栄圏を建設する」

 というのが、スローガンではなかったか。

「八紘一宇」

 という言葉にあるように、

「世界を一つの家として、永久平和を目指す」

 というのが、日本の政策だったのだ。

 もちろん、諸外国の考え方だってあるだろうから、勝手な考えで突き進むわけにはいかない。

 そう思うと、達成には、少しは、何かを犠牲にする必要はあるというもので、当時の日本は、みんな愛国心に燃えて、国を憂いての行動だったということは、無視できない発想ではないだろうか。

 そう考えると、

「日本という国は、敗戦後、平和ボケの国になってしまった」

 ということであろう。


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