第3話 セレネの異名

 セレネが王都郊外にある国軍の大兵営に辿り着いたのは、正午過ぎのことだった。


 首都防衛の任と、交通の便のいい王都から各地方への最短ルートを押さえるという最重要任務を帯びた国内最大規模の軍団が常駐する大兵営は、いつでも数千から万単位の人々が暮らす、一個の都市だ。


 そこへ突如現れた貴族令嬢、もとい癖っ毛の金髪が燦々と降り注ぐ太陽に照らされた少女セレネは、勝手知ったる我が家のごとく大兵営の中を突き進み、中央にある大兵営本陣の煉瓦造りの建物の前で衛兵へ名乗った。


「カーネリス将軍へ、セレネが来たとお伝えしてくれる? 私はここで待っているから」


 いきなり大兵営のトップの名前を指名され、衛兵は戸惑いつつも伝令を出す。セレネの堂々とした態度は、やんごとない身分だと一目で分かるし、何より黄金よりも輝く金髪は一般市民ではありえない。


 衛兵の判断は間違っておらず、何よりもその衛兵はまだ入営して二年目の兵士だった。伝令を出してわずか数分後には、偉丈夫の老将軍カーネリスが他の諸将五人を引き連れて駆け足でやってくるなど、想像もつかなかったのだ。


 しかも、セレネを見るなりデレッデレのとろけた顔を見せて、まるで初孫を甘やかす老爺と化したものだから、事情を知らない衛兵はドン引きした。その目の前で、カーネリスほか五人は代わる代わるセレネを抱きしめ、大はしゃぎだ。


「おお! いとしのセレネじゃあないか!」

「学校を抜け出してきたのか?」

「違う、帰宅許可をもらったの!」

「何でもいい、今日は宴会だ!」

「肉屋に伝令を出せ! 我らがプリンセスのご帰還だとな!」

「ちゃんと食べているのか? 顔色が悪いぞ? そうだ、また遠駆けに行くか? セレネお嬢様は馬に乗れないからな、後ろに乗せて」

「おい貴様! 抜け駆けするな! セレネはお茶会をするんだ、それと新兵どもにも一度顔見せを」

「話をー! 聞いてー!」


 和気あいあい、幼さの残る少女と六人の老人たちは親しげに話していたかと思いきや、セレネは咳払いをして真面目な顔を見せた。


 今までとは打って変わって、本来の『肩書き』らしい挨拶を口にする。


「こほん、諸将に告ぐ。出迎えご苦労である、このセレネ・サンレイ、故郷の土を踏んだかのような安心を覚えた」


 老人たちはこれに対し、背筋を伸ばして最敬礼を返す。そうすべき相手なのだ、と周囲の事情を分かっていない兵士たちにも伝わり、セレネが老将たちの敬意を受ける立場にあることが示された。


 もっとも、その数秒後にはセレネの顔は緩み、年相応の朗らかさを宿す。今日は公務で来たわけではないのだから、真面目な場面はこれで終わり、とばかりだ。


「まあ、堅苦しいことは抜きにして、今日は抜きで遊びにきただけだから、お邪魔になりそうなら帰るつもりで」

「そんなことはない! おい、ひとまず茶だ! テラスに用意しろ!」


 また騒がしくなったセレネたちが、天井の高い本陣の建物を奥へ進んでいく。衛兵だけでなくすれ違う兵士たちも傍へ身を寄せ、老将たちに囲まれるセレネの後ろ姿を眺めながら、思い当たる節を口にする。


「あれって、もしかして……『奇跡の王女ワンダープリンセス』セレネ殿下か?」

「わっ、本当だ! 願掛けとけ」

「見かけたら幸運が訪れるってマジ?」

「俺は同じ場所にいれば必ず生きて帰れるって聞いた」

「前線で戦う兵士の俺らにとっちゃ、いるかどうかも分かんねぇ神様よりありがてぇな」


 各々の信仰はさておき、兵士たちは思い思いの祈りをセレネへ向ける。


 その最中のことだ。天井近くに並ぶ天窓から、強い陽光が差し込んだ。


 その光は、セレネの頭頂から三つ編みまで飛び出して撥ねている癖っ毛に当たり、輝く。セレネの頭を中心にぼんやりと光の円が形成されて、いかにも神秘的な様相を呈していた。本人は日差しが当たって暑いな、くらいにしか思っていないが、それを見た兵士たちはざわつく。


 なぜなら、老将たちを引き連れて歩く『奇跡の王女ワンダープリンセス』の御姿という、皆が見る共通の幻想にふさわしい光景だったからだ。


「後光が差してる……」

「すげぇ」

「伝説の聖女か何かか? とりあえず拝んどこう」


 呆気に取られ、感激し、畏怖と信仰が入り混じる。その日、セレネの姿を見た兵士たちの多くが『奇跡の王女ワンダープリンセス』の話をあちらこちらで興奮して伝播させていったのだが、熟練の兵士は「そんなこと五年前から知ってるよ」と笑って答え、新兵は「一度でいいから見てみたい」とセレネを追いかけはじめる騒ぎになった。


 概して軍人は現実主義だが、一方で験を担ぐことも好む。『奇跡の王女ワンダープリンセス』セレネはちょうどその験担ぎにうってつけで、すっかり大兵営の話題を掻っ攫っていった。


 そんなことは建物内でも歩いていれば耳に入るわけで、セレネをお茶のテラスへ案内するカーネリス将軍は愉快そうに笑う。


「すっかり噂になってしまってまあ」

「私、幸運の置き物扱い?」


 不満ではないが、セレネは自分でも予期してこなかった扱いに少しげんなりしていた。甘やかされるのはさておき、信奉されるのはやりすぎな気がする。


「もう一つありますぞ」

「何?」

「セレネ様がいるところならば美味い食事にありつける、と。兵士にとって食事は一大事、そのまま軍全体の士気に繋がりますからな」

「それは前に私がサンレイ伯爵領から持ってきた支援物資の肉の話……?」


 セレネはげんなりしているが、そもそもはセレネ本人が『奇跡の王女ワンダープリンセス』の元となった逸話を作ったからこうなっている。


 五年前のことだ。サンレイ伯爵代理を務めていた十歳のセレネは、『とある事情』で隣国との戦争の最前線に送られることになった。サンレイ伯爵領の食糧を前線に届けろ、という国王の命令が下ったからであり、当のサンレイ伯爵は別の戦場にいたため、急遽セレネが手配することとなった。もちろんセレネは当時十歳の少女だから、別の代理人を送ることになりつつあったのだが……『とある事情』のせいでそれは叶わなかった。


 仕方なく、セレネはサンレイ伯爵領に残る兵士たちを引き連れ、食糧を大量に前線へ送り届けた。


 それが、のだ。


「サンレイ伯爵領は山がちながら畜産業が盛んですからな。王族でも滅多にありつけぬ熟成肉を夕食にたっぷり出されたとなれば、小さな肉片がいくつか浮いているだけのスープで長らえてきた連中はそりゃあ泣いて喜びますぞ」

「我々が鼓舞するよりずっと士気旺盛だったからなぁ」

「災い転じて福となす。暗愚の王よりも、奇跡の王女を尊ぶのは自然の成り行きです」

「うむ。訳の分からん予言者の言葉を信じて王女を養子に出し、あろうことか災厄の子扱いで始末しようとした愚策など潰えて当然。しかも、大臣の連絡によればまだセレネ様の追放や暗殺を諦めてはおらぬ有様」


 うんうん、と当時を思い返した老将たちは頷く。


 信じがたいことに、『とある事情』とは国王がそばに置いている予言者の言葉を信じて実子セレネを亡き者としようとしている、という耳を疑うような話だった。


 初めは、セレネの母方の遠縁であるサンレイ伯爵家へ養子に出すことで丸く収まっていたのだが、次第に国王は自身に不幸が降りかかるたびセレネのせいだと言い放つようになり、暗殺や処刑を家臣に相談するようになった。


 国王の乱心と一言で言い表せればいいが、それ以外のことは国王はだった。それゆえに、大臣をはじめ家臣たちはセレネをどうにか守らなくてはならない、と奮闘する羽目になる。


(普通に考えて、国王が自分の子どもを不幸の原因だから殺すなんて言いはじめたからって、その言いなりになって子どもを殺すようなことを認めるような人間はいないわよね……国内だけじゃなく諸外国にも悪い噂を流すようなものだし、予言者が国王以外に嫌われてたことも私にとっては幸いだった。まあ、お母様が色々手を回してくれて、ベルネルティ公爵の後ろ盾も得られたからやっと安心できたわけだし)


 しかし、戦争の混迷期にはそれも行き届かず、ベルネルティ公爵家預かりになる前だったこともあって、セレネは危険極まりない最前線へ行くことになってしまった。そのときにセレネは老将たちと知り合い、暗殺騒ぎもあって——雨降って地固まるとばかりにセレネは老将たちの同情と愛情を受けて育つこととなったのだ。


 『奇跡の王女ワンダープリンセス』の話は大元は確かにセレネ自身の行動だが、そこに老将たちが尾ひれを付けに付けて、まるでセレネを幸運の女神のように仕立て上げたのだ。もっとも、元王女が最前線に来るという珍事、良質な食糧の大量供給という吉事、セレネがいる間はなんだかんだ軍は負けなかったという事実から、全部が全部嘘というわけでもないだけに、セレネはその異名を受け入れざるをえなかった。どうせ、その名が通用するのは軍の内部だけだ。


 それだけに、まったくもってセレネにとって『とある事情』とは、身内の恥だった。


「私は国王父上のことなんかどうでもいいんだけど、なんかこう、実の父親が他人に迷惑かける様子を聞いちゃうと、罪悪感が芽生えちゃうなぁ……しかも私のせいっぽいし、何にもしてないのに」


 大概の人間は、思春期には自分の親がさほど立派ではないと知って悩むものだ。


 大きなため息一つ、それからセレネは老将たちへ、今の別の悩みを打ち明けることにした。


「そうだった。あのね、相談があって」


 老将たちの耳目が、一斉にセレネへ向く。

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