第9話 魔王の寵姫
「お姉様は死んだかしら」
イオラはふと呟いた。
リッカルダ辺境伯家の庭で、メイドを控えさせながら紅茶を飲みながら。
二カ月前に少し燃えた家の跡を見て、思い出したように。
「あの魔王に連れていかれたんだから、多分死んだのよね」
「おそらくはそうかと思います」
後ろにいる比較的若いメイドが受け答えをする。
その言葉にイオラも笑みを浮かべて頷く。
「そうよね。お姉様を連れて行った魔王様はあんなに怒っていたし、絶対に殺されているわよね」
「はい、そうだと思います」
「お姉様も何をやっているのかしらね、魔王様をあんなに怒らせるなんて」
――イオラは、覚えていない。
いや、覚えていないのではなく、魔王への恐怖であの時のことを記憶できていなかったのだ。
魔王が誰に怒っていたのか、なぜ怒っていたのかを。
だから都合よく「オリビアが魔王を怒らせて連れていかれた」という間違ったことを記憶しているのだ。
「まあお姉様がいなくなってせいせいしたけど。でも魔王様が最後にお姉様にやられた腹いせに家を燃やしていったのは許せないわ」
「おっしゃる通りです。今正式に、辺境伯様から魔王国の魔王に抗議文を送っている最中だということです」
「さすがお父様ね。私の服がほとんど全焼しちゃったんだから、損害賠償を求めないとよね」
あの時に燃やされた炎は魔法だったのか、水をかけても消えなかった。
家が全焼しなかったのはよかったが、大事な服や宝石までも塵となった。
宝石が塵となるほどの炎だから、燃え尽きるまで誰も近づけなかった。
「でも魔王様、とてもカッコよかったわよね」
「私は見ていなかったので、なんとも言えませんが」
「本当にカッコよかったのよ。髪は銀色で長くて輝いていたの。私達の国では男性であそこまで長い髪を持つ人がいないから新鮮だったけど、すごい綺麗だったわ」
「確かに男性でしたら長くても肩くらいですね」
「ええ。髪だけ見たら女性と思うかもしれないけど、顔立ちはとても凛々しくて素敵で。本当にあんな絵に描いたような美しい男性っていたのね」
イオラは恍惚とした表情を浮かべながらレオニダのことを思い出す。
都合のいいことしか記憶していないイオラは、レオニダの顔しか覚えていない。
その美しい顔で睨まれて威圧をされたことも、覚えていないのだ。
「イオラ様、ダメですよ。デニス様という婚約者がいながら、他の男性に恋慕しては」
「むぅ、いいじゃない。別に何もないんだから、妄想くらいは」
「まあそうですが……」
「デニス様もカッコいいけど、魔王様には負けるわ」
侯爵家の嫡男と婚約しているというのに、他の男性を褒め続けるイオラ。
ここが辺境伯家の庭だからいいことに、使用人達も苦笑していた。
そうしていると、庭に父親がやってきた。
「イオラ、王都で大規模な社交パーティーが来週開かれることは知っているな?」
「お父様。ええ、もちろんですわ。私もデニス様と行くのですから」
「そこに……魔王が来るようだ」
「えっ? 魔王って、あの魔王様ですか?」
「そうだ」
魔王がこの国の社交パーティーに来ることなんて滅多にない。
実際に、イオラが生まれてからは一度もなかった。
「なぜいきなり来るのかはわからないが、十分に注意するように」
「注意、ですか?」
「ああ。くれぐれも変なことはするなよ、イオラ」
「別に私は変なことなんて……」
「するな、と言っているんだ! わかったな!?」
辺境伯はいきなり怒ったように大声でそう言った。
それにビクッとしながらも「わ、わかりました」と返事をする。
イラついた様子の辺境伯は舌打ちをした後に、屋敷へと戻っていった。
「イオラ様、大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫よ。お父様、最近は忙しいようだけど、どうしたのかしら?」
「辺境伯家の仕事が大変のようで、最近は寝不足とのことです」
「ああ、だからあんなに苛立っているのね」
「そのようです。書類作業も増えて、さらには辺境伯領の領民からも不満が上がっていて、その対応に追われているようです」
「そうなのね。確かお姉様は家の雑務をやっていたのよね」
「はい、そうです」
「じゃあお姉様がいなくなったのが原因じゃない」
「それも一因かと思います」
「もう、お姉様はいてもいなくても家に迷惑をかけるのね。本当に最悪だわ」
ため息をつきながら背もたれに身を預ける。
邪魔者である呪われたオリビアがいなくなったことで、イオラはスッキリしていたが辺境伯は違うようだった。
だがそれはイオラにとってはどうでもよかった。
今気になるのは、王都の社交パーティーに魔王が来ることだ。
「まさか魔王様が来るなんて。どうしてかしら」
「私にもわかりません」
「そうよね……あ、もしかして私を奪いにくるとか!」
「はい?」
「前に来た時に魔王様が私に惚れちゃって、正式に私を奪いに王都に来たりして!」
「イオラ様、それは……」
「ふふっ、冗談よ。さすがにそれはないわよね」
イオラのよくわからない冗談に、メイドは苦笑する。
そんなメイドの様子に気づかず、イオラは妄想を話し続ける。
「でも本当にそんなことがあったらどうしよう……私は公爵家嫡男のデニス様と婚約をしているけど、魔王様だったら攫ってくれそうよね。ふふっ、それもよさそうね」
「はぁ……」
「ふふっ、なんにしても魔王様の美貌をまた見られるだけで嬉しいわ」
イオラは王都の社交パーティーを楽しみにしていた――。
――そして、一週間後の王宮で。
「はっ? おねえ、さま……?」
魔王レオニダの隣に寄り添っている女性、オリビアの姿を見て愕然とした。
とても綺麗に着飾っていて、二カ月前のボロ雑巾のようなドレスを着ていた女性だとはわからない。
現に、イオラの隣にいた婚約者のデニスも、両親であるリッカルダ辺境伯も、オリビアの姿を見ても気づいていなかった。
魔王の銀髪と相対するかのような漆黒の髪は、二カ月前とは違い艶があって美しい。
痩せ細っていたころと比べて肉もついたので、顔立ちも変わって愛らしい顔立ちとなっている。
純白なドレスはとても高級そうで綺麗な刺繍が入っていて、黒のマントを羽織っている魔王の隣に並び立つには相応しい装いだ。
「俺の寵姫だ。国交を結ぶこの国には、紹介しておこうと思ってな」
「まだ妻ではないんだがな。俺が求婚しているだけで、彼女は前向きに検討してくれている。魔王であるこの俺を振り回せるのは、この世で彼女だけだろうな」
社交パーティーのど真ん中で、魔王が国王陛下にそう紹介していた。
恥ずかしそうに頬を赤らめて、幸せそうに微笑むオリビア。
その姿を、イオラは唇を噛んで睨んでいた。
(なぜ、お姉様が魔王様と結婚なんて……!)
その後、パーティーは順調に進んでダンスなどの催しなどもあったが、イオラは姉のことが気になってそれどころじゃなった。
パーティーも終盤になって、魔王とオリビアが壁際によって休憩をしている。
父親の辺境伯には「変なことをするな」と言われていたが、話しかけるなとは言われていない。
ちょうど婚約者のデニスも隣にいないので、イオラは一人で近づいていく。
すぐにレオニダがイオラに気づいて目を細めて睨んでくる。
イオラはなぜ睨まれているのかはわからなかった、そんな覚えも記憶もないから。
オリビアと視線が合うと、彼女は少しだけ驚いた顔をする。
だが、彼女の目には怯えはなかった。
いつもイオラと視線を合わせる時は、怯えの色があったのに。
それがまたイオラを腹立たせた。
「ご機嫌よう、魔王様、お姉様」
「何のようだ、リッカルダ辺境伯令嬢」
「魔王様、お姉様と二人で話をさせてもらえないでしょうか?」
「無理に決まっているだろ。お前がオリビアに何をしたのか、わかっているのか?」
レオニダの睨みにイオラは言葉が詰まる。
レオニダは威圧を出してはいないが、イオラは男性に睨まれるという経験がほとんどない。
それだけで後退ってしまうが、イオラは笑みを保ち続ける。
「なぜ、魔王様はお姉様と? お姉様は、魔王様を怒らせて連れて行ったのではないのですか?」
「はぁ? どういうことだ?」
「そうじゃないと、魔王様がお姉様を連れていく理由なんてないですよね?」
「……ああ、そういえば俺が彼女を連れていく時に理由を言っていなかったな」
「そうだったんですか?」
レオニダの後ろにいたオリビアが質問をした。
いつもならイオラに怯えて何も喋れない役立たずのはずなのに。
「ああ、早くオリビアを連れて帰りたいと思っていたからな。無駄な話をしたくなかった、しかもオリビアを虐待していた者達に時間を奪われたくないからな」
「な、なるほど」
「わ、私達はお姉様に虐待なんかしていません。お姉様には躾をしていただけです」
「……お前は、あの日のことを覚えていないのか?」
「はい? いったいどういう――ひっ!?」
今度はレオニダが威圧を出したので、イオラは悲鳴を上げて尻餅をついた。
魔王の威圧に周りの貴族達も驚いたのか、一斉に注目し始めた。
「ああ、そうか。貴様は俺の威圧で記憶を失ったのだな。道理で話が合わんと思った」
「記憶を失ったって、大丈夫なんですか?」
「オリビア、心配するな。威圧を喰らった時のことを覚えていないだけだ、こういう気の弱い奴に威圧を当てると時々あるんだ。だが、もう一度威圧を喰らうと思い出すことが多い」
レオニダとオリビアが目の前で話しているが、イオラは顔を引きつらせて怯えていた。
イオラは威圧を喰らって、一度目のことを思い出した。
魔王レオニダが威圧を放って怒っていた理由も、思い出した。
あの時は、姉のオリビアのために怒っていた。
オリビアが虐待されていることに怒り、リッカルダ辺境伯家に魔獣と共に来たのだ。
そしてオリビアを連れて行き、辺境伯家の屋敷を軽く燃やした。
それを思い出してから、イオラはオリビアと視線が合った。
双子なので身長は同じ、でもいつもはオリビアのほうが卑屈そうに背を丸めていたから見下せていた。
しかし、今はイオラが無様に尻餅をつき、レオニダの横で背筋を伸ばして綺麗に立っているオリビア。
立場が、逆転している。
「オリビア、この女はどうする? 君が不快なのであれば、今すぐに消し去ってもいいのだが」
「……いいえ、レオニダ様。私はいいです。私はイオラを虐めても、気分が良くなるわけじゃありませんから」
「まあ、人を虐めて気が良くなっている奴は愚かな者ばかりだ。だがオリビアの場合は、虐めるというよりかは仕返しだと思うのだが」
「それでも、気が晴れるとは思いません。それなら魔獣の子達と一緒に散歩をしたほうが楽しいです」
「ふっ、そうか。なら帰ったらデートでもしよう」
「はい、レオニダ様」
二人はイオラのことを放って、楽しそうに微笑み合っている。
イオラに仕返しをしない、と言ったオリビア。
普通は喜ぶべきはずなのに、「あなたなんて眼中にない」と言われたかのようにイオラの胸に深く突き刺さった。
「さて、デートの話をしていたら帰りたくなってきたな。そろそろ帰るとするか」
「早くないですか? まだパーティーは終わっていないですが」
「もうだいたいの催しは終わっただろう」
尻餅をついているイオラを放って、二人は手を繋いでその場を離れた。
イオラはその後ろ姿を唇を噛みしめ、悔しげに見送るしかなかった――。
――数カ月後、リッカルダ辺境伯領では領民による大規模な一揆がおこった。
イオラの父、辺境伯が領民を蔑ろにする領地運営をし続けて、領民の我慢が限界に達して蜂起したのだ。
辺境伯家の私兵だけでは抑えきることができず、王国騎士団が出兵するほどの一揆となった。
首謀者が処刑されそうになったところに、魔王レオニダが助けに来た。
リッカルダ辺境伯が雑な領地運営をしている証拠を持って。
それによりリッカルダ辺境伯家は爵位剥奪となり、平民落ちをした。
辺境伯領は魔王国の領地として統合され、初めて人族と魔人族が共存する領地となった。
その領地を治めるのは――魔王の寵姫であった。
魔王の寵愛 ~不憫な令嬢が最恐に愛される訳~ shiryu @nissyhiro
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