魔王の寵愛 ~不憫な令嬢が最恐に愛される訳~

shiryu

第1話 呪われた印


 ――私の人生には、救いも望みもない。


「オリビア! お前、また妹のイオラの邪魔をしたのか!?」


 私が一人、屋根裏部屋で書類仕事をしていると、お父様が怒鳴りながら入り込んできた。


 いつものことだが入ってきた音にビクッとして、私はお父様の方を振り返る。


 勝手に開かれたドアから入ってきたのは、お父様だけじゃなく、お母様と妹のイオラもいた。


「何のことでしょうか?」

「とぼけるな! またイオラと婚約者がデートをしていたのを邪魔したらしいな!」

「私は今日、ずっとここで仕事をしていましたが」


 屋根裏部屋で仕事をさせているのは、お父様とお母様なのに。

 十八歳の娘を軟禁してやらせるような仕事でもないはず。


「オリビア、あなたならこの部屋にいながらでも邪魔できるでしょう?」


 お母様は汚らわしいものを見るような視線を向けてくる。


 そしてお母様の隣にいる妹のイオラを心配するように肩を抱いた。


「あなたはいつもそうやって、その汚い手に刻まれた呪印を使っているから」


 私は生まれてから一度も両親に心配されたことがない。


 むしろこうして、侮蔑の視線や態度を取られ続けている。


 お母様が言った、私の手の甲に刻まれた呪印のせいで。

 呪印と呼ばれているが、正確には「魔の印」というもの。


 私もよくわかっていないが、これは人族の身体に刻まれるような印ではないらしい。


 だから私は生まれてすぐに忌み子として蔑まれてきた。


「その呪印があれば、魔獣を操れるのでしょう!」


 お母様にそう言われるが、私は首を振る。


「いえ、これで魔獣を操ることはできません。何度も言っていると思いますが」

「そんなの信じられるわけないでしょ! 前にイオラが魔獣に襲われたのは、あなたが仕掛けたからでしょ!」


 そう怒鳴ってくるお母様だが、実際は違う。

 魔獣を操ることはできないし、イオラが魔獣に襲われたというのは完全なる嘘だ。


 イオラが私をさらに陥れるための、ただの嘘。


「今日もオリビアが婚約者と話しているところに魔獣が近づいたって話じゃない!」


 これも嘘だ。私は今日イオラが婚約者と会うことすら知らなかったのに。

 でも私が何を言っても両親は信じてくれないし、どうしようもない。


「婚約者のデニス様もとても驚いていたわ」


 さっきから嘲笑うような笑みを浮かべていた妹のイオラが、一歩前に出て話し始める。


 笑みを消して、傷ついたような表情を浮かべるのが上手い。


「デニス様はこの国を支える公爵家の嫡男なのよ? その方に何かあったらどうするつもりだったのかしら」

「イオラの言う通りだ! お前が責任を取れるのか!?」

「私達のリッカルダ辺境伯家に迷惑をかけないでちょうだい!」

「……申し訳ありません」


 イオラの嘘だから、デニス様が危ない目に遭うことはない。


 でもデニス様もイオラの味方だから、彼はイオラの嘘を肯定する。


 つまりイオラが「デニス様とデート中に魔獣に襲われた」と嘘を言えば、デニス様もそれと同じことを証言する。


 私が何を言っても誰も信じない。


 だから、私は何もやってなくても謝るしかないのだ。


「申し訳ありませんでした」

「お前という奴は、生まれてこなければよかったのだ!」

「本当に、なんで双子で生まれたのかしら」

「私も、お姉様なんていりませんでしたわ」

「……」


 子供の頃から、言われ続けてきたことだ。


 最初はとてもショックだったが、今はもう慣れてきてしまった。

 でも慣れてきたからと言って、傷つかないわけじゃない。


「はぁ、本当に役立たずだ。辺境伯家の書類仕事ができなかったら、とっくに捨てていたところだ」

「そうね。オリビアの使い道なんて、そのくらいしかないわね」

「ふふっ、お姉様はずっとここでつまらない書類仕事をやっていればいいのよ」


 辺境伯家の書類仕事はとても大事だ。


 私のような未熟者がやっていいものじゃないと思うんだけど、私は十五歳の頃からお父様に仕事を押し付けられている。


 家で軟禁されていて、家の中の本や書類を暇つぶしに全部読んでいたので、書類仕事はすぐにできたけど。


 でも今でもちゃんとできているのかずっと不安だ。

 私がこれをやらないと辺境伯家の領地にいる領民の生活が危ないから、頑張ってやるしかないのだが。


 とりあえず私に任されてから三年間、特に領地で何か起こったわけじゃないと思うから大丈夫だと思うけど。


「今日の仕事は終わったのか?」

「はい、だいたいは」

「見せてみろ……ふん、どうやらちゃんとやっているようだな」


 お父様が私の質素な机から書類を奪い取って確認した。

 椅子も固くてボロいので、腰やお尻が痛くなるけど。


 でも、どうやら今回も問題はないようだ。


「むっ、ここの数字はどういうことだ? なぜこんなに金が要るんだ?」

「そちらは辺境伯領の西にある村が不作だったようなので、その支援金です」

「ふん、ただの村にこんな支援金がいるものか」

「ですがそこには数百人の領民が……」

「いらん。もっと少なくてもなんとかなるだろ」

「……かしこまりました。支援金を少なめにします」

「そうしろ」


 いつもお父様は領民のことを思っていないかのようなことしかしない。


 いや、本当に不作で餓死人が出てもいいと思っているのだろう。

 でもお父様がこう言うと思っていたので、少し多めに支援金を書いておいた。


 多少減らしても問題はないと思う。


「それと、この数字は?」

「そちらは、隣国の魔王国への食物などの輸出品の金額などです」


 隣国、魔王国。


 その名の通り、魔人族が住んでいて、魔王が治める国だ。


 魔王も魔人族という種族で、私達の国は人族が住んでいる。

 人族と魔人族の違いを私はあまり知らないが、とても野蛮な種族だとは聞いている。


 魔王国はあまり領地は大きくないが、魔王の強さは尋常ではない。

 魔王国の領地はいろんな国が隣接している森や草原がほとんどらしい。


 魔の森と、魔の草原。

 魔の森と草原には魔獣が多く生息しており、普通の人間だったら到底勝てないような魔獣が多くいる。


 鍛えた兵士ですら三人がかりでかからないと倒せないような魔獣。


 その魔獣や魔人族の全ての頂点に立っているのが魔王だ。

 魔王は魔獣を全て操れる、という噂が立っている。


 だから魔王国との敵対は死を意味する、というのが常識である。


 あまり世間のことを知らない私ですら、魔王と会ったら死んでしまうという噂を聞いたことがあるくらいだ。


「ふむ、魔王国……まあこれでいい。あの国との取引は慎重にならないといけないからな」


 私達のリッカルダ辺境伯家の領地は、魔王国の領地の森と隣接しているのだ。


 だから辺境伯領はとても大事な領地で、その書類仕事などはとても大事だと思うのだが、お父様はわかっているのだろうか。


 でも辺境伯領の領民への支援金などは確認を怠ったり渋るけど、魔王国への輸出品や輸入品の関税などはしっかり確認しているようだ。


 辺境伯家の当主として、最低限の仕事はしているのだろう。


「お父様、お姉様の今日の仕事は終わっているの?」

「イオラ。ああ、そのようだな」

「じゃあお姉様に今日の責任を取ってもらわないと」


 イオラが醜く笑ってから、私のことを見てきた。

 その蔑むような視線や笑みが嫌いで、胸がきゅっとなる。


「そうだわ、あなた。オリビアを外に出さないと」

「ふむ、そうだな。オリビア、一晩外で過ごしてこい。頭を冷やしてくるんだな」

「……はい」


 今日は雪が降りそうなくらい寒い。

 一晩外で過ごしたら死んでしまうかもしれない。


 おそらくイオラやお母様は、本当に私に死んでほしいのだろう。


「外着を着ることは許そう。ただ屋敷外で一晩過ごすんだ」

「かしこまりました」


 お父様は私が書類仕事ができるから、死んでほしいとは思われてはなさそう。

 でもいなくなってもいい存在、と思われているのは確かだ。


 その命令をしてから三人は屋根裏部屋からいなくなった。



 私は早めに外着を着て屋敷の外へ出ようとして、玄関へと向かった。


 すると玄関で私を待ち構えていたのか、妹のイオラがそこにはいた。


 イオラの後ろには使用人が二人ほど立っている。


「お姉様」

「イオラ……」


 彼女の蔑み見下すような視線を受けて、私は背中に冷や汗が流れる。

 小さい頃から彼女に見下され続け、時には暴力も振るわれて。


 私はイオラを見ると不安や恐怖で心臓が縮むような感覚に陥るようになっていた。


「お姉様は可哀想ね。私の嘘で罰を受けることになって」

「……」

「お姉様の言うことは誰も信じない。全員が私の嘘を信じる。お姉様の味方は誰もいないわ」

「っ……」


 そんなのは、昔からわかっている。

 生まれてから自分に味方がいるなんて、思ったことがない。


 両親もイオラも、私のことを目の敵にしているから。


 この「魔の印」が手の甲にあったせいで。


「あなたがなんでまだ生きているのかわからないわ。私だったらとっくに自殺していると思うわ」

「っ……」

「本当に目障りだわ。まあでも、あなたを見るのは今日で終わりかもね」


 イオラはそう言うと、彼女の後ろに立っていた使用人達に視線を送った。


 彼らが持っているのは、バケツ?

 瞬間、私はバケツの中に入っていた水をかけられた。


「っ、つめた……!」


 冷水だ。

 私は頭からつま先までびしょ濡れで、着ていた服も上着も濡れている。


「ふふふっ、その姿のまま雪が降っている外で一晩過ごしたら、どうなるかしらね」


 今の姿でも凍えそうなのに、このまま外に出たら……。


 確実に凍死してしまう。


「ほら、早く出て行きなさい。一晩、ここに帰ってきちゃダメよ」

「っ……」

「さようなら、オリビアお姉様」


 最後にふっと笑ってから、イオラは私の前から消えた。

 本当なら部屋に戻って服を着替えたいのだが、目の前にいる使用人達が許してくれないだろう。


 この人達も私が死んでも問題ない、むしろ邪魔だと思っているのか。


 やっぱりここには、私の味方は一人もいない。


 私は泣きそうになりながらも、涙をこぼすことなく屋敷から出た。

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