ウィンド・マスターズ 異色の風使いたち

駿河 晴星

第1章 藍色の目を持つ少女

1-1 村が炎に包まれたその日

 村が炎に包まれたその日、咲羅さくらは異色の仲間と出会った。


      ◯


 咲羅は藍色の目を持っている。宵の口の空のような、明暗が混じった青である。

 その静かな目で、積雪の中にそびえ立つ大桜を見つめる。何本もの幹があわさってできた根本は黒々として粗く、ところどころ苔に覆われている。添え木はなく、地面を這うように横に伸びた枝もあった。

 枝先の蕾はほぐれ、先が緑色に染まりつつある。


(もう三週間ってところかな)


 春の匂いに、咲羅は微笑む。

 大桜の太い幹に抱きつく。樹皮は固いが、温かい。肌を刺すような冷たい空気がやわらぐような気がして、ほっと息を吐いた。

 ふと、高い子どものような声が聞こえる。


『おはよう、さくら』

『さくら、おはよう』

「おはよう、みんな」


 あいさつを返すと、ケラケラと楽しそうな笑い声が響き、やわらかい風が吹きぬける。声の正体は、大桜に宿る精霊たちだった。


『きょうは、なにする』

『きょうは、どうする』

「今日も勉強だよ」

『さくら、たいへん』

『さくら、がんばれ』


 精霊たちは簡単な言葉しか喋らないけれど、話を理解することはできるらしい。咲羅が大桜へ日参する理由は彼らだった。誰にも言いたくない。言えない。でも、溜め込みたくない。そんな悩みや日常の些細なことまで精霊たちに聞いてもらい、からだの中から吐き出すのだ。そうすると、清々しく一日が始められた。


 幹から離れた咲羅は、大桜の根本にある、枯れた松の葉を重ねて作った敷物の上に腰を下ろした。ふわりとやわらかい。朝露で湿ってはいるが、積雪の上に座るよりは濡れずに済む。背を大桜の幹に預け、咲羅は昨日の出来事を語る。


――庭先の寒椿にメジロがやってきて、たくさんの花びらを落としたこと。そのことを両親に報告したら、受験に落ちるんじゃないかと父が慌てだし、不吉なことを言うなと母に頭を叩かれていたこと。夜中に熱を出した子どもがいると連絡が入り、両親が慌てて出ていったこと。


「明日はお父さんが車で送ってくれるらしいけど、急患が入ったらどうするんだろう。バスでの行き方も調べておくべきかなあ」


 明日は高校入試だ。


『あした、しんぱい』

『しゅうすけ、たよりない』


 精霊たちが呆れたように言った。もし精霊の顔が見えたなら、眉を下げ、唇を尖らしているのだろう。マスコットによくある、かわいらしい顔を想像した咲羅はふふっと笑った。


 受験への不安や、高校生活でしたいことなどを話しているとあっという間に時間が経ち、空全体が紺青色から水色に変わりはじめた。そろそろ両親が起きてくるころだ。


 咲羅は立ち上がり、いつものように別れを告げた。また明日と伝えた。

 しかし、精霊たちからの返事がない。さきほどまで楽しげな声をあげていたのに。

 どうしたのかと尋ねようとすると、村のある南側から強風が吹く。


(谷風……? こんな朝早くに?)


 麓から山頂に向かって風が吹きあがることはめずらしくない。しかしそれは、日差しによって地面が温められてからだ。


 いつにないことに咲羅は身構えた。他にも何か起こるのではないか。不安に怯えた咲羅の耳に、巨大な風船が弾けたような破裂音が突き刺さる。


(いたいっ!)


 両手で耳を押さえる。キーンと耳鳴りがする。

 また、強風が麓から吹きあがる。重機で木材が折られるような音が山に轟いた。瓦のような硬いものが割れる音。人々の悲鳴。すべて風に乗ってやってくる。黒煙や白煙が、村の方から上がりだす。


 背筋がぞわぞわとした。冷や汗が吹き出し、額から頬に伝う。

 咲羅は走りだした。


『いっちゃだめ!』


 精霊たちの声を無視し、枯れた枝葉と雪が混じる松林を全速力で駆け抜ける。

 鼓動が速まり、胸も腹も痛む。不安が体内で渦巻く。


 麓に近づくにつれ、人々の悲鳴と焦げた匂いが強まった。

 シダをかき分け、村を見渡せる場所へ出る。


 絶句した。


 村を横断して流れる星川。その両岸に建ち並ぶ家屋が、火の海にのまれ黒煙をあげている。村役場や小学校、村唯一の商店、郵便局、咲羅の両親が働く診療所、多くの民家があかく、あかく染まっている。蛇行する星川がまるで火の龍のように見えた。


(家は⁉︎)


 崖ぎりぎりまで身を乗り出す。咲羅の生家は星川と離れた場所にぽつんと建っている。今いる北山の麓である。黒い瓦が乗った家は燃えてもいないし、壊されてもいなかった。


 しかし、両親が無事だという保証はない。お人好しの彼らは、きっと村の中心に行ってしまっている。

 咲羅は帰路を急いだ。

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