図書委員は意外と忙しい

 ギターケースから、チャラっと軽い音がした。


「あ、それ、ムッキーだよね。ネズミーランドの」

「うん、そうだよ。小さなころ、家族で行ったの。ムニーのキーホルダーもあったはずなんだけど、どこにやっちゃったのかな」

「そんなに昔から? 楼珠ろうずはものを大切にするんだね」

「そんなことないよ、なんとなくだよ」


 火曜日は毎週、学校の近くにあるアップル楽器でバンド練習をしている。


 あたしは、広い国道の隅にある歩道を、自転車を押す葉寧はねいと図書委員の話をしながら歩いた。


 図書委員の仕事は、意外と忙しい。単にカウンターで座っているだけかと思ったら、返却した本の整理、これが意外と面倒。


 他にも、本を元の場所に戻さない生徒がいるから、時々、見まわったり、見つからない本を借りたい生徒と一緒に、本棚をまわったり。


 葉寧はねいは「うんうん」と頷いていた。そんな話をしているうちに、アップル楽器に到着し、バンドメンバーが全員そろうのを待ってスタジオ入りした。


 新学年になってから初練習ということもあり、スタジオを借りたものの、話をしている方が多かった。


 葉寧はねいはドラム担当。他には、ボーカル兼サイドギター担当の高須たかす弥生やよい、ベース担当の鴨田かもだ奈々音ななねがいて、合計四人で演奏している。


 あたしは、リードギター担当。


 三人とも同じ学校だけど、この楽器屋さん経由で知り合った。バンド結成してから約一年半、今ではすっかり仲良くしてもらっている。


 練習が終わり楽器を片づけていると、葉寧はねいがドラムセット越しに話しかけてきた。


楼珠ろうずさ、なんかちょっと、クラスで浮いちゃっているよね。寺沢さんのせいかな」

「そんなことないよ、気にしてないから。むしろ寺沢さん、会釈してくれたりするんだよ」


「そうなの? 大丈夫?」


 弥生やよい奈々音ななねが心配そうな表情をしながら、あたしの顔をのぞき込んだ。三人ともケースに楽器をしまっているところで、しかもしゃがんでいるから距離が近い。


 ちょっとドキドキする。


「寺沢さんって、寺沢てらさわ穂美ほのみさん?」


 ジーっというファスナーを滑らせる音がした後、奈々音ななねが口を開いた。


「うん、寺沢てらさわ穂美ほのみさん」


 奈々音ななねの顔を見ると、ちょっと斜め上の方を見て口をへの字に曲げていた。


「あの子の彼氏さ、楼珠ろうずに振られたことがあるんだよね」

「え、そうなの?」

「うん、二年生の時、二人とも同じクラスだったから」

「そっか」


 なんだか面倒なことに巻き込まれるのかな。いや、もう、巻き込まれ始めている。


「でも、あの子の性格上、嫌がらせはしてこないと思う」

「うん、そんな気はする」


 寺沢さんが下校時に見せてくれた、会釈を思い出した。


 楽器屋を出て、少し歩くとあたしはみんなと別れた。三人とも自転車で通学している。奈々音ななね弥生やよいはT字路を右、葉寧はねいは次のT字路を左に曲がって帰宅する。


 あたしはそのまままっすぐ直進。狭い歩道を歩いていたら、すぐ横を、ガタンガタンと大きな音を立てて電車が通過した。ちょっと油っぽい機械のにおいを含んだ風が吹いた。


 駅を通り越して踏切を渡ると、駅の改札に着く。肩が少しきしむ気がする。ソフトケースとは言え、ギターがちょっと重い。


 ここから電車に乗って、終点まで行ったら降りる。そして改札を抜けると目の前にエスカレーターと階段。下校する時は、ここを登って大きな駅の二階に上がる必要がある。


 あたしが最初に乗る電車は、大きな駅に隣接していて、次の電車に乗り換えるには改札を出なければいけない。これがあたしの通学経路。


 今日は大きな駅には向かわず、改札を出て右に曲がった。そして徒歩で約七分、「大通り広場」という看板の向こうにあるエスカレーターに乗った。


 若者なら歩けよ――そんな声が聞こえてきそうだけど、最近、膝が痛むからしょうがない。


 ひらっと、腰から下が少し涼しくなった。太ももから布が離れる感覚がある。


 風だ。ここは風が強い。すぐ後ろに人がいても見えないだろうけど、エスカレーターの手前から見たら、ちょっと見えるかもしれない。まあ、スパッツ履いているからいいけど。


 エスカレーターを登りきると、広いテラスになっている。数メートルほど、ひさしがあり、そこを抜けるとビルの上まで見える。


 見上げると、完全に日没してもまだ真っ暗ではなく、濃い紺色になった空が見えた。よく見ると、灰色の雲が少し見える。ここでビルを見上げると、ほぼ、真上を見るぐらい高い。


 既に室内の方が明るく、布のシェードを通してやわらかい光を放っている。シェード越しでも、本棚や本を読んでいる人のシルエットが見える。


 また風が吹いた。テラスも風がそこそこ強い。春の風が頬を撫でた……と言いたいところだけど、あたしの髪がバサバサと動くのがわかる。頬を叩いているのは風ではなく金色の髪だ。


 二つの自動ドアをくぐると、低いソファのような椅子と本棚に囲まれた「マチカフェ」が見えた。


 図書館には時々寄るけど、いつもは素通りして三階のラノベが置いてあるコーナーに行く。でも、今日は、見たことのない男性がマチカフェの中にいることに気が付いた。


 なんとなく気になって、いつも通るルートではなく、三階に行くにはちょっと大回りするほうを選んだ。こちら側にはハイカウンター席があって、自然にマチカフェの近くを通ることができる。


「いらっしゃいませ」


 しまった、なんとなくお店のカウンター前で立ち止まってしまった。あたしはすかさずメニューを見て、こともあろうに一番高い飲み物を注文してしまった。


「あの、ミルクヴィエンナください」

「はい、かしこまりました。ホットにしますか?」

「ホットで」

「はい、ミルクヴィエンナ、ホットで」


 黒いワークキャップをかぶった背の高い男性は、夜桜のような淡くも綺麗な笑顔で答え、隣にいる女性スタッフにメニューを伝えた。


「それでは、お会計をお願いします」

清水きよみず君、学割」

「あ、すいません」


 清水きよみずさんって言うんだ。もうひとりカウンターの中にいる女性スタッフが、目の前の男性に声をかけた。


「学割ありますが、学生証、お持ちですか?」

「ありますけど……」


 なんとなく、名前を知られるのが嫌だなと思って躊躇していると、勝手に値引きしてくれた。きっと制服パワーだ。


 あたしはお金を払うと、いつもとはちがう違和感、というか、違和感がないことに違和感を覚えた。なんだろう、これ。


 それにしても「ミルクヴィエンナ」って何だろう? 苦かったらどうしよう?


 いや、ミルクって書いてあるぐらいだから、きっと大丈夫。


 数分後、番号を呼ばれてカップを受け取ると、あたしは幅の広い階段を使って三階に上がった。膝は痛むけど、エレベータはちょっと遠回りだから。


 そしてティーンズコーナーに向かい、読みかけのラノベを見つけ出すと椅子に座った。


 この図書館は本をゆったり読んだり、学生が勉強したりできるよう、テーブルと椅子がたくさんある。学生以外に、会社員らしき人もたくさんいる。


 あたしはギターケースをガラスの手すりに立てかけ、椅子に座ってラノベを開いた。でも、どうも内容が頭に入ってこない。


 違和感のない違和感……なんだろう? これ。


 そんなことを考えていたら、ミルクヴィエンナの味は全然わからなかった。スマホを見ると、図書館に来てから既に一時間が過ぎている。


 あたしはラノベを元の棚に戻し、ギターケースとバッグを持ち、ゆっくり階段を下りた。


 清水きよみずさんはまだ働いていた。マチカフェはもう閉店していて、お店の片づけをしているようだ。


 カウンターもきれいに拭いているようで、なんとなく飲み干したカップを置くのは気が引けた。それより、カウンターは窓のようになっていて、既に閉まっていた。


 これは新しい発見だ。


「あの、すいません」

「はい、カップですね、あ、僕が片づけます」


 清水きよみずさんは振りかえり、マチカフェから出てきてカップを受け取ってくれた。あたしは、彼の目元を観察した。


 そうか、あの人、あたしのことを見ても、全然、物めずらし気に見なかったんだ。ほとんどの人は、初対面の時、一瞬だけど目が少し開く。


 でも、あの人は、ごくごく普通に接していた。あたしのことを知っているんだろうか?


 こののせいで、あたしは知らないのにあたしを知っている人は多い。


 正直、あまり得をしたことがない。次、清水きよみずさんがいたら、思い切っていてみよう。



  ♪  ♪  ♪



 水曜日、今日は図書委員の仕事もなく、バンド練習もなかったので、そのまま電車に乗り、大通り図書館に行ってみた。


 元々は帰宅する予定だったけど、気分転換に図書館で宿題をすることにした。ここはエアコンが効いているし、小さめに流れているBGMが心地いい。はっきり言って、自宅より快適。


 昨日と同じように二つの自動ドアをくぐったけど、マチカフェに清水きよみずさんはいなかった。時間が早かったのかな。


 八時過ぎ、マチカフェを見たけど、女性スタッフが二人いるだけで、清水きよみずさんはやっぱりいなかった。


 カウンターの前を通り過ぎようとしたとき、カップ専用のゴミ箱を見つけた。あ、ここに捨てればよかったんだ。


 木曜日、どういうわけかまた図書館に来てしまった。今日も清水きよみずさんはいない。七時ごろ、トイレに行くために大きな階段の前を通ったら、二階のマチカフェに清水きよみずさんがいた。


 ひとりだけワークキャップをかぶっているし、背が高いのですぐにわかる。


 あたしはゆっくりと幅の広い階段を降り、ちょっと迷ったけど、意を決して……と思ったら清水きよみずさんが振りかえり、先に声を掛けられてしまった。


「いらっしゃいませ」


 心臓がバクバクする。首の辺りの血管、波打っているかもしれない。


「えっと、どこかでお会いしたことありますか?」

「ええ、一昨日おととい、ご来店くださいました」

「そうじゃなくて、もっと前です」

「いえ、会ったことはないと思います」


 あっさりと清水きよみずさんは答えた。


 今日は落ち着いてメニューを読み、キャラメルラテをオーダーした。名前からして、これは間違いない。


「はい、ありがとうございました」


 女性スタッフが、カップを渡してくれた。


「あ、ありがとうございます」


 こんな時、なんとなく、お礼を言ってしまう。


 あたしは、宿題の続きをやり始めたものの、すぐにキャラメルラテのカップを眺めた。


 猫舌なので熱い飲み物はすぐに飲めないということもあるけど、清水きよみずさんのことをちょっと考えてしまった。


 まあ、たまにはあたしの髪の色や瞳の色をまったく気にしない人もいるから、そういう人なのかもしれない。


 八時過ぎ、二階に降りていくと、火曜日と同じように清水きよみずさんはお店の片づけをしていた。

 今日はカップをゴミ箱に、と思ってお店の反対側に行こうとしたら、清水きよみずさんがこっちを見た。


 一昨日と同じように、清水きよみずさんはお店の中から出てきてくれた。


「あ、よかったら片づけます」

「すいません、ゴミ箱に入れようと思ったんですが」

「いえ、大丈夫です」


「あの……」

「どうしましたか?」

「さっきは変なこといてごめんなさい」


 清水きよみずさんは、きょとんとした顔をした。


「大丈夫ですよ」


 笑顔で答えてくれた。その目は、やっぱり、金髪なんて、全然めずらしくないという、ごくごく普通の目だった。


 はあ、みんなこんな風に接してくれたらいいのにな。


 大通り図書館のそばにある、あたしがいつも使っている電車の駅……二つ目の駅で電車を待った。横断歩道がそばにあるので、信号が変わるたびに人が歩いていく。


 みんな、奇妙なものを見るような目であたしを見ている。慣れたけど、やっぱり気分のいいものじゃない。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


基本、このシリーズでは、文字をひと文字ずらしたりして登場する施設名などを表現していますが、「ネズミ-ランド」だけは面白いかな? と思って、書いてしまいました。


他の作品でも、きっと使われているであろうネタでは無いかと思います。



おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。

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それではまた!

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