しおりんと科学界のガラスの天井
ある秋の午後、栞は自室で最新の物理学ジャーナルを読んでいました。論文の著者名を眺めていると、ふと気づいたことがありました。
「あれ?」
栞は眉をひそめました。
「女性の名前が少ないぞ」
彼女はページをめくり、次の論文、そしてその次の論文と確認していきましたが、同じ傾向が続きます。女性の名前はあっても、筆頭著者や責任著者になっている例は極めて少なかったのです。
「なぜだろう?」
栞は首をかしげました。
「女性にも才能がある人はたくさんいるはずなのに」
栞はパソコンを開き、科学界における女性の割合について調べ始めました。様々な統計資料を見ていくうちに、彼女の表情は次第に曇っていきます。
「これは……予想以上に深刻な問題だ」
その時、扇華が部屋に入ってきました。
「しおりん、こんにちは! あれ? 何か悩み事?」
栞は真剣な表情で扇華を見上げました。
「扇華、女性科学者が少ないって知ってた? 特に上位職になるほど、その傾向が顕著なんだ」
扇華は少し驚いた様子で栞の隣に座りました。
「そうなの? でも、しおりんみたいな優秀な人もいるじゃない」
栞は首を横に振ります。
「それが問題なんだ。才能のある女性はたくさんいるはずなのに、なぜか科学界では活躍できていない。これには何か構造的な問題があるはずだ」
栞は資料を指さしながら説明を始めました。
「まず、教育段階から差が生まれているんだ。小学校の頃はむしろ女子の方が理数系の成績が良いことが多いんだけど、中学、高校と進むにつれて、女子が理系を選択する割合が減っていく。これには社会的なステレオタイプが影響しているらしい」
扇華は真剣に聞いています。
「ステレオタイプ?」
「うん」
栞は頷きます。
「『女の子は理系に向いていない』とか『科学は男性の仕事』といった固定観念のこと。こういった考えが、無意識のうちに女子生徒の選択に影響を与えているんだ」
栞は続けます。
「でも、それだけじゃない。大学や研究機関でも問題があるんだ。例えば、アカデミアでは長時間労働が当たり前になっていて、家事や育児との両立が難しい。これは特に女性に不利に働く」
扇華は考え込むように言いました。
「確かに、そういう環境だと、結婚や出産を機に研究を諦める人も多そう」
「そう」
栞は力強く頷きます。
「それに、研究費の配分や昇進の決定プロセスにも無意識のバイアスが存在するらしいんだ。同じ業績でも、女性より男性の方が高く評価されやすいという研究結果もある」
扇華は驚きの表情を浮かべます。
「そんなことがあるの?でも、それって不公平じゃない?」
栞は深刻な表情で答えます。
「その通り。これは『ガラスの天井』と呼ばれる問題なんだ。目に見えない障壁が、女性の昇進を妨げている」
栞はさらに説明を続けます。
「それに、ロールモデルの不足も大きな問題だと思う。女性の上位職が少ないということは、若い女性研究者にとって目標となる存在が少ないということ。これが悪循環を生んでいる可能性がある」
扇華は真剣な面持ちで聞いています。
「じゃあ、この状況を変えるには何が必要なの?」
栞は少し考えてから答えました。
「まず、社会全体の意識改革が必要だと思う。科学に性別は関係ないということを、幼い頃から教育していく必要がある。それと同時に、研究機関や大学での制度改革も重要だ。育児支援や柔軟な勤務体制の導入、公平な評価システムの確立などが求められる」
栞は熱心に語り続けます。
「それから、女性研究者のネットワーク作りやメンタリングプログラムの充実も効果があるはずだ。先輩女性研究者からのアドバイスや支援は、若手にとって大きな励みになる」
扇華は感心したように栞を見つめていました。
「しおりん、すごく詳しいね。でも、なんでこんなに熱心なの?」
栞は少し照れくさそうに答えます。
「それは……私自身も将来、科学者になりたいと思っているから。でも同時に、才能ある人が性別を理由に機会を奪われるのは、科学の発展にとっても大きな損失だと思うんだ」
扇華は優しく微笑みました。
「そっか。しおりんなら、きっと素晴らしい科学者になれると思う。そして、後に続く女の子たちのロールモデルにもなれるはずだよ」
栞は少し赤面しながらも、決意を込めて言いました。
「ありがとう、扇華。私は諦めずに頑張るつもりだ。そして、いつか科学界のガラスの天井を打ち破りたい」
扇華は栞の肩を軽く叩きました。
「応援してるよ、しおりん。私にも何かできることがあったら言ってね」
栞は感謝の笑顔を浮かべました。
「うん、ありがとう。扇華の支えがあるから、私も頑張れるんだ」
二人は窓の外を見つめます。そこには、まだ見ぬ未来が広がっていました。栞の心には、科学への情熱と、より公平な世界を作りたいという願いが、静かに、しかし力強く燃えていたのです。
その夜、栞は自分のノートに新たな目標を書き記しました。
「世界中の女の子たちに、科学の魅力を伝えること。そして、誰もが平等に機会を与えられる科学界を作ること」
栞はペンを置き、満足げに微笑みました。
この目標に向かって、彼女の新たな挑戦が始まろうとしていたのです。
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