天才ひきこもり少女・栞の日常

藍埜佑(あいのたすく)

しおりんのお掃除大作戦

 真夏の陽射しが窓から差し込む土曜の午後。

 しおりの部屋はいつも通り、本やフィギュア、ゲーム機器で溢れかえっていた。

 床には漫画が積み上げられ、机の上にはパソコンの周りを囲むようにエナジードリンクの空き缶が林立している。

 その中心で、栞は寝転がってスマートフォンを片手に何かを熱心に閲覧していた。


 ピンポーン。


 玄関のチャイムが鳴り、栞はわずかに顔を上げた。


「はーい、どーぞー」


 ドアが開き、栞の親友である扇華おうかが顔を覗かせる。


「こんにちは、しおりん! 元気? って……あれ?」


 扇華は部屋の中を見渡し、目を丸くした。


「しおりん……ここ、最後に掃除したのいつ?」


 栞は慌てて座り直し、周囲を見回した。


「えーと……昨日か……一昨日か……一週間前か……一ヶ月前?」


 扇華は深いため息をついた。


「それはだめだよ、しおりん……。ねえ、掃除、手伝おうか?」


 栞は急に身を縮めた。


「だめ! これは私の秩序なの! カオスの中の美しい調和! ここに触れたら、私の創造性が死んでしまう! ここは私の聖域サンクチュアリなの!」


 扇華は優しく微笑んだ。


「でも、きれいになったら、もっと効率的に趣味を楽しめるんじゃない? 新しいフィギュアを飾る場所だってできるわよ」


 栞は少し考え込んだ。


「う~ん……それは確かに……」

「じゃあ、やってみない? 私が手伝うから」


 栞は渋々頷いた。


「わかった……でも、私の大切なものは絶対に捨てちゃダメだからね!」


 扇華は嬉しそうに手を叩いた。


「もちろん! さ、始めましょう!」


 二人は掃除を始めたが、すぐに問題が発生した。栞は掃除の仕方がわからず、本を一冊一冊丁寧に拭いていた。


「あの、しおりん……そんなやり方じゃ日が暮れちゃうわ」


 栞は真剣な顔で答えた。


「でも、こうしないと埃が完全に取れないよ? ほら、見て。この本の角にまだ0.01ミリの埃が……」


 扇華は優しく栞の手から本を取り上げた。


「まずは大まかに片付けましょう。細かいことは後でね」


 栞は不満そうな顔をしたが、突然目を輝かせた。


「あ! そうだ! これを『栞の大掃除クエスト』にしよう!」


 扇華は首をかしげた。


「え? クエスト?」


 栞は興奮気味に説明を始めた。


「うん! 例えば、本を10冊片付けたら100ポイント、服を5着たたんだら50ポイント……そうやってポイントを貯めていって、最後に『栞の部屋、ピカピカエンディング』を目指すの!」


 扇華は微笑みながら同意した。


「面白そう! じゃあ、私も参加していい?」

「もちろん! 扇華は回復魔法の役割ね。私が疲れたら、励ましの言葉をかけてポイントを回復させてね」


 こうして、二人の「大掃除クエスト」が始まった。栞は思いのほか熱心に取り組み、本棚の整理を始めた。


「ねえ扇華、この『量子力学入門』と『宇宙物理学概論』、どっちを先に並べるべきかな?」


 扇華は困惑した顔で答えた。


「え? 普通のアルファベット順でいいんじゃない?」


 栞は首を横に振った。


「違うの。これは宇宙の秩序に従って並べなきゃ。だから……」


 栞は15分間、本の並べ方について熱弁を振るった。

 扇華はため息をつきながらも、栞の話に耳を傾けた。

 栞はなまじ頭が良すぎるせいか変なこだわりが強かった。


 時間が経つにつれ、少しずつ部屋は片付いていった。

 しかし、栞はすぐに疲れ果てた様子を見せ始めた。

 基本HPが少ないのである。


「はぁ……もう無理……扇華、回復魔法お願い……」


 扇華は優しく栞の背中をさすった。


「よく頑張ったわ、しおりん。ほら、お茶でも飲んで休憩しましょう」


 二人がソファに座ってお茶を飲んでいると、突然、栞の目が輝いた。


「あれ……?」


 栞は立ち上がり、片付いた空間を見回した。


「この空間……インスピレーションが湧いてくる! なに? なに? なんで? 宇宙のエネルギーがここに集まってる? あ! 扇華、私、新しい小説のアイデアを思いついた!」


 扇華は嬉しそうに微笑んだ。


「それはよかったわ! でも、その前に……」

「そうだった! 掃除クエストの続き!」


 栞は再び熱心に掃除を始めた。

 扇華も笑顔で手伝い、二人で協力して部屋を片付けていった。


 夕暮れ時、部屋はかなりきれいになっていた。床には空き缶の山こそなくなったものの、栞の大切なフィギュアや本は綺麗に整理されて並んでいた。


「わぁ……こんなにすっきりするなんて」


 栞は驚いた様子で部屋を見回した。

 扇華は満足げに頷いた。


「本当に素晴らしい変身ぶりよ。しおりん、よく頑張ったわ」


 栞は少し照れくさそうに頬を掻いた。


「ううん、扇華のおかげだよ。ありがとう」


 その時、部屋の隅からニャーという鳴き声が聞こえた。

 栞の飼い猫のモウモウが、きれいになった床でくつろいでいた。


「あら、モウモウったら。きれいになった部屋、気に入ったみたいね」


 扇華が笑いながら言った。

 栞はモウモウを抱き上げ、優しく撫でた。


「うん、モウモウも嬉しそう。ね、モウモウ?」


 モウモウは幸せそうに喉を鳴らした。


「あら、もうこんな時間。そろそろ帰らないと」


 扇華は時計を見て言った。


 栞は少し寂しそうな顔をした。


「うん……今日は本当にありがとう、扇華」

「いいのよ。また来週来るからね。その時はもっときれいになってるといいな」


 扇華はウインクしながら言った。

 栞は頷いた。


「うん、頑張る! ……かも」


 二人は笑い合い、扇華は帰っていった。

 部屋に一人残された栞は、きれいになった空間を見渡しながら、新しい小説のアイデアをノートに書き始めた。モウモウは彼女の膝の上で丸くなり、幸せそうに眠っていた。


 窓の外では、夕焼けが美しく空を染めていた。

 栞の新しい日常が今日も静かに流れていく。

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