第57話 地下の牢獄回廊での出会い

「ギャーくっさァッ!? ってか、あーしのおっぱい触ってんの誰だコラァ~!!!」


 何も見えない真っ暗闇の中、酷い癇癪を起こしたイルヴィが誰かをぶん殴る。


「いでッ!?」


 まあまあ広そうな空間に、ガルカらしき男の声とドボンと大きな水音が響き渡った。


 その時、頭上から青い光が舞い降りてくる。


 それはブロッソニア由来の光だった。

 光源の元は筒状になった脚先。優雅な佇まいでゼファーたちの頭上を滞空し、青い光で煌々と照らす。


 青い光に照らされたゼファーたちは、骸骨の山に折り重なるようにして倒れ伏していた。恐らくはこの大量の骨がクッションになったことで、大きな怪我をしなかったのだろう。

 また彼らの周囲にはゴミや小動物の死骸があちこちに散乱。通路脇には水路が走り、まるで下水道のような光景が広がっていた。


「クゥ・シー様。我がこうしている間に、明かりの確保を」


 しかし、クゥ・シーからの返事はない。


「……クゥ・シー様?」


 肝心の上級荷物持ちエリートポーターであるクゥ・シーは、鼻を押さえてもだえ苦しんでいた。

 苦しみの原因はこの場に漂う酷い悪臭。敏感な犬の嗅覚にとってこの臭いは相当辛いに違いない。

 だが、それは一般的な人種にとっても同じ。クゥ・シーほどではないが、ブロッソニアとメルアリアを除いて皆一様にしかめっ面をしていた。


 とにかく、クゥ・シーが役立たずなため、ユイドラが代わりに明かりを用意する。

 クゥ・シーが背負うバックパックからランタン的な魔道具を取り出し、明かりを灯す。


「ありがとうございます、ユイドラ様」


 明かりが確保されたため、ブロッソニアがゆっくりと地面に着陸した。


「礼はいい。それより、この……苦しんでいるクゥ・シーはどうすればいい? 放っておけば死にそうだぞ」


 クゥ・シーはというと全身をピンと伸ばし、エビぞりでビクンビクンと体を痙攣させていた。

 明らかに命の危険がありそうな苦しみ具合であった。


 状況を静かに見守っていたメルアリアが、解決策を提案する。


「確か……カエル行商人ケロケロ様からアンデッドのお面を貰っていたでしょう? ここに漂う悪臭は主に死体の臭いですので、それを被れば多少はマシになるのでは?」

「なるほど、試してみる価値はありそうだ」


 そう言って、ユイドラがクゥ・シーのバックパックを漁る。

 割とすぐに目当てのものを発見し、早速クゥ・シーの顔に無理やり被せてみる。

 犬的なクゥ・シーの顔の形状にフィットするためか、アンデッドのお面がぐにぐにと変化。


 こうして、アンデッドぽいゾンビ犬が一匹出来上がった。


「ハッ!? こ、ここはッ……どこ!? あてしはあたし!??」


 クゥ・シーが無事に意識を取り戻したことから、どうやらアンデッドのお面には酷い悪臭を軽減する効果があるようだ。


 一同がほっとしたのもつかの間、下水道の汚水の中から汚泥に塗れたドロドロ男がうめき声をあげながら這い出てくる。


「ヴァーーーッ!??」

「ぎゃあーーーッ、ゾンビ男ぉーーーッ!??」


 悲鳴をあげて驚くクゥ・シーを見て、何故かドロドロ男も驚く。


「うわぁーーーッ、ゾンビ犬ぅーーーッ!??」


 そのドロドロ男をよくよく見ると、なんとガルカであった。


 信じられないものを見る目で、ゼファーが言う。


「そ、そんなとこで何やってんの?」

「何って……誰かに突き落とされたんだよ!??」


 そう言いながら、這い上がってくるガルカはビチャビチャのドロドロ状態。

 せっかくのおろしたて衣装や装備は茶色に染まって全てが台無し。臭いの方も酷い悪臭を放っていた。


 そんなガルカに対して、イルヴィが素知らぬ顔で言う。


「ワー、酷い有り様だねー大丈夫そォ?」

「全然大丈夫じゃない……けど、まあうん。差し引きゼロって感じ?」


 どういうわけか、ガルカはまんざらでもない様子だった。

 その思春期男子的な反応からして、下水に落ちた不幸よりも、ラッキースケベで好きな女の子の胸にタッチできた幸運の方がわずかに勝ったのかもしれない。


「ンーよくわかんないけど、なんか大丈夫そーだねェ」


 イルヴィはイルヴィでこれ幸いにと、謝らなくて済んでめでたしめでたしという顔をしていた。


 数人がかりでガルカの汚れに対応しつつ、ユイドラとメルアリアがこれからどうするかを話し合う。


「さて、こんな汚い場所とは早くおさらばしたいところだが……」

「道は前と後ろに二つ。どちらを選びますか?」


 ユイドラは前と後ろを交互に見やる。

 しかし、特に脱出の手掛かりになりそうなものはなかった。


「運任せの手探り探索をしなければならないとは……まいったな」


 これからの方針を決めかねていたその時だった。


 どこか遠くから金属同士がぶつかる甲高い音に混じって、人の怒号が響いてくる。

 音が聞こえてきた方向は恐らく前方。明らかにゼファーたち以外の誰かが戦っている戦闘音であった。


「これは……よし、方針は決まりだ。同業者を助けに行くぞ」




   §    §    §




「おい若いの! 死にたくなかったら、縮こまってないで戦わんかい!?」


 ずんぐりむっくりした老ドワーフがごつい戦鎚ウォーハンマーを振り回しながら、地面に縮こまる青年に怒声を浴びせていた。


 酷く怯えた様子でブルブルと震える青年は、背中の大きい漆黒の羽からして大鴉族レイヴンだろう。

 ちなみに、大鴉族レイヴンとはかつて部族国連合【ザッハ】にあった国の一つ。しかし、大鴉族レイヴンの国【レブロ】は二十年ほど前に滅んでいるため、今では割と珍しい種族である。


 よくよく見れば青年は非常に整った顔立ちをしていた。

 覇気のない優男顔、大きな隈が目立つ双眸、バキバキに割れた丸眼鏡とイケメンが台無しだが、それでもまだ美青年。

 また青みがかった黒髪はオールバックの長髪。戦闘の邪魔にならないよう、ちょうど首の位置から毛先までを一本のおさげのようにしてまとめられていた。


 やや残念さが漂う美青年は小声でブツブツと何かを呟いていた。


「メナ、オルテ、レタ、ジョーゲン、ダン、リー、クラウ……皆、そんな顔で見ないでくれ。僕は英雄なんかじゃない……クズ野郎なんだ」


 青年が挙げた名前は七人。しかし、この場にいるのは老ドワーフに大鴉族レイヴンの青年。他に牛人族ミノスの女性が二人の合計四人だけ。

 どう考えてもここに存在しない人間に話しかける言動からして、明らかに精神がおかしくなっているようだ。


「そこのバカを当てにすんのはやめな! ありゃ使い物にならん!」


 そう突き放すのは、ウェーブした赤髪短髪が美しい牛人族ミノスの女性。牛らしく漆黒の二本角はとても立派。

 また長身かつ褐色肌の筋骨隆々な肉体を覆うのはビキニアーマー。非常に露出度の高い煽情的な姿で豪快に戦斧を振り、複数のゾンビをまとめて薙ぎ払う。

 まるでバーサーカーのようなめちゃくちゃな戦いぶりであった。


「ならどうする!? 流石のワシももう限界じゃぞ!!」


 そう言って、老ドワーフが体力の限界を訴えていた。

 高齢ながらも前線を支えるその奮闘ぶりは、年齢以上の大活躍で称賛に値するもの。とは言え、老体ではここが限界。完全な手詰まり状態を迎えてしまっていた。


「ひぃ~ん! このままじゃ全滅だよぉ~!」


 今にも泣き出しそうな顔をしているこの女性も牛人族ミノスだった。

 同じく二本角は漆黒で立派なもの。髪型は薄ピンクのおさげツインテ。うっとおしそうなほど長い前髪は前が見えているのか非常に怪しい。

 あとこちらも高身長だが、弓使いらしく身軽な軽装に包まれた肉体はやや脂肪多めでむっちり体型。もちろん、褐色肌である。


 所々に多少の差異はあるものの、牛人族ミノスの女性二人は恐らく姉妹。

 一見すると今にも泣き出しそうな方が妹に見えるが、果たして?


「いぃ~やぁ~! 私、こんな場所で死にたくないよぉ~! せめて、死ぬなら可愛いぬいぐるみに埋もれて死にたいぃ~!」


 泣き言を漏らしながらも、身の丈ほどの巨大弓を使ってゾンビたちを狙い撃つ。

 その正確無比な射撃は一射も外すことなく、全てが必中。見かけや言動と裏腹に、凄腕の技術で前衛をアシストしていた。


 この四人が戦っているのは、円形ドームのように開けた空間の奥。

 出入り口となる場所からは離れているため、完全に袋のネズミ状態であった。


 今この瞬間にも、二つの通路から次々にゾンビが押し寄せて来ていた。


 襲い掛かるゾンビたちを倒すが一向に数は減らない。

 なのに、戦う三人の体力は減り続ける。その上、ここは落とし穴にはまったものが落とされる隔離空間なため、救援は当てにできない。


 どう考えても、状況は絶望的だった。


 そしてついに、老ドワーフと赤髪短髪の牛人族の女性がゾンビにまとわりつかれ押し倒されてしまう。

 それを助けようとするピンク髪の牛人族の女性であったが、もうすでに巨大弓を引き絞る力は残されていなかった。


 雪崩のように押し寄せるゾンビたちに囲まれ万事休す。

 もはやここまでかと思われたその時――双刃刀ダブルブレードを携えた少年が、ゾンビたちを蹴散らす。


「おーい、まだ生きてっかあ~!」


 絶体絶命のピンチにいの一番に現れたのはゼファーであった。


「よし、キレーなお姉さんの生存確認! んじゃ、ちょっくら片付けてくっから!」


 それから、ゼファーたちアウレリラがゾンビたちを一掃し、円形ホール広場を確保した。

 すると、クゥ・シーが持っていた明かりにすがるように這いよる人影が一つ。


 それは残念な美青年であった。


「あぁ! 光だぁ……」


 そう言って、強引にクゥ・シーの明かりをひったくってしまう。

 明かりを愛おしそうに抱きしめる美青年は、心底安堵した顔でホッと目をつぶっていた。


 そんな弱り切った姿を見せられてしまえば、クゥ・シーとしても明かりを奪い返すことなどとてもじゃないが出来るわけがない。

 それに明かりは予備がある。


 とりあえず、クゥ・シーはバックパックから予備を取り出して、明かりを確保し事なきを得るのだった。


 こうして状況が落ち着いたことで、白神官メルアリアが残念な美青年以外の負傷した三人に癒しの神聖魔法かけていく。


天日てんぴ慈光じこうが差し照らす、その恵み、女神ソルテナの慈悲と知れ――サンライトヒール」


 まず最初に、温かな太陽の光が包むのは老ドワーフだった。


「ふぃ~、死ぬかと思ったわい。おぬし等は皆、命の恩人じゃ。心より感謝申し上げるぞい」


 そう言って、老ドワーフがゼファーたちに深々と頭を下げていた。


 治癒が済んだ老ドワーフの隣に、ユイドラが座り込む。

 懐からサッとギルドカードを提示し、手短に名前と階級を伝えるとあることを尋ねる。


「早速ですまないが、ここについて知ってることを聞きたい」


 ユイドラにならって、老ドワーフの方もギルドカードを提示する。

 名前はガンギ・ゴージン、年齢は66。星の数は六つ。六ツ星シックススターズの銀等級冒険者であった。


「ワシが知ってるのは、ここが出口のない環状回廊であるということ。数日の間、歩き回って確かめた。さしずめ――牢獄回廊といったところか」

「……なるほど、これは面倒なことになったな」


 ユイドラは牛人族ミノスの女性二人と大鴉族レイヴンを見ながら言う。


「あっちのは同じパーティーか?」


 その問いに答えたのは、赤髪短髪の方の牛人族ミノスだった。


「あたいら姉妹とじじい、あとそこの玉無し。全員別のパーティーさ」


 そう言って、乱暴にギルドカードを投げ渡す。

 名前はミュー・リィ、年齢は22。星の数は六つとガンギと同じ銀等級冒険者であった。


 既にメルアリアから治癒を受けたのか、ビキニアーマーから覗く褐色肌に傷はなし。

 ただ、古傷らしき傷跡が肩、腹、太もも、そして顔にとあちこちに点在。バーサーカーらしい戦闘スタイルの激しさを物語っていた。


 ミュー・リィが横にいる姉妹について話す。


「こっちは双子の姉のミュー・ルル。星は一個上の七ツ星セブンスターズだ」


 ユイドラはミュー・リィに近づくと、ギルドカードを返しながら自分のギルドカードを提示。

 それから、二人にも尋ねる。


「何か有益な情報はあるか?」

「はいは~い、私知ってますぅ~!」


 ミュー・ルルが右手をビシッと伸ばして挙手していた。


「聞かせてくれ」

「実は……すごぉ~くヤバそうな雰囲気を持った魔物が一体うろついてるんですっ。黒い甲冑姿で元は騎士様みたいな……黒騎士って表現がぴったりなヤツが!」

「あたいたちは死体に紛れて、何とかやり過ごすしかなかったけどさ……あんたらなら多分倒せるんじゃないのか? あそこにいるのは今話題の勇者様――」


 その瞬間、この場にいる全員が一斉に沈黙していた。

 通路の方からガリガリと何かを引きずる音。それに加えて、ガシャンッガシャンッと甲冑らしき音が近づいてきたからだ。


 ゼファーたちが入ってきたのとは反対側の通路から姿を現したのは黒い甲冑姿の騎士――黒騎士だった。

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