第53話 カエル魔法は人を狂わせる
「やれやれ……どうして人という生き物は皆、ギャンブルがお好きなんでありましょうか? 全く、運否天賦ほど怖いものはないというのに……」
カエル行商人ケロケロは心底呆れた様子でそう言った。
あまり乗り気そうでない反応に対して、クゥ・シーが心配そうに尋ねる。
「もしかして、今はそんな気分じゃない……って感じなんでしょうか?」
「いえいえ、料金を払って頂けるのならば大歓迎ですとも!」
「じゃあ――」
ケロケロが真剣な顔で忠告する。
「――やめるなら今の内でありますよ?」
「ご心配ありがとうございます。ですが……あたしはこの時のために聖女神金貨を溜めてきたんです。是非、カエル魔法をお願いします!」
「ちなみに、軍資金はどれほどでありますか?」
そう聞かれたクゥ・シーはフェアリーを呼び出す。
頭にヘンテコな壺を被った羽の生えた小人に、何やらお願いをすると手のひらサイズの宝石箱がポンと出現した。
「聖女神金貨がこの宝石箱の中に四種類、それぞれ十枚ずつ入ってます。合計して、十億ゴールド。いかがでしょうか?」
パカッと開かれた宝石箱の中にあったのは聖女神金貨四十枚。
ソルテナ十枚で四億ゴールド。ザルティアッハ十枚で三億ゴールド。ユリスティア十枚で二億ゴールド。ノルトゥーン十枚で一億ゴールドである。
「なるほど、やや心もとないでありますが……まあ結局は、運次第でありますからなぁ」
「十億ゴールドで少ないのですか……参考程度になんですが、他の方達の軍資金について聞いてもいいでしょうか?」
「前回……と言っても三十九年前でありますが、その方は二十六億ゴールドと少しだったであります」
緊張した様子のクゥ・シーが不安を唾ごとごくりと飲み込む。
しかしながら、そんなことをしても不安は紛れない。どうしても我慢できずに、その人がどうなったのかを尋ねてしまう。
「にッ、二十六億もかけたんです……それなりの成果は――」
ケロケロが予想外の結末を告げる。
「――カエルになってしまったであります」
「………………は?」
クゥ・シーはポカンと口を開けて、間抜け顔を晒していた。
当然である。二十六億ゴールドを払った結果がカエルになってしまう、では答えになっていない。明らかに、話の流れがおかしすぎて理解できないのも仕方のないことであった。
「大金を失った人間が心を壊してしまうのは当然の摂理。心神喪失状態となり、小生に危害を加えようとしたせいで……カエル化現象の呪いが発生してしまったのであります」
ギャンブルで破滅した人間の末路を聞いて、クゥ・シーの決心が揺らいでいた。
そんな心の機微を察知して、ケロケロが今一度尋ねる。
「やめるなら今の内でありますよ?」
クゥ・シーはギュッと目をつむって一呼吸の間、逡巡する。
宝石箱を持つ手がかすかに震えているのは恐怖心か、それとも武者震いか。
「……二言はありません。カエル魔法を、お願いします!!!」
そう言って、ケロケロの手に聖女神金貨が入った宝石箱を押し付けた。
破滅してしまった人間の話を聞いてなお、大金を惜しげもなく突っ込むらしいクゥ・シーに、ゼファーら周囲の仲間たちはドン引きしていた。
「お、おいおい……マジで十億突っ込む気かよお!? やめとけって! ぜってーろくなことになんねーからさ!!」
ゼファーが必死な様子でクゥ・シーを説得するも、当のクゥ・シーは自信満々にこう返す。
「ふ、ふふふ……あたし、ここ最近特に運が悪いんです。だって、酒場での賭けポーカーで負けっぱなしですもん。つまり、今が運のどん底。となればそろそろ運が上向いて、当たりの流れが来る可能性が高いッ――いや! 絶対に来るという確信があるんですッ……!!」
「何言ってるかよくわからん!? でも、よくわかんねーこと言ってる時が一番ヤバいんだって!」
クゥ・シーは根っからのギャンブル狂いであった。
オカルト的な謎理論を振りかざす辺り、もはや手遅れに近いレベルの依存具合であろう。
このままでは破滅は避けられないと、誰もが最悪の末路を想像していた。
クゥ・シーの翻意を促すため、ユイドラがケロケロに尋ねる。
「最後に大当たりを引き当てたのはいつだ?」
「はて……いつだったでありましょうか?」
そう言って、ケロケロは四本指を立てたり折ったりして、何やら数を数えていた。
素早く計算を終え、出した答えは指四本。ビシッと右手を突き出し四本全ての指を立ててのパーであった。
「四年前……か?」
「違うであります。四百年前であります」
結果として、これがクゥ・シーの背中を押してしまうことになる。
「いけるッ……大当たりの流れが完全に来てるッ!! 是非ッ、是非ともカエル魔法をお願いします!!!」
「小生、どんな結果であろうとも……一切責任は持たないでありますよ?」
「構いません!!!」
クゥ・シー以外の人間が頭を抱える中、破滅という名の怪物が待ち受ける恐怖のギャンブルが幕を開けるのであった。
それから、ケロケロはカエル魔法のための準備を始める。
数多の多種多様なカエル族が描かれた民族的な絨毯を広げ、その上にカエルの壺を置く。絨毯は色鮮やかな緑色。カエルそのままの姿を象った壺は緑と紫が混じった毒々しいまだら模様。
またその絨毯の上に、恐らくはカエル族の頭蓋骨を並べること八個。ぐるりとカエルの壺を囲む様に配置した。
そして、謎の法衣に身を包んだケロケロが、カエル魔法の料金について説明する。
「カエル魔法は一回につき一千万ゴールド。軍資金は十億ゴールドということなので、最大百回であります。しかしながら、ちまちま一回ずつだと時間がかかるでありますから、十回をひとまとめでいいでありますな?」
クゥ・シーは無言で頷くと、宝石箱の中から聖女神金貨をそれぞれ一枚、合計四枚取り出して手渡す。
ソルテナが四千万、ザルティアッハが三千万、ユリスティアが二千万、ノルトゥーンが一千万の合計一億ゴールドが果たして、何に変わるのか。
ケロケロが料金を受け取ったことで、交渉は成立。もう一億ゴールドは戻ってこない。受け取った聖女神金貨をカエル型の貯金箱的な焼き物に納めると、懐から十個の魔石を取り出す。
それをカエルの壺に投入し、蓋をする。
「ケロケロケロケロケロケロケロケロ……ケロケロケロッケーッ!??」
ケロケロがカエル語で謎の呪文を唱えるとカエルの壺が震えだし、蓋の隙間から銅のような茶色の光が漏れだす。
壺の震えが収束し、ピタリと沈黙した瞬間、カエルの壺のカエルの目が怪しく光輝いていた。
「ふむ、大当たりなら金色に光るのでありますが……これは外れでありますなぁ」
そう言って、何の躊躇もなくカエルの壺を絨毯に叩きつけて割ってしまう。
中から出てきたのは、どれも価値があまりなさそうな石ころの数々。確かに魔石が別の物質に変化していたが、何とも夢のない結果となってしまった。
虚ろな目で眼前の光景を呆然と眺めるクゥ・シー。
目の前の有り様をどこか遠くに感じながら、心がキンキンに冷え切っていく。心底ゾッとする心中で、こう思っていた。
(うそ、一億ゴールドがたった数秒でゴミに……?)
カエル魔法の恐ろしさを、大金が秒でなくなるギャンブルの異常さに恐れおののく。
今更ながら、カエル魔法がもたらす圧倒的な虚無感を味合わされていた。と同時に、自分がとんでもない沼に足を踏み入れてしまったことも自覚する。
がしかし、ギャンブル狂いのクゥ・シーは止まらない。否――止まれない。
失ってしまった一億ゴールドを回収するべく、更に一億ゴールドを投入する。
ケロケロが絨毯に手をつくと、粉々になったカエルの壺が逆再生をするみたいに元通りに。それに再び十個の魔石を投げ入れ、カエル語の謎の呪文を唱える。
「ケロケロケロケロケロケロケロケロ……ケロケロケロッケーッ!??」
クゥ・シーが両手を合わせて祈るも、またしても外れ。
増えたガラクタに目を落としながら、全身の毛を逆立て目を血走らせる。
恐ろしい形相でギャンブルに打ち込むクゥ・シーが見ていられないため、ゼファーが止めに入る。
「なあクゥ・シー、やっぱやめた方が――」
「――バカ言わないでください! 最低限、失った二億を回収しなければ……いえ、せめて損失を半分に出来れば……はッそうですッ、大当たりを引けばいいのです。もう十回お願いします!!!」
ギャンブル狂いがこうなってしまえば、もう止まらない。
この先にあるのは破滅か、勝利か。本人は栄光を夢見て一心不乱に前進しているつもりだろう。だが他のものからしたら、破滅へ向かって崖を転げ落ちているようにしか見えなかった。
「ケロケロケロケロケロケロケロケロ……ケロケロケロッケーッ!??」
この流れで大当たりなどくるはずもなく、今度も外れに終わる。
たった数分の内に三億ゴールドが失われ、代わりに手に入れたのは三十個のガラクタ。未だ何の成果も得られていないため、クゥ・シーの呼吸が乱れ始めていた。
その後も変わらず、一億ゴールドを差し出し十個ずつガラクタが積みあがっていく。
そんなこんなで、九億ゴールドを捧げ九十個のガラクタが生まれた。なんとこの間、たったの十分足らずである。
クゥ・シーの軍資金は残り一億ゴールド。すぐそこに終わりという名の破滅が迫っていた。
「オエッ……ゥオェエッ、オッエェエエエ~ッ!?」
あまりの絶望感に、クゥ・シーは吐き気を催していた。
しかしそれでもなお、最後の希望は捨てない。ブルブルと震える手で、最後の聖女神金貨をケロケロに手渡す。
「ケロケロケロケロケロケロケロケロ……ケロケロケロッケーッ!??」
カエルの壺から漏れ出る光の色は茶色。
ケロケロが壺を割るも、当然価値のあるようなものは存在せず。
結局、最後まで金色に光ることはなかった。
「ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!?」
クゥ・シーは負け犬の遠吠えをあげながら、駄々をこねるようにもがき苦しむ。
地面の上に寝っ転がり、みっともなく手足をバタバタ。全身でもって行き場のない感情を、絶望感を体現していた。
さらに目からは大粒の涙が流れ、鼻水と涎で顔がぐちゃぐちゃに。もはや、言語能力を失い遠吠えを上げることしか出来なくなっていた。
「ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!?」
そんな哀れな負け犬に、ケロケロが無念そうに告げる。
「素晴らしく運がなかったでありますな、クゥ・シー殿は……」
嘆き続けるクゥ・シーの姿が相当に哀れに見えたのか、それともケロケロの良心が痛んだのか、バックパックからあるものを取り出して手渡す。
「残念賞として……このアンデッドのお面、あげるであります」
ケロケロが手渡したアンデッドのお面とは、被ることで一部のアンデッドと対話が可能になるアイテムである。
対話ができるからなんだという気分になるが、なんとその価値はおおよそ五百万ゴールド。これ単体で十分に高価値だが、今回のカエル魔法で失った十億ゴールドを補填するにはあまりにも足りない。
そのため、クゥ・シーの心が落ち着くわけもなく、
「ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!?」
と受け取ったアンデッドのお面を被りながら、おどろどろろしい負け犬の遠吠えをあげ続けていた。
それどころか、ケロケロのバックパック付近に無造作に置かれていた速乾の
「あー、その速乾の団扇も差し上げるであります」
速乾の団扇が一千万ゴールド。アンデッドのお面が五百万ゴールド。合わせてたったの一千五百万なため、クゥ・シーの発狂が治まるわけがなく……。
「ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!? ワ゛オ゛ーーーン゛ッ!?」
誰もがこの惨状にどう後始末をつければいいんだ、と思い悩む中。
唯一、前に足を踏み出したのはブロッソニアであった。
「お久しぶりですね、ケロケロ様。あれから四百年ですが――我を覚えておいでですか?」
「お? おぉ、あなたはもしや……ブロッソニア殿では!? いやぁ~懐かしいっ、その節はどうもお世話になったであります!」
なんとケロケロとブロッソニアの二人には面識があった。
ブロッソニアの語り口では、出会いは四百年前。大当たりが出たと話した時期も四百年前。つまり、前回大当たりを出した者とは……。
ブロッソニアは内緒話をするように、小声で話す。
「単刀直入に申し上げます。当時のアレはユイドラ様で再現可能でしょうか?」
「アレ、でありますか。実のところ、可能ではありますが……小生の口からアレを申し上げるのはとてもとても、口が裂けても言えないでありますよ」
「であれば、我の方から言うしかなさそうですね」
「ほッ、本気でありますか?」
「えぇ、本気ですとも。クゥ・シー様をあのままには出来ないですからね。まあ、同性からであれば……多少は何とかなるでしょう」
こそこそと密談をする二人の視線が、ユイドラを捉える。
当然、不躾な目でじろじろと値踏みされるのは不快極まりない。
「なんだ二人して……気色悪い目で私を見るな」
そう言って、ユイドラは不快感を露にしていた。
スタスタとユイドラに近寄るブロッソニアが、満を持して言う。
「ユイドラ様、我に――下の毛を恵んでいただけないでしょうか?」
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