夏休みの夕闇~刑務所編~
苫都千珠(とまとちず)
第一章 夕闇の出会い
夕闇の出会い
独房に射し込む光の方向でおおよその時刻を知る。
……もう夕暮れ時か。どうりでムクドリの騒がしい声が聞こえてくるわけだ。
この部屋の窓は、僕の目線の遥か上に一箇所しかなく、そのうえひどく小さく、ご丁寧に鉄格子まではめられている。……独房なのだから当然か。
鉄格子の隙間からは、曖昧な色をした空と、下半分を朱に染めた雲だけが見えていた。その部分をじっと見ていると、ここが天空に浮かんだ場所のように思えてくる。
あ、夏の匂い。
「夏」に特別いい思い出があるわけではないけれど、夕刻の物悲しさと湿気が溶けた夏の気配にノスタルジーを感じる。
この世界に本格的な夏が訪れる頃には、自分はもうこの世にはいない。……死を目前にしているから、原因不明の郷愁に襲われるのだろうか。
特にやることもない僕は、部屋の隅に置かれたベッドに座って静かに時間が過ぎるのを待っていた。
せめて本でもあれば、暇が潰せていいんだけど。でも、まぁ、いいか。本はもう十分、好きなだけ読んできたしな。もうじき死ぬっていうのに蓄えるべき知識もないだろう。
さて、何を考えて時間を潰そうかな。……。
……
……
……
するとその時、ベッドに腰掛けている僕の目線の高さ、およそ1メートルほど離れた場所の虚空に、突如ブラックホールを思わせる黒い穴が出現した。中心が黒くて、渦を巻いているように見える、漆黒の謎の穴。
目の前の非日常的な現象になかば呆然としていると、その『ブラックホール』の中から一人の女の子が降ってきた。
ドサッという痛そうな音とともに、彼女は盛大に尻もちをつく。
「いったぁ………」
緩やかにウェーブした黒い髪を、肩まで伸ばした女の子だ。両耳にはキラキラと輝く螺旋状のワイヤーが揺れる、金色のイヤリングを付けている。そして首元には、1センチほどの幅の黒いチョーカー。
彼女が纏っているのは、ちょっとばかり変わった服装だ。煤やら砂埃やらで汚れたボロボロのマントみたいなものを羽織って、革製の胸当てを身につけている。
……え、日本人?……っていうか、現代人?とりあえず……声をかけた方がいいのかな。
突然の侵入者に対して、僕は律儀に挨拶をする。
「えっと……こんにちは。君は誰?……もしかして、これは夢?さっきまでしっかり目を覚ましていた気がしたけど、違ったのかな」
お尻のあたりをさすりながら立ち上がった彼女は、僕の方を見た。
変わった瞳の色。
濃い青と濃い紫と濃い緑が混じり合った中に、煌めく三つの光が射している。
まるで水晶玉の中に宇宙を閉じ込めたかのような……不思議な瞳だ。ずっと見ていると吸い込まれそうな、そんな目をしている。
「……多分あなたはしっかり覚醒してるわ。夢じゃなく、これは現実。
というわけで……はじめまして。私は
「……ごめん、色々わからなくなってきたな……。まず、何だっけ?君は『火置ユウ』?」
僕は頭を抱えて尋ねる。生まれて初めて聞いた単語『時空の穴』については、一旦スルーすることにして。
「あら、一度にたくさん喋りすぎた?そう、私は火置ユウ。多分……21歳。久しぶりにこの世界に戻ってきたんだけど、戻って来る場所を失敗しちゃったみたい。たまにあるのよね……こういうことが」
………この世界が久しぶり?彼女の言う『世界』って『国』のことかな?久しぶりに日本に帰国した、みたいな。大分無理やりな帰国方法を選んだみたいだけど……。
「…………大丈夫?」
彼女が心配そうに――ちょっと怪訝そうに、俯いた僕の顔を覗き込む。
果たして大丈夫なのか?大丈夫ではない気もする。毎日何の刺激もない場所にいるから、精神がおかしくなってしまったんだろうか?
でも……思えば僕は、刑務所に入る前も刑務所の中と大して変わらない生活を送っていた。
誰とも喋らず、朝のランニングをして、決まった時間に食事を取って、ぼんやりと空想して、気の済むまで読書をして一日を終える。
ほら、今の生活とそんなに変わらない。変わらないなら、おかしくなる理由はないはずだ。
「…………えっと、まだ混乱してるんだ。ちょっと情報を整理させて。とりあえず今は、新しい情報は出さないでほしい。そしてできれば、僕の質問に一つずつ答えてほしい」
「……わかった。あなた……のんびり喋る割に、すごくはっきり物を言うのね」
「そう?まぁ、そう言われることもあるかも。オブラートに包まないタイプだねって。……で、えっと、これは夢じゃないんだよね?君に聞くのも変だけど」
「さっき言った通り、夢じゃないよ。私は時空の魔女。魔法使いなの」
「……え?」
新しい情報を出さないでと言ったばかりなのに……魔法使いってどういうことだ?思わず顔をしかめ、眉間に指を置く。
「…………ま、そういう反応になるよね、わかる。でも、本当だから。……それより、ここはどこ?まさかあなたの家、じゃないわよね?さすがに殺風景すぎる。家具がベッドと机しかないし。しかも窓には鉄格子がある」
彼女は僕の独房をぐるりと一周見渡して僕の方に向き直り、片眉を上げ肩を竦めた。
10センチもあろうかというほどの高いヒールが、コツコツと小気味よく鳴る。ブーツの素材は鞣なめした皮だろうか。騎手が履くブーツのような、機能的なデザインだ。
高いかかとのブーツを履いているというのに、彼女の背はそこまで大きくないように見えた。……きっと小柄な女の子なんだろう。
「……そうだね。窓が一つしかなくて自分の意志で自由に出入りができない家には住みたくないな。
……ここは刑務所だよ。刑務所の、囚人番号2084の部屋。言うまでもないけど、囚人番号2084は僕のことだ」
「これからあなたのことを2084って呼べばいいの?」
目の前の男が囚人だという情報に触れても眉一つ動かさずに、彼女は尋ねる。囚人慣れでもしてるのかな。
「……呼び方は任せるけど、一応本名を教えておこうか。僕の名前は、灰谷ヤミ。よろしく」
「ヤミ、ヤミ……。うん、私って人の名前を覚えるのが苦手だけど、あなたの名前は覚えられそう。だって変わってるもの。よろしくね、ヤミ。とりあえず数日は……ここにいることになると思うから」
……今、なんて言った?数日……ここにいるだって?
「…………どうして数日ここにいることになるの?」
「一度時空の穴をくぐると、次に時空の穴を作るまでに時間がかかるのよ。魔法ってそんなにお手軽なもんじゃないの。特に時空をいじる魔法はね」
「……君は本当に魔法使いなの?」
「さっきのを見なかったの?魔法使いじゃない人間が、時空の穴から落ちてきたのを見たことがある?」
「『魔法使いが』時空の穴から落ちてきたことすら見たことがなかったよ。ほんの10分前までは」
「……そうね。ま、この世界には本来魔法はないからね」
なんか、調子が狂うな。あまりにも当たり前に会話が進んでいくから。あまりのスムーズさに謎の心地よさを覚えてしまうくらいには、会話の波長が噛み合っているし。
「…………で……君は――えっと、火置さんは……」
「『火置さん』?ふふ、学生みたいでいいね」
「……火置さんは、どうしてこの場所に来たの?さっき『久しぶりにこの世界に戻ってきた』って言ってたけど」
「ちょっと、気になることがあってね……。この部屋を出られたら、そのことについて調べてみる予定。
ところでさ、これからちょっとお世話になるんだから、あなたのことを教えてよ。ここから出られないし、やることないしつまらないから、お話でもしない?」
なんて脳天気な提案。
でも、いいか。ちょうど僕も暇してたわけだし。どうやって時間を潰そうか考えていたくらいだったから。
しかもよく考えたら……誰かとこんな風に会話をしたのって、すごく久しぶりだな。
覚えている限りだと……。…………。
…………本当に覚えていない。それくらい久しぶりだ。刑務所にいる時はもちろんだったけど、刑務所に入る前だって、一人でいることが多かったから。
こうして、僕と彼女の奇妙な刑務所生活が始まったんだ。
そしてそれは、僕にとっての…………最後の悲劇の始まりでもあった。
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