夜行虫

136君

1

 ガヤガヤ出した雑踏の中、人々の朝が始まる。右は左へ行き交う人々。文明社会のど真ん中である今日では、人々の片手にはスマートフォン、両耳にはイヤホンが入っていて、街に会話などない。あるとするならばビルの大画面に流れているニュースのアナウンサーの声や、歩きながら上司か誰かと電話している声。それも全て人々の足音の中に消えてしまっている。


 そんな街の中に夜光虫のように漂う少女が1人。


「ふっ、はっ、ほいっ!ん〜、ていっ!いでっ!チッ…はぁ。」


少女は人々を縫うように避けながら、ビルとビルの隙間の暗い路地に入る。そして被っていたフードを脱いだ。


「ふわぁ、今夜も楽しかったぁ。」


ボブカットの金色の髪。ノーメイクでありながら目を見張るような可愛さ。身長は高く足は細い。ただし胸がない。オーバーサイズの黒いパーカーに青いデニムのショートパンツ、黒いニーハイの靴下と白いサンダルを履いている。


 彼女の名前は蛍原満月。つい最近まではどこにでもいるような女子高生だった女子だ。


 満月はそのまま路地の奥に進む。仕込みが始まった店から排き出されるガスや溜まっているゴミの臭い、ネズミなど小動物の糞の臭いが漂う道を歩きながら、右眼に黒のカラコンを入れる。ゴミは近くにあったゴミ箱に捨てる。彼女は最近、これがないと昼間の街を歩けなくなったのだ。


 オッドアイ。虹彩異色症と呼ばれるこの瞳は、左右の虹彩のメラニン色素の量が違うことで発現する。満月の場合は左眼の虹彩は黒く、右眼の虹彩はグレーだ。


 満月はそんな自分の瞳が好きだった。出会う人には「綺麗だ」と言われ、自分の存在価値を感じていた。


「眩し。」


路地から再び街に出ると、太陽の光が目を焦がしてくる。


 目が慣れてきたところで見えてくるのは駅から学校に向かっているであろう女子高生の集団。セーラー服にブルーのカーディガンを羽織い、指定の黒い鞄を持っている。すぐに自分と同じ学校の生徒だと分かった。急いでパーカーで顔を隠し、俯いたまま、逃げるように逆方向に歩いていく。


 そんなとき、満月のスマホが鳴った。母からだ。


「いつまでほっつき歩いている気?早く帰ってきなさい。」

「チッ」


満月は電話をすぐに切って、舌打ちをする。そして、家とは逆方向に歩き始めた。


 まず向かうのはネットカフェ。シャワーを借りて、夜遊んだ疲れと共に嫌な気持ちまでも洗い流して、借りた部屋のソファーに寝転んだ。


「何やってんだろうな…私。」


もうとっくに授業が始まっている時間。そんな時間に私服で、寝不足で、こんなところにいる。親の電話もうるさくて、スマホの電源は切った。


「眠っ。」


色々考えていると、一晩の疲れが押し寄せてくる。


 満月はそのまま横になって眠りについた。


 目覚めたのはその5時間後。昼の2時を過ぎたくらいでちょうどお腹が空く時間だ。


「お腹空いた。何か食べよ。」


とりあえずネカフェから出てコンビニに向かう。スナックパンと柚子胡椒味のサラダチキン、そしてサラダを買って外に出た。


 こんな生活をしているけど、健康にはだいぶ気を使っているのだ。学校に行かず、家にもほぼ帰っていないからこそ風邪なんかひけない。風邪ひいて、ネカフェで寝ていて、誰が看病するんだって話なんだ。


 ぶらぶらと歩きながら、ネカフェに戻って、また部屋の中へ。さっきと違う部屋だけど、周りの人も静かだから満月も作業に集中出来る。


 さっき買ったものをつまみながら、DAWを開く。満月の作業の1つはこれだ。音楽を制作し、そしてSNSでそれを発表する。最近はこれでデビューしている人も多く、現代の音楽業界の主流になりつつある。


 しばらく作業をして、ヘッドホンを外した。今日作った曲は今日のライブの後にアップするつもり。データはスマホに移して、PCを閉じる。時間は6時を過ぎ、もうすぐ晩御飯を考えないといけない。が、満月には次にやることがある。


 ネカフェを出て、借りているロッカーに。今日使う衣装と眼帯を取り出し、機材を持った。


「よし。行くか。」


パパッと着替えて、満月は一歩踏み出した。


 「カタメカキ」と聞けばこの街の人なら分からない人はいない。金曜日の夜、ちょうど高校生が帰る時間に合わせて駅前で歌い始める謎の少女。いつも左眼に眼帯をしていて、それでも誰もが分かるこの少女のその容姿に、立ち止まる人も少なくない。もちろん、そんな状態だから満月が通っていた高校の生徒も見るわけだが、歌っている彼女が満月であることは誰も知らない。


 いつものように駅前に準備をして、喉を潤す。まだ歌い始めてもいないのに人だかりができ始めた。用意ができて、マイクのテストをする。そして、喋り始めた。


「みなさん、お疲れ様です。今週もみなさんに少しでも元気を与えられるように、私はこの場所から、みなさんの応援をさせていただきます。それではまず一曲目はこれから。聞いてください。『Bileygr』。」



――――――


あぁ疲れたビルの隙間に

今日も満月が光ってる

君がそこに行ってから

何年経つんだろ


あぁ私が見えていたのは

真実も嘘も全てで

それが嫌になってから

閉ざしたまんまさ


自分の行く末なんか

最初から全部決まっていて

心の奥底のどこかで諦めてしまっていた


あぁ壊れた人の心に

今日も寄り添う人がいる

私はきっとそっち側に

行けやしないんだろ


何気ない一言は

誰かの心をえぐり取って

こぼれてしまいそうな涙も流せずに

「大丈夫」って一言で

どんなに傷ついたんだろう

結局何も言い出せないまま

心を隠していた


You will dieってログを見て

諦めちゃうなんてそんなの甘えさ

生きるか死ぬかの話より

今の私だけを見て

世界に溢れてる音だけ

私が信じるものさ だって

片目を欠いた私だけが

この世の輝きを この世の温もりを

全部まとめてるんだから



目に焼き付いたのは何色?

心に残ったのは誰?

誰もが当たり前に感じること感じなくなって


あぁ疲れた街の隅っこに

今日も満月が光ってる

君が私を見つけてから

何が変わったんだろ


あぁ廃れた身体の中に

今日も猛獣が住んでる

君が私に生まれてから

何年経つんだろ


あぁ間違え続けた過去に

ずっと後悔している

私がここに生まれてから

もうかれこれ18年


You will dieってログを見て

何にも言えない私のこの喉

理解もされないこの姿

今の私は偽物?

世界に届けよこの歌

私が本当に信じたいのは

片目を欠いた私だけが

欠けた美しさを 欠けた尊さを

全部知っているから


Where to go?

I don't have any plans.

失くしたものを

探すため私はどこにでも行こう

I know…

正解なんてどこにもない

偽善者だらけの

こんな世界にbye bye-bye


――――――


ラストロが終わって、満月はマイクを離し、呼吸を取り戻す。周囲からは歓声が上がり、週末の駅前を盛り上がりに溢れさせた。


「ありがとうございます。あっ、そうだ。このライブの映像、じゃんじゃんSNSにあげてくださいね。やっぱり、私1人じゃみなさんに元気を分けきれないので。」


そうお願いすると、また歓声が上がる。一人一人の顔を見れば、以前からずっと来てくれている人や、今回初めて見る人、さまざまな人が満月の前に集まっている。


「それではみなさん、次の曲行きますね!次の曲は…」


そのあともライブを進め、6時半を回った頃にライブを終えた。


「みなさん、今日もありがとうございました。いい週末をお過ごしください。」


そうマイクを通して言うと拍手に包まれ、そして人々が散っていった。


 その中に1人だけ残った学生がいた。満月が通っていた学校の制服を着ている、女子高校生だ。満月はもちろんその顔に覚えがあって、でも、そのことが悟られないように片付けを始めた。


「満月、だよね?」

「いいえ、違います。」

「やっぱりそうだ。満月ちゃん、久しぶり。」


そう言いながら近づいてくる女子を満月は振り払うこともせず、そのまま片付けを続ける。


 満月はもちろん、その女子のことをよく知っている。彼女は柳原伊月。満月とは同じクラスの1人だ。伊月は満月のことを悪く言うことのない友達で、満月が休むようになってから何回も連絡をとって心配していた。


「心配したんだから。ちょっとぐらい時間ある?久しぶりに話そ。」

「ん。でも、そんな時間あるの?明日学校でしょ?」

「学校行ってない満月には言われたくないな。」

「んぐ。」


満月はとりあえず道具を片付け終わって、バッグの中に詰める、


「準備できたね。行こ。」

「まだ行くとは言ってないんだけどな。」

「よいではないかぁ。」


笑う伊月に手を引っ張られ、満月は夜の街を駆け出した。

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