時間切れ
塔から突き出た鉄骨に、何度も激突する。エツランシャの血肉が飛び散り、神谷の体も変形する。体の外側の骨が次々ひしゃげねじれ、入れたばかりの肩も外れた。衣類と皮膚が鉄骨に削り取られ、しかし、刀剣だけはけっして放さなかった。
二人はやがて、塔のアンテナ部の、根元に行き着いた。最後の鉄骨にエツランシャが激突すると、刀剣がその肉から抜け落ちた。神谷は床を転がり、血の線を引く。数秒後に停止し、しばらく息を詰めた。痛覚が麻痺するほどの負傷。まだ動けるのか、判断が必要だった。
主要な骨がいくつも折れている。皮膚は裂け、ところどころ摩擦で焼けつき、肉がこげている。だが、臓器が破裂したり、砕けた骨が致命的な動脈を突き破った様子はない。生きている。だが激しくは動けない。身をよじり、這いずる。エツランシャにとどめを刺すことはできる。
エツランシャは最後に激突した鉄骨の直下に倒れていた。その姿は赤と黒の血にまみれ、それゆえに透明だった肉が浮き上がり、人型を成している。神谷はエツランシャに近づき、その喉をかき切ろうとして、やめた。
エツランシャの心臓は、着色された胸肉からも露出し、ズタズタになっていた。
エツランシャが神谷を見る。警告灯のように赤く、弱々しく光る眼球。それを見つめて、神谷は訊いた。
「お前は誰だ……?」
エツランシャは赤黒い血を吐きながら、答えた。「誰でもない」と。
「私は『みんな』さ。分かっているだろう。神谷修二」
「お前のために、大勢が死んだ。大勢が地獄に落とされた」
「そうだろうとも。だが、必要な地獄だった。こうしてあまたの人々が苦しむのは、必要なことだった」
「……」
「神谷修二。あなたが右園宮を攻略した時。右園の姫君を殺した時。この国の人々は、勘違いをしたんだ。人類が平安時代から続く戦争に勝ったと思った。勝って、それゆえに、戦うために犯したいくつもの間違いが、正当化されたと、あるいは忘れていいものになったと、思い込んだ」
「……」
「違うんだよ。間違いは間違いでしかなく、我々が犯してしまった非道で野蛮な行いは、けっして正当化されてはならない。犠牲の大きさを直視せずに、平和な未来へ進むことは許されない」
「だから、地獄を蒸し返したか?」
「……おかげで、あなたは助かったろう。政府や軍部、牧野周平の後継者どもが権力の座に居続ければ、あなたは永遠にやつらの道具だ。やつらは戦勝者の正当性を手にし、今まで以上の無敵の暴政を続けただろうからな」
「俺が、喜んでいるように見えるか」
「あなたにはできない戦いだった。となりで死ぬブラインドマンが、見知った者である可能性におびえたことはないか? 右園死児報告に記された一言二言の悲劇に、かけがえの無い大事な誰かが含まれている、そんな想像に心を引き裂かれたことは? あなたなら、あるはずだ。あなたはそういう人だ」
「……」
「政府と軍部が推し進めてきたのは、そういうことなんだ。大衆が言外に認めてきた右園死児対策は、そういう地獄をともなう戦い方なんだ。被害の矮小化、覆面化……けっして正当化してはならない。存続させてはならない。だから金輪部隊という形で、啓蒙したんだ。この国がやってきたことの本質を」
「金輪部隊の仮面の下に……誰の顔があるかは、分からない……。家族、友人……それぞれの怒りを抱えた、善良だったかもしれない人々……」
「そうだ。そうだとも。彼らは右園死児との戦争で犠牲になった人々の化身だ。彼らと戦えるか? 大事なものを守るために犠牲にできるか?」
「……」
「殺した金輪部隊の仮面を、剥ぐ勇気があるか? 顔を確認せずに捨て置く勇気があるか? そう訊きたかった。なかったことにして、正当化できるのか。いつまで経っても帰ってこない家族や愛しい人を自分が見捨てた、殺した可能性に耐えられるのか。すべての人にそう訊きたかった」
「お前は、誰だ」
「……」
「誰を失った」
「私は、ただ、あなたの戦いを、見ていた。傷つきながら、見ていたんだ。ただ、ただ、見ていた。見ていることしかできなかった」
「……」
「あなたになりたかった。最後まで人間の側に立つ、強い人になりたかった」
「……」
「……でも……私にはもう……人間を、愛しいとは……思えない……」
「…………」
「さよなら。エツランシャ」
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