ねえ!私をオタクに優しいギャルにしてくれたら、童貞卒業させてあげる!

月猫ひろ

プロローグ

「ねえ!私をオタクに優しいギャルにしてくれたら、童貞捨てさせてあげる!」


 休み時間の教室で寝たふりをしていたら、突然太陽みたいな声が降ってきた。


 え…と…パワーワードすぎて、脳の処理が追い付かないけど、女神様降臨かなにかですか?

 異世界転生して無双スキルをもらえるくらい、あり得ない事象が起きているんですが。


 情報を整理しようか。『オタクに優しいギャル』…それはわかる。オタクの最終幻想であり、全て遠き憧れの到達点。

 オタクを見下すはずのギャルが、オタクにも優しくしてくれるという超絶的なギャップであり、ありえないその事実が脳の理解を超えて僕たちを狂わせる。いわばコミュニティの破壊者。


『クラスの推しNO1』とか『僕だけが魅力を知っている女友達』みたいな汎用属性ではないが、オタク特攻の強烈なアイデンティティを保持している。


「どどどどどどど!?」


 思わず顔を上げると、目前に満面の笑みのギャルが座っていた。前の席の椅子を反対に向け、僕の机に両手を置いて前のめりになっている。


 背は160センチくらいで、細身。金髪のゆる巻きミディがかわいらしい。健康的な肌をしており、どちらかというと白ギャルだ。

 薄着の制服のシャツを着崩し、ネクタイはゆるゆるで、下品でない程度の露出感を披露している。ありがとう。


 顔は美人寄りだがくるくる変わる表情がかわいらしく、ちらりと覗く八重歯がこれまたたまらない。


 彼女はこの学校で一番かわいい天川月乃。いつも笑顔で笑い声がバカでかい、キラッキラの一軍女子だ。

 僕みたいな陰キャオタクに声をかけるなんて珍しい…というか、僕の存在が彼女の視界に入っていたことすら驚きだ。


 そんなが……なんて言った?


『わたしをオタクに優しいギャルにしてくれたら…』いや、そんな部分はどうでもいい!たしか…


「どどどどど、童貞じゃねーし!」


「あははは!マジで童貞臭っw」


「う……いや…その……」


 何が面白いのか、天川は手を叩いて馬鹿笑いしている。

 僕は悪くないはずだが、心底楽しそうな彼女を見ていると、恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまう。


「あ……」


 天川はシャツのボタンを3つほど大胆に開けており、そこそこ大きめの谷間を惜しげもなく見せてくれている。

 大げさなリアクションをしていると…その……弾みでブラが見えそうになっていた。


 もう少し……


 もう少し身を乗り出せば、運よくブラが見えたかもしれない!しかし見栄が邪魔をする。クラスの視線に咎められているようで、覗き込むように動くことができなかった。


 く……どうせ僕のクラスでの評価なんてマイナスなのに、そんなものを気にして特大チャンスを見逃すなんて…何を守るためのプライドだよ!


「気になるの?ピンクだよw」


「え…」


 にたりと笑う唇から、色の名前が紡がれる。愛らしく、湿っぽい笑顔から、ちらりと白い歯が覗いた。

 知りたかったんでしょ?という甘噛みのニュアンスに気付き、頭が沸騰する。


 それが下着の色を明かされたのだと、遅ればせながら理解した。


「あ…や…」


「私のことエロい目で見まくってんじゃんwもう、お願いOKでいいよね?童貞くんw」


「お願いって……あの…ホントなの…?」


「ん!童貞捨てさせてあげるw」


 マジらしい。マジですか?


「あ!私が支払い渋ると思ってん?信用されてないの、メンタルくるー」


「そ、そうじゃなくて…そんな簡単に…いいのかなって…」


「はい?童貞なんて大事にしててもしょうがないじゃーんw」


「そういう意味じゃなくて…」


「ん?どういうこと?私じゃいやとか?んなわけなくない?」


「そ、そうじゃないよ!天川さんが嫌な訳じゃない!いや!天川さんがいいです」


「そんな力説されなくてもわかってるけどw私じゃいやとか、童貞くんが言えるわけないじゃんw」


 ねー?っと、伏せた僕の顔を、天川が覗き込んでくる。

 キラキラした無邪気な表情に、心が突き刺されるようだ。


「と、というか…僕が童貞だなんて証拠は…ないじゃないか…」


「え?誰とヤッたの?」


「ヤった!?だ、だれって……」


「童貞じゃないんなら、誰かとヤったんでしょ?」


 キョトンとした天川。

 やがて好奇心が膨らんだのか、ニマニマと顔を近づけてくる。クッソいい匂いが迫ってくると、自分の口臭が気になってしまう。


「んー…なら童貞捨てさせてあげるじゃなくて、生中とかにした方がよさげ?ピル代出してくれるなら、いーよ」


「あ…う……ぁ…」


「えーwてか童貞くんやることやってんだねー。いがーい。ね、ね!誰とヤッたん?リサとか?ほのちゃんとか?」


 リサとか、穂乃果とか、具体的なクラスメイトの名前があげられる。

 確かに佐藤リサはヤリ〇ンって聞いたことがあるけど……女性陣の視線がヤバい…

 このまま放っておくと、きっと天川はクラス中の女の子の名前を出しかねない。止めねば。


「そ、その…僕は僕が童貞だって証拠がないって言っただけで……その…」


「ん?」


 コイバナでもしてるようなテンションだった天川は、僕のおどおどした様子を見てか、ぴたりと停止した。

 そして僕の顔をまじまじと眺めると、やがて馬鹿笑いを始めたのだ。


「あ、そういうこと?ごめーんwあははははw見栄張っちゃったんねww」


 ああ、そうですよ!童貞ですよ!


「おもろ…wじゃあ、いいじゃん、私で捨てなよwあはははw」


 く……完全に馬鹿にしてる。

 きっと僕なんて、エッチなことで釣れば、喜んで腰を振ると思い込んでいる。


 僕のゴミみたいなプライドが、彼女の提案を断るべきだと叫んでいる。

 そもそも本当にやらせてくれる保障なんてないし、ただからかわれているだけかもしれない。


「……」


 けど……高校生になって初めて女子と話した。


 もちろんプリントを配る時とか掃除の場所決めとかに、事務的なやりとりを交わすことはある。でも一人の人間として言葉を投げかけ、僕の言葉を待ってくれる優しさには初めて出会った。


 たったそれだけのことで、心臓が張り裂けそうだ。


 本当、童貞臭いと思う。けど仕方がないじゃないか、女の子とエ…エッチは愚か、体を触ったこともないのだから。

 もちろん映像作品以外で、肌やおっぱいも見たこともない。


 きっと柔らかいんだろう。頭が破壊されるくらい、気持ちいいに違いない!


 いや、そんな先のことなんてどうでもいい。

 今まで話したこともない僕に、なんで天川が話しかけてくれたのかは知らないし、何をして欲しいのかもイマイチわからない。


 でもこの機会を逃したら、僕は一生童貞のままだろう。

 それどころか、女子と話すこともなく人生を終えてしまうかもしれない。


 僕たち陰キャが女の子と話せないのは、時間がないとか、お金がないとか、仲が悪いとかそんな理由じゃない。単にコミュニティが交わらないのだ。


 たとえば運動部は運動部と話すし、文化部とは関わらないという話。別のコミュニティにいるから、わざわざその壁を越える必要もないと言う訳だ。


 僕たちがコミュニティの壁を越えていかない限り、女の子はわざわざ僕に話しかけてくれる理由がない。


 現在はまだ同じ教室…薄くとも同じコミュニティにいるから、今みたいに女の子と話す機会はあるだろう。しかし大人になったら…本当に女の子のいないコミュニティに追いやられてしまったら、彼女のようにコミュニティの壁を超える能力がない僕は、一生殻に閉じこもることになる。


 童貞とかどうでもいい。一歩…踏み出さないといけない。いや…踏み入れてくれた足を、はねのけるわけにはいかない。

 足を舐めろって言われたら……喜んで舐めてやるさ、JKの足。


「その話って……ウケていいかな…?オタクにやさしいギャルにするっての…」


「てかこっちから頼んでるんだしwウケてくれるの?」


 細い…とても細い糸が切れるのが嫌で、僕は言葉も発せず、ひたすら首を縦に振り続けた。


「必死すぎwキモっw」


 僕の無様な姿がお気に召したのか、天川は弾んだ声で笑う。

 胸がきゅっと絞られ、しびれるような痛みが広がった。メスガキに罵られたいという人の気持ちが、やっとわかった気がした。


「んじゃ、SNS教えてよ」


 天川はスマホを取り出してプラプラさせる。


「SNS?」


「これから連絡とるっしょ?」


 いわゆるDMでやり取りしようというのか。

 しかし泣きたい気持ちがあふれてくる。


「や、やってない…」


 今時クラスのほとんどがSNSをやっており、そのフォロワー数で序列が決まる。

 いや、他の学校のことは知らないけど、この学校ではそれがルールだ。


 しかしそんなルールが適用されるのは、陽キャのみ。僕たちのような陰キャは、情報収集にしかSNSを使っておらず、フォロワーなんて当然0だ。


 エッチな絵師や推しをフォローした趣味全開のアカウントはあるけど、それを天川みたいな人種に見せるのは気恥ずかしくて自壊しそうになる。


「あはは!すごー!SNS難民、初めて見たw」


「……」


「じゃ、メッセージアプリでいーや。なかよぴなかよぴ」


「え?」


「それもやってんの?」


「いいいいいいえ!やってるよ!」


 女子は仲のいい友達にしか、メッセージアプリを教えないらしい。

 それなのに登録してくれるという行為が、まるで裸を見せてくれたみたいに感じて、動悸が激しくなってしまう。


 僕は慌ててスマホを取り出し、天川の表示させた二次元コードを読み取ろうとした。しかし手が震えてスマホが反応しない。


「だっさw水飲むのが下手な猫みたいでかわいw」


「あ…いや…その……あっ!」


「あははははwマジ?」


「ああっ…嘘だろ……」


「あはははははww」


 スマホを落としてしまい、机の下に転がっていく。

 天川の爆笑を遠くに聞きながら、僕は慌ててスマホを拾った。


「あ……」


 スマホを拾うと目の前には……




「あの…QRコード読み取れました」


「なんで敬語なってんのw」


 椅子に座り直して、天川さんのQRコードを読み込む。

 そういう操作をしたのだから当然だけど、僕のトーク相手一覧に天川さんのアカウントが表示される。


 初めて表示される母親以外の女性のアカウント。しかも学年で一番かわいい、僕とは住む場所が絶対的に違う天川さんだ。

 アイコンもツーショット自撮りで、キラキラと輝いている。


「いや…その…天川さんのアカウント、これで間違いないですか?」


 僕は目をそらしながらスマホの画面を見せるが、天川さんはにやにやと笑ったまま返事をしてくれない。

 どうしたのかと視線を戻すと、いつの間にか彼女は身を乗り出して、僕の耳に生ぬるい息を吐きだした。


「ピンクだったしょ?ちゃんと上下で合わせてるからw」


 あ……


「は…はい……」


「はいとかwwwキモッww」


「あの……わざとじゃなくて…」


「えー?私のパンツ見たくなかったってこと?」


「い、いや!そう言う訳じゃなくて…むしろ見たかったというか、見た過ぎたというか、ありがとうというか、でも悪意があったわけじゃなくて…というか、パンツを見るのも報酬のエッチなことに含まれてると思うから、その報酬に関わることを勝手に掠め取るようなことをしてごめんというか、本当にわざとじゃなくて……」


「すごい早口w」


 天川さんはのけぞって大笑いしている。

 普段ならその大きくて無遠慮な声量にイライラしているだろう。


 けれども今まさにこの人にパンツを見せてもらったと考えると、一切の怒りが、綿あめのように消えていってしまう。


 まぶしい生足にかかる、短い制服のスカート。暗い影の奥にちらりと見えた、ピンク色の生地。タイミングよく足を組み替えたのは、きっとわざとだったのだろう。

 僕にとってのファムファタール。きっと二度と逆らえない。


「じゃー、それ前払いだからねー。それ以上したきゃ、お願い聞いてよね」


「はい…」


「マジで童貞くん喜んじゃってんじゃんw起っちゃって動けん?w」


 天川さんは僕の机をバンバンとたたき、いつまでも笑い終わる気配がない。


 僕は僕でちらりと彼女を見て、『服の下は裸なんだよな?』なんて邪な妄想につかまってしまい、どうにも収拾がつかなくなってしまう。


「あ…あの…俺の席……」


 蚊の鳴くような声がして振り返ると、間田力くんが突っ立って僕をにらみつけていた。


 彼の席は、僕の前……つまりは天川さんが座っている椅子だ。いつの間にかチャイムが鳴っていたらしく、間田くんはどこにも座れなくなってしまっていた。


 ただ天川さんに文句をいう勇気もなく、僕の方を向いて話しているのだろう。


 彼も僕と同じ陰キャで、かなり太り気味。顔もニキビだらけで、髪も脂でギトギトになっている。お世辞にも清潔感があるとは言えない。

 まぁ自己肯定感の低さは共感できるので、1軍女子に席を取られた彼が、今どれだけ戸惑っているのかは理解できた。


「ここの席の人?」


「ああ……」


「私の席座ったらいいよ。嬉しいっしょw」


「あ…う……」


 天川さんはあっけらかんというと、間田くんから一切の興味をなくした。

 スマホをいじり、僕にスタンプ連打しながらニヤニヤ笑っている。通知がピコピコうるさい。


 間田くんは何かぶつぶつと唱えていたが、やがて天川さんの席へと向かっていった。


「なにあれ?こっわw」


 間田くんが離れると、天川さんは足をバタバタさせて笑ってる。


「あれ、私の席の感触でオナニーするんじゃない?wあの人ってあれでしょ?話題の女体好きの女性嫌いw」


「あー…」


 天川さんはとても楽しそうだ…が、彼女の行動はあまりよろしくない。

 僕の目標らしい、オタクに優しいギャルからはかけ離れてしまっている。


「でもオタクにやさしいギャルだったら、間田くんにも優しくしてたと思う」


「マジw女神すぎじゃん!私、神になるの?w」


 大きな目をぱちくりさせて、ただただ感心していらっしゃる。

 マジで大変そうだが、それを達成してもらわないと…その…僕の童貞が捨てられない。


「そだ。月乃でいいよ」


「え?」


「名前」


「あ、えっと…月乃…さん?」


「えっととか入れるのウケるwてか、おないなのに、さんってなにw」


 天川さんは僕の肩を叩き、呼吸困難になるほど笑い続けている。

 ちょっと冷たい手の感触……これも無料ってことでいいのだろうか?


 もちろん今は授業中だ。回りの冷たい目など歯牙にもかけないその図太さは、僕の理解の範疇を越えている。いや、超えすぎている。


 今更ながら関わったことを後悔したが、もちろん断る選択肢などあり得ない。


 何度も言うか、彼女は学年で一番かわいい!

 そんなギャルが童貞を捨てさせてくれるというのだ。


 天川さんをオタクに優しいギャルにする方法なんて一欠片も思い付かないけど、こうなったら騙すような形でもいい!

 とにかくそれらしい結果に辿り着いて、報酬を受け取らなければならない。


 緩い肩から覗くブラ紐に心乱されながら、清々しいほどの下心100%で僕は決意したのだった。

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