番外編「テオドールとゴンドル族の闇」

番外編1・テオドールの大学生活

 俺は、自分を偽って生きているわけじゃない。

 ただこの苦しみを、表に出さないまま過ごしてきただけだ。


 だけど彼女との出会いは、

 否応にも俺の気持ちを露見させてしまう事になるのだった。






 大学に入学してから数ヶ月。

 仲の良い友人もできて今日も三人でつるんでいた。


「あ〜、今日も真面目に勉強した〜っ!」

「どの口が言ってんの」


 お調子者のアーベルが、空の下で大きく伸びしながら歩く。

 その隣を、笑いながらも面倒臭そうに対応するライナーが行く。

 そして、ちょっと後ろを歩く俺、というのが毎日の構図だった。


「ねえ、テオもそう思うでしょ?」


 言いながら、ライナーが振り向く。


「そうだね」


 他愛のない会話には否定しない。

 それが俺の処世術。

 

「もう、テオきゅんのいけず!」

「あはは」


 アーベルはいつもこんな感じで笑わせてくれるから、好きだな。

 ライナーもいい感じにアーベルに突っ込むから、見ていて飽きない。

 でも俺は、どうしてだか心は輪の外にいる。

 そんな俺の感覚を見抜いているのかどうかは知らないが、いつもタイミング良くライナーが俺を現実に引き戻す。


「テオ、レポートどうする? 図書館とか行ってみる?」

「ん〜、どうしようかな」

「レポート? なんの?」


 きょとんと訊いてきたアーベルに対して、ライナーが答える。


「俺たち、ゴンドル族の歴史の講義受けたの。で、レポート提出だって」


 俺はやっぱり姉さんがいるから受けておきたかっただけなんだけど、ライナーがこの講義を選択していたのには驚いた。興味があるのだろうか?

 ゴンドル族の歴史はあまり知られていない。戦争があった影響もあるだろうが、記録が少ないのだ。そのため、ハイスクールまでの授業では戦争の関係しか習わない。もっと詳しく学ぶためには、大学か独学しかない。


「ゴンドル族か……」


 アーベルが何か考え込んで、


「そういえば、ゴンドル族で思い出したけど、風俗店でゴンドル族を指名できるとこがあるらしくてさ」


 とんでもないことを言い出した。


「なにそれ、どこ情報? 確かなの?」


 ライナーは本当、冷静だ。

 いや、冷静というよりどうでもいい事に気力を使いたくないから、冗談ならやめてって感じかな。俺がわざわざ突っ込まなくていいから、ライナーがアーベルの相手してくれて本当に助かる。


「センパイに聞いただけだから、確実ってわけじゃないけど。めちゃくちゃイイらしいぜ?」

「ふーん……」


 アーベルはノリノリだったが、対してライナーはあまり興味がなさそうだった。

 俺も黙って聞いていた。万一ボロが出たら困る。

 義姉あねがゴンドル族だなんて知ったら、みんな卒倒しそうだ。

 父さんが聞いたらどう思うだろうか。いや、父さんのことだからきっと知っているんだろう。


「ちょっとお」


 口を閉ざしていると、後ろから女性の声が聞こえた。


「テオ君に変な事吹き込まないでよね!」

「そうそう、テオ君はピュアなんだから」


 女友達のエルザとユーリアだ。

 エルザは艶のある黒髪をアップにしてまとめており、ユーリアはミドルブロンドの髪をボブに切り揃えた髪型だ。他の男から見れば、彼女たちは美人な部類に入るだろう。でも、俺には興味がなかった。二人はあくまでも友達だ。二人は高校から俺を追いかけてこの大学に入ってきたのだろう、普段の態度からバレバレだった。進学先は誰にも内緒にしていたのに、どこからかぎつけたのか……。

 でも俺は無闇に敵を作りたくないし、『みんなに優しいテオくん』でいたいから。


「えーっ、そんなことないよ。俺だって男なんだから、人並みに興味はあるよ」


 笑顔でこう答えておけば、大抵の子は赤くなって期待する。

 ほら、エルザとユーリアも、頬を染めて今何を考えているのかな?


「はいはい。おまえら、ほんっとテオ好きなのな」

「ま、俺たちもでしょ」

「まーな♪」

「えー、嬉しいなぁ。俺、愛されてる〜」


 アーベルとライナーは呆れながらも笑ってる。

 人間関係は面倒だけど、愛されていた方が得でしょ。

 だから俺は今日もみんなが大好き。


「で、どうする? レポート」

「うーん、まだ期日あるし、ちょっと考える」

「わかった。俺はおまえみたいに要領よくできないから、早速取りかかるわ」

「うん、お互いのペースでね」

「じゃーね」


 そう言って、ライナーは図書館の方へ向かって行った。


「俺もバイトあるから、行くわ」


 アーベルも、門を出て反対方向へ行ってしまった。


「またねー」


 笑顔で見送ると、一人になってしまった。

 いや、まだ後ろにエルザとユーリアがいる。


「テオ君は、これからヒマ?」


 エルザが訊いてくる。

 

「ん〜、そうだなぁ。たまには、いいかな」

「やったぁ!」


 正直面倒だけど、今日は特に予定がない。

 ちょっと気分もいいし、気まぐれを起こしてもいいよね。





「ありがとうございましたー」

「おいしかったね♪」

「うん、評判通り♪」


 エルザとユーリアが以前からチェックしていたカフェで、お茶をして出てきた。

 確かに美味しかった。


「こういうトコ、男だけじゃ入りづらいから、ユーリアとエルザと来れて良かったよ」

「ほんと? 誘った甲斐があったわぁ」


 あ……これ、また好感度上げちゃったな。

 もう本当に。自分の性格が嫌になるよ。

 でも、思ってる事は本心だ。

 決して嘘をついて彼女たちを喜ばせているわけではない。


「あっ! 今日、早く帰って来いって言われてたんだった!」


 女性らしいデザインの腕時計を見て、ユーリアが「やば!」と声を上げた。


「ごめーん! 先に帰るね!」


 ひと足先に、ユーリアは駅の方へ走って行ってしまった。


「ユーリア、また明日!」


 エルザが大きな声で手を振ると、ユーリアも向こうから「バイバーイ!」と返事をした。

 俺とエルザは、ゆっくりと駅の方へ歩き始める。





 二人で駅前広場まで来ると、空は茜色になっていた。

 

「じゃあ、ここで」


 俺とエルザの家は反対方向で、乗るホームも離れている。

 背を向けると、クイっと服の裾を引っ張られた。


「あ、あの、テオ君!」

「ん?」


 振り向くと、エルザは少し俯き加減で言った。


「あたしと……つきあってください……」


「ふふ、ストレートに来たね」


 エルザの気持ちはわかってたよ、という風に笑うと、エルザは赤くなって黙ってしまった。

 もちろん、ユーリアの気持ちだってわかっていた。

 いつかわれるだろうなと。


「いいの? 抜け駆けじゃないかな?」

「そ、それは……」


 エルザとユーリアはいつも二人で俺の前に現れる。

 こうして二人きりになるのは珍しい事だった。


 中等部あたりから、こういう事が多くなってきたんだよね。

 親友同士で同じ人を好きになるとか、取り合いとか。

 周りのみんなは俺のこと、モテて羨ましいとか言うけれど、本人からしたら面倒なだけだから、これ。


(あーあ、本当にめんどい……)


「エルザ」

「は、はい」

「ごめんね」


 簡潔に断った。


「ええと……。あたしが、抜け駆けしちゃったから?」


 エルザは優しいな。

 簡潔に答えた俺の気持ちを汲んでくれる。

 決して理由を問いただしたり詰め寄ったりしない。

 だから俺も、ちゃんと答えようと思った。


「違うよ。 最初から答えは決まってたんだ」


 俺の脳裏に、姉さんの笑顔が浮かぶ。


「俺はね、ずっと好きな人がいるの」

「そ、そうなんだ……」

「でもエルザとユーリアは、友だちでは、いちばんだよ」

「そ、そういうトコだぞ、テオ君!」

「あはは」


 いつまでも、こうやって笑い合えたら、一番いいのに。





 下宿しているアパートの部屋へ帰ってきて、簡単に夕食を済ませた。

 俺は大学へ進学してから、ずっとこの部屋に住んでいる。

 デスク、ベッド、スチール棚、部屋の隅には簡素なキッチン、という一人暮らし用の極めてシンプルな部屋だ。

 家族のいる実家へ帰るのは、現在は何かあった時だけ。

 兄さんと姉さんに会えないのは残念だけど、今はこっちの生活に慣れておきたい。


 その日の夜──俺は自室からアーベルに電話をかけた。

 例の噂の店についてだ。


「もしもし、アーベル?」

『おお、どうした、テオ?』

「さっき言ってた風俗店の名前、 教えてくれない?」

『えっ? おまえが? ……実は、好きだったり?』

「違うよー、興味はあるけど」


 ああもう、アーベルには「何も聞かずに」っていうのが効かないのがしんどい。


「ほら、さっき言ってたレポート、実際の声を聞きたくて」

『またまたぁ、そんなこと言っちゃって』


 まったくもう、これだから。

 俺はアーベルに嘘を言ったこともないし、こういうことでふざけたこともないでしょ。


「教えてくれるの? くれないの?」

『お、おう、教えるけど。でも、確証はナシだぜ?』

「いいよ、その時はその時」

『じゃあ、メッセージで住所送るわ』

「ううん、このまま口頭で」


 危うく鼻で笑ってしまうところだった。

 そんなことしたら、証拠残っちゃうじゃん……。


『じゃあ、○○通りの──』


 俺は、アーベルに言われた住所をメモにも取らず、頭の中へインプットした。

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