第29話 6年前、テオ視点の事実*
6年前──テオが12歳の頃の事だった。
テオとリアは中等部、アルフレッドは大学生で、いつも最初に家に帰ってくるのはテオだった。
「ただいまー!」
元気よく挨拶して、自分の部屋にカバンを放り込むように投げ、手を洗っておやつを食べながら兄と義姉の帰りを待つ。これがテオの日常だった。
けれども今日は、母親であるレナーテが笑顔で話しかけてきた。
「テオ、一緒にお出かけしない?」
「いいよ。どこに行くの?」
「母さんのお気に入りの場所。とっても景色が綺麗なの」
「うん、行く!」
母親と二人きりで出かけるのは久しぶりで、テオは素直に喜んだ。
兄との確執のこともあって、レナーテは少しよそよそしい態度だったこともある。
それでもテオは母親の事が大好きだった。
「ねぇねぇ、どこまで行くの?」
「なんていうところ?」
「母さんは、父さんと行ったの?」
「景色が綺麗なんでしょ?」
「楽しみだなぁ」
二人で手を繋いで、駅への近道である長い階段を降りていく。
テオは嬉しさのあまり、矢継ぎ早にレナーテに話しかけた。
しかし、レナーテは途中で止まってしまい、苦しそうな表情をテオに向けた。
「母さん……?」
「ヘイロ岬まで行こうと思ってたけど、もう、限界……」
ガッ!
レナーテはそう言って、テオの首に自分の両手をかけた。
ほろほろと涙を流しながら、少しずつその手に力を入れていく。
「か、母さん……」
「お願い、テオ……私と一緒に死んで……」
「か……あ……さ……」
「このままじゃ、あの子達が不幸になる……。私も後を追うから……一緒に……」
「ぐ……」
息ができない。酸素が薄くなっていく。
なぜ母親は自分を手にかけたのか、テオにはなんとなくわかっていた。
自分は愛されていない。いてはいけない存在だったのだ。
それでも、二人で出かけようと笑顔で言ってくれた時は素直に嬉しかった。
たとえ、それが演技であっても。
意識が朦朧としかけたが、無我夢中で抵抗した。
「やめて、母さん…!」
急に空気を吸い込んだと同時に、テオは抵抗の末、母親を力強く押していた。
ドン! と鈍い音が聞こえ、バランスを崩したレナーテは、空中に身を投げ出された。
「あっ……」
母親の小さな声が聞こえた。
ようやく自由になった体は、その場に頽れて酸素を取り込むのに必死だった。
意識がはっきりとしてきた時には、母親は階段の下でありえない角度を向いて倒れていた。
地面には、黒いものがゆっくりと広がっていく。
「……え?」
── う そ だ
うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだう
どうすればいいかわからず、その場で青ざめる。
動けなかった。思考だけが働いていたが目の前の光景が信じられず、ただ一つの思いが頭の中を埋め尽くした。
その時、階段の下に
「テオ……?」
(兄さん……!? 見られた……! 兄さんに……見られ…………)
テオの心はもう限界だった。
プツ、と何かが切れるような音がした。
「ごめんね、兄さん……。壊れちゃった」
逃げ場のない場所から自分を守るように。
テオは笑顔を貼り付かせた。
*
「それじゃあ、テオは……」
「正当、防衛……」
アルフレッドは、あの現場を見た時にテオが母親の背中を押したものと思っていた。
しかし、真相は違った。
レナーテが何らかの原因でテオの首を絞めたのだ。
だが、そこがわからない。あの優しかった母が、『自分たちが不幸になる』という理由でそこまでするのかと。
「やだな……。何、言ってるの兄さん……。俺、何もしてないよ……。母さんが、足を滑らせて落ちちゃったんだ……」
テオの貼り付いた笑顔が崩れていく。
「俺、何も……なにも……」
認めたくなくて何年も自分を誤魔化してきた気持ちは、記憶を失くしていたリアにも痛いほどわかった。
テオの顔を抱きしめた胸の辺りは、涙でじわりと滲んでいた。
「誤魔化すな!!」
まるで自分に言い聞かせるように、アルフレッドは叫んだ。
「誤魔化すから辛いんだ! 受け入れるのが怖いなら、俺もリアもいる!」
その様子を離れた場所で見ていたディルクは、やれやれとため息をつく。
(カールに呼び出されて来てみれば……。とんでもない事実が出てきたもんだ……。当時テオドール君は12歳な上に正当防衛……。法的に罰せられる事はないだろう……。しかし……)
6年前の事件は自分の管轄ではなかったが、当時の担当者に話を聞いてみる必要があると考えた。
もう自分がいなくても大丈夫だろう。車の方へ足を向けると、カルステンに呼び止められた。
「ディルク、どこへ行く?」
「あの事件を、もう一度洗い直す。テオドール君に話を聞くのは、それからだな」
「そうか、わざわざ悪かったな……」
「今までの借りは、きっちり返してもらうからな」
「ははは、善処するよ」
「ねえ、待ってよ」
そんな二人の間の妙な空気を斬るように、落ち着きを取り戻したテオが静止した。
「何、自分だけいい人のフリして終わろうとしているわけ?」
テオはリアから離れ俯き加減で、その人物の方向を見ていた。
何事かと、リアもアルフレッドも、少し離れたポポロムもテオに注目する。
「テオ……?」
「俺さあ、そういうの、一番許せないんだよね」
テオは、にっこりと笑って顔をまっすぐ向け言い放った。
「ねぇ、“お父さん”」
「えっ……!?」
「おとう……さん……?」
リアとアルフレッドは、テオの見た方向に首を向ける。
その視線の先にいた人物は──。
テオが呼び止め、視線の先にいたのは──カルステンだった。
「叔父様……!?」
リアとアルフレッドは青ざめた。
なぜ、テオがカルステンを“お父さん”と呼んだのか。
行く末を見守っていると、カルステンはひとつため息をついてようやく口を開いた。
「おまえなぁ、約束が違うぞ」
「約束は破ってないよ。“父さん”には言ってないもんね」
テオは落ち着いたのか、再び貼り付けたような笑顔に戻っている。
聞きたいことはたくさんあるのに、誰もが言葉を失っていた。
ちょうど間にいたポポロムが、我に返ったように言った。
「どういう事ですか、叔父さん!!」
問われて、カルステンは気だるそうに頭を掻きながら口を開く。
「どうもこうもねぇよ。テオドールは、正真正銘俺の息子だ」
「待って、ください……。テオは、たしかに母が産んだはず……!」
アルフレッドは当時6歳だったが、父親と共に病院へ行った記憶がある。
出産直後で少しやつれていた母親の顔と、生まれたばかりの小さなテオが元気よく泣いていた事をよく覚えていた。
「ああ、訂正しよう。俺と、レナーテの子だ」
カルステンは、さらりと冷静に、しかし力強く言った。
「そんな……。叔父様とお母様が……。どうして……!?」
テオが、カルステンと
母はまったくその素振りを見せなかった。
アルフレッドは微かな記憶を手繰り寄せる。
小さい頃に遊んだ記憶がある、ポポロム。
自分は、あの家に家族で訪問した事がある、と。
「まさか、あの時──!」
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