第25話 幼い日の夢 sideリア*


「わぁ……素敵」


 12年前、当時8歳だった私は、教会の前で足を止めた。

 ちょうど結婚式が執り行われており、新郎新婦が来賓のフラワーシャワーを浴びて教会から出て来ていたのだ。

 真っ白なタキシードに真っ白なウエディングドレス。

 それは、幼い日の私の目に、とても鮮明に焼き付けられた。

 結婚なんてまだまだ先のことだったけれど、将来の夢は花嫁さん、なんて憧れていた時期もあった。


「どうした、リア?」


 少し前を歩いていたお兄様が、歩みを止めた私に気づいて戻ってきた。


「ああ、結婚式か……」

「花嫁さん、素敵ですね」

「そうだな」

「私も、いつか素敵な花嫁さんになれるかな……?」


 憧れと諦めの混じった複雑な気持ちで、お兄様に言ってみた。

 お兄様は少し考えて、


「リアなら、素敵な花嫁さんになれるよ」


 と、優しく言ってくれた。


「でも私はゴンドル族だから、きっと結婚できません」


 自分がゴンドル族であることと差別があること、生活や結婚の制限があることは両親から聞いていた。だから、その夢は叶わないのだろうと半ば諦めていた。


「そ、そんな事はないよ」


 慰めるように言ってくれた。

 お兄様は、元気づけてくれようとしただけなんだと思う。

 でも私は、その時のお兄様の言葉が嬉しすぎて、思い切って言ってしまった。


「もし……もし、誰もお嫁にもらってくれなかったら……お兄様が、もらってくれますか?」

「えっ……!?」

 

 お兄様は顔を赤くして、驚きながらも私をじっと見てくれた。

 ドキドキした。

 お兄様も、ドキドキしてくれているのかな……そう思った時、


「……ハッ、ダメだ!」


 急に、お兄様が険しい顔で言った。


「え……?」

「リア、兄弟きょうだいでは結婚できないんだ」

「そうなんですか……」


 お兄様が真剣な顔で言ったので本当の事なんだと、私はしゅんと肩を落とした。

 本当の兄妹じゃないから、結婚できるのかと思っていた。


「なになに? なんの話ーー?」


 私の後ろから、義弟のテオが無邪気な笑顔でやってきた。


「テオ、あのね……」


 私が、お兄様と結婚したいなって話していた事を言うと、テオは笑顔で抱きついてきた。


「僕も姉さんと結婚するーー」

「テオ、兄弟では結婚できないんだって……」

「そうなんだ……ざんねん」


 私もテオも、その時はお兄様の言葉を信じて「兄弟では結婚できない」とずっと思い込んでいた。

 でも年齢を重ねていくうちに、それは嘘だったと気づいた。

 あの時は、私を傷つけないような理由で断ったのだと、そう思っていた。

 でも、今思えば……。

 

「お兄様は、テオの異変に気づいていたんですね?」

「……そうだ」


 ああ、だからあの時も、あの時も。

 お兄様はテオを警戒していたんだ。

 それなのに、私はそれに気づかず、お兄様の言葉を信じられずに……。

 なんて馬鹿な事をしてしまったんだろう。


「お兄様、テオはもういません。簡単には出てこられません」


 もうテオを恐れることはないのだと、私は訴えた。

 でも、それでも。

 きっとお兄様の心の奥底には、まだ恐怖心が残っているのだろう。

 幼少期からのトラウマは、根付いてしまって簡単には取り除けないと聞いた。


 だから……。


「私を憎む事でしか愛せないなら、それでもいいです。

 私は、すべてを受け止める覚悟で戻ってきました」


 お兄様を困らせてしまっただろうか。

 でも、私はもう逃げないと決めたのだ。

 それでもお兄様は私を突き放そうとする。


「ダメだ! ポポロム先生の家にお世話になる方が、おまえのためだ!」

「ポポロム先生とは、もう終わったんです!」


 全部腹を割って言おうとしたのがいけなかった。

 何か、言ってはいけない事を言ってしまった気がする。


「…………ん?」

「……えっ?」

「ポポロム先生とは……  終 わ っ た ? 」


 し、しまったーー!!

 ポポロム先生とお付き合いしてた事は、お兄様に言ってなかった!!


 眉を顰めさらに困惑するお兄様だったが、すぐに私の肩を強く掴んできた。

 また乱暴される!? と身構えた。

 しかし、お兄様が発した言葉は意外なものだった。

 

「どこだ!?」

「えっ?」

「どこに触れられた!?」

「えええええええっ!? そ、そんな恥ずかしい事、言えません!!」

「恥ずかしくて言えないような所なのか!?」

「お兄様ー!?」


 そういう事じゃありません!!

 そりゃあ、あの、ポポロム先生にはすべて見られてしまっていますが……!


「わかった、言えないのなら全部愛してやる」

「えっ?」


 お兄様に、ふわりと抱き上げられた。

 今のは聞き間違い?

 やや乱暴に寝室の扉を開けて、私はベッドの上に降ろされた。

 そういえば、お兄様はいつも無理矢理ではあったけれど、それは私が抵抗していたからであって。

 私を憎んでいる、恨んでいると言いながらも、暴力や痛みを伴う事は決してしてこなかった。

 叔父様の言うとおり、やはり脅迫概念に囚われていたのだろう。


 私は、お兄様のすべてを受け止めきれるだろうか?

 以前のような事はないとはいえ、私もお兄様も、傷を負ってここまで来た。

 その傷を再び負うかもしれない。怖くないと言えば、嘘になる。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お兄様は私の上に覆い被さるようになりながらも手を出してこようとはしなかった。

 

「どうやら俺はとても……嫉妬深いようだ……」


 今まで自覚がなかったのかと、思わず笑ってしまった。


「ふっ、ふふっ……」

 

「何がおかし……」

「ふうぅ……ううぅぅっ……」


 笑顔は、すぐに涙に変わった。


「なっ……。俺はまた、おまえを傷つけてしまったのか……?」

「違います、違いますよ……」


 お兄様を困らせたくないのに。

 やっと言ってくれた言葉を噛み締めていたら、泣かずにはいられなかった。


「嬉しいんです……。初めて、お兄様に言われました……。『愛してやる』だなんて……」

「い、言ったか……?」

「言いましたよ! もう、録音しておけば良かった……!」

「それは、やめてくれ……」


 二人で苦笑しながら、横になってベッドの上で抱きしめ合う。

 しかし、しばらくしてお兄様の手が震え出した。

 これが叔父様の言っていた症状──。お兄様は、まだ私に普通に触れる事ができないのだ。

 その震えを止めようとしているのか、強く手を握りしめている。

 お兄様は自分を責めるように拳を噛む。歯形と滲み出てきた血が、痛々しい。

 その手をそっと取り、傷口に触れないようにキスをする。


「お兄様、無理はしないでください。私は、このままでも充分幸せです。それに……」


 今までの仕返しをするように、たくさん、たくさんキスをした──。

 お兄様の唇も、頬も、身体も。口付けの音が部屋に響く。

 私の方から触れる分には、大丈夫そうだ。

 お互いの寝間着のボタンを外し、肌を見せ合う。


「リア……やけに積極的だな?」

「だって、お兄様が私に触れられないなら、私が触れるしかないでしょう……?」

「それは、そうだが……」


 私は、今まで散々お兄様にやられてきたのだ。

 こちらから少し強引に行っても、バチは当たらないはず。

 

「お兄様に拒否権はありません」


 お兄様の上になり、今度は私が見下ろす番。

 愛おしいとほんの少しの恨めしい気持ちが入り混じる。


「形勢逆転、です。覚悟してくださいね♪」


 かつてのお兄様もこんな気持ちだったのだろうかと、笑みが溢れる。


「まいったな……」


 そう言いながらもお兄様は頬を染めて、観念したように身を委ねてきた。


「大人しく、やられるとしよう」

 

 許可をいただいたので、手加減致しません。

 意地悪く、お兄様の身体のラインをなぞるように愛撫する。

 私がお兄様にされてきた事、全てお返し致します。

 愛憎という、不可解な感情の全てを──。





「リア」


 お互いを感じた後、私がお兄様の懐に潜り込んでいると呟くように私の名を呼んだ。


「今まで、すまなかった……」


 謝罪なんて。

 お兄様は常に注意を払っていたのに。

 

「わた、私も……。あの時、お兄様の言葉を、信じられずに……」


 反発ばかりしていた。

 テオがあんな風になってしまうなんて、想像もしていなかったのだ。

 

「リア。俺の正直な気持ちを言う」


 お兄様は、真っ直ぐに私を見つめた。

 物心つく前から一緒にいる家族なのに、こんなに近くで真剣な表情をされると一層ドキドキする。


「俺は、正直まだ怖い。またいつテオがおまえを奪っていくかと思うと、触れる事もできない。抱きしめて守ってやることすら……」


 お兄様の手が再び震えて、それを抑えるようにぐっと握り締めている。


「それでも……。それでも、おまえが望むなら……俺は今度こそ、テオと向き合おうと思う。そうする事で、おまえに触れられる日も来ると信じたい……」


「お兄様……っ。ありがとう……!」


 その気持ちが嬉しくて涙が出る。

 愛おしくてお兄様の背中に手を回し、胸に顔をうずめた。

 私はとても欲張りで、きっと罪深い事を言っている。

 罰が下らないように強くなろう。

 そして二度とお兄様の手を離さないと、心に誓った。

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