【探偵推理小説】静かなる名探偵 ・神崎美玲―紫苑女子大学における事件の場合―
藍埜佑(あいのたすく)
第1章:事件発生
東京の閑静な住宅街に佇む名門・紫苑女子大学のキャンパスは、初夏の陽光に包まれていた。新緑の木々が心地よい影を落とす中、キャンパス内は期末試験を控えた学生たちの熱気で満ちていた。
6月15日木曜日、午後2時45分。
化学棟の最上階に位置する研究室で、人気教授・高田誠司(たかだ せいじ)58歳が、助手の山田良子(やまだ りょうこ)32歳によって発見された。
高田教授は、自身の革新的な有機化合物研究で国際的に名を馳せており、学生たちからの信頼も厚かった。
「高田先生!? 高田先生!!」
山田の悲痛な叫び声が、静寂を破った。
床に倒れていた高田教授は、かすかに呼吸をしているものの、意識がない状態だった。机の上には半分飲みかけのコーヒーカップ。研究ノートは開いたまま、ペンが床に転がっていた。
山田の通報を受け、キャンパス内は瞬く間にパニック状態に陥った。救急車のサイレンが鳴り響き、警察車両が次々と到着。学生たちは不安げな表情で互いに携帯電話を覗き込み、SNSで情報を共有し始めた。
その頃、大学から徒歩10分ほどの学生寮で、神崎美玲(かんざき みれい)は、静かに盆栽の手入れに没頭していた。長い黒髪を後ろで一つに束ね、黒縁の眼鏡をかけた美玲の表情は、いつもの通り無表情だった。しかし、その眼差しには鋭い光が宿っていた。
突如、部屋のドアが勢いよく開いた。
「美玲ちゃん、大変!」
ルームメイトの佐藤花(さとう はな)が、息を切らせながら叫んだ。活発で人懐っこい花は、美玲とは正反対の性格だった。
「何があったの、花?」
美玲は、わずかに眉をひそめながら尋ねた。
「化学棟で、高田教授が倒れてたんだって!」
花は携帯電話の画面を見せながら興奮気味に話した。
「SNSで今、爆発的に広がってる!」
美玲は静かに立ち上がり、花の携帯電話を覗き込んだ。確かに、キャンパス内の様子を撮影した写真が次々と投稿されていた。救急車、警察車両、そして不安そうに たむろする学生たちの姿。
「毒殺未遂……か」
美玲は、画面に流れる憶測の書き込みを見て、小さくつぶやいた。
その時、美玲の携帯電話が鳴った。
画面には「高橋健太郎」の名前が表示されている。
幼なじみで、現在は警察官として働く彼からの連絡だった。
「もしもし、健太郎?」
「美玲、大学で事件があったって聞いたんだが、大丈夫か?」
健太郎の声には、心配の色が濃く滲んでいた。
「ええ、私は大丈夫よ。でも、高田教授が……」
「ああ、今警察も動き始めたところだ。詳しいことはまだ言えないんだが……」
健太郎は少し躊躇した後、続けた。
「正直、難しい事件になりそうだ」
美玲は黙って聞いていたが、その瞳には既に微かな興味の色が宿っていた。
「分かったわ。ありがとう、健太郎」
電話を切った後、美玲は窓際に立ち、遠くに見える化学棟を見つめた。夕暮れ時の柔らかな光が建物を包み、まるで何事もなかったかのような静けさが戻っていた。しかし、美玲には分かっていた。この静けさの向こう側で、大きな嵐が起ころうとしていることを。
「美玲ちゃん、どうする?」
花が不安そうに尋ねた。
美玲は黙ったまま、ゆっくりと眼鏡を直した。その仕草には、何かを決意したような凛とした空気が漂っていた。
「少し、調べてみる必要がありそうね」
美玲のその言葉が、この事件に対する彼女の関与の始まりだった。誰も予想だにしなかった真実への、長く曲がりくねった道のりの第一歩が、ここに踏み出されたのである。
部屋の隅に置かれた小さな盆栽が、夕暮れの光を受けてわずかに影を伸ばした。それは、これから繰り広げられる複雑な事件の行方を暗示するかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます