無情の遊び

 土曜日の半日授業の午後。天気は清々しいほどの晴天。

※ 今更説明不要の気もしますが、昔の話でまだ土曜半日があったころです。


 教室でお弁当を食べて外での部活に向かう小学五年生(四年生?)の僕。部活の開始時刻にはまだいくらかの時間があった。


 校庭でおこなっている部活で、校庭に出る少し前の場所に部室がある。

 何らかの遊びができそうなくらい部室の周りも広かったのだけれど、そこに立つ同部同学年の友人を見つけて声をかける。


「塚本、何してるんだ?」


 塚本。

 真面目ないい奴で、僕はそんな塚本に救われたことがある。



 あれは、僕が四年生で、六年生が引退して間もないころであっただろうか。僕が部活の顧問の先生から、その日の練習メニューを先輩に伝えるようにと頼まれた日があった。


 それは、主将や他の先輩たちに伝えるだけの簡単なことのはずだった。


 でも、先生がすぐに来ないことが確定していたのか、その日たまたまだったのか、部員たちは部活の時間になっても遊んでしまっていた。


「あ、あの、今日の練習なんですけど」


 僕は何と返されていただろう?

 それはともかく、聞く耳をもってはもらえなかった。

 遊びは大変楽しい。

 練習に目は向けられない。


 僕も伝える相手を変えて言い続けるとか何か方法はあったはずだけれど、もう疎外感のようなものに支配されて行動がとれなくなっていた。


 どうしよう?

 このままじゃ、僕が先生に怒られてしまう。


 なんで、先輩に練習メニューを伝えなかったんだと。


 先生に怒られる。

 小学生の僕にとって、それはとても駄目なことで恐ろしくもあった。


 でも、先輩たちにも伝えられない。楽しく遊んでいる者にとって、練習メニューを伝えて練習を促しているかのような僕は、遊びの空気をぶち壊す存在だからだ。その苛立ちをぶつけられてしまう。


 板挟みで絶望し途方にくれた僕は、人目につかない場所で泣くことしかできなかった。


 泣いたところで事態が好転するはずもなく、無情にも時間だけが過ぎていく。


 まだ泣いていたのか、少しは落ち着いたのか、しばらくして僕は塚本に見つかってしまった。


「どうした、成野?」


 塚本は話を聞いてくれて、もう一度一緒に言いに行こうと言ってくれた。


 そうしてもう一度言うことができたのだけれど、それでも練習は始まらなかった。


 だけど、僕が練習メニューを知っていることはしっかりと伝わったし、何ならそろそろ始めようかという気持ちにさせることもできたのかもしれない。


「成野、今日の練習メニューを知ってるんだな?」


 そのうちに主将にそう聞かれて、遂に練習は始まった。

 もう、部活終了が近い時間ではあったけれど、先生はまだ来ていなかった。


 それから少しして先生が来たものの、練習メニューが進んでいなくとも練習をしていたことがよかったのか、部全体も僕も怒られるようなことはなかった。


 これが、塚本がいなければどうなっていたか分からない、僕が塚本に救われた話だ。



「おお、成野。実は今、部員で缶蹴りをやっていてな。お前もやるか?」


 そう言われて、塚本の近くに缶があることに気が付く。


 なんだって。

 缶蹴りだと。


 缶蹴り。

 助け鬼など、鬼が固定で人を捕まえていく遊びが好きだった僕は缶蹴りに興味があった。

 でも、やりたかったものの、僕らの世代と地域ではもうあまり行われなくなっていた遊びだった。

 缶蹴りをやろうと声を上げても、違う遊びを提案されて潰されてきていたかもしれない。


 そんな缶蹴りができるのか。今、ここで!


「おう。やるやる」


 僕の返答に、僕の心に宿る光とは異質な光が塚本の目に宿った気がした。

 だけど、缶蹴りができることに高揚している僕は、それを特に気には留めない。


 そして、塚本が言う。


「じゃあ、ジャンケンだな。負けた方が鬼な」


「おーし。じゃあ、ジャン、ケン!」


 ポンっと。


 僕は負けてしまい、鬼をやることになった。

 塚本は異様な喜びを見せている。

 どうにも何かがおかしいのだけれど、缶蹴りへの熱い想いがたぎる僕は気が付かない。


 鬼だろうが楽しみだ。全員見つけて僕が勝つ。


「じゃあ、俺も行くから。合図もなしに始まるから、備えておいてくれ」


 そう言って、塚本はその場から部室の方へ離れて行き、いずれ見えなくなった。


 ふむ。塚本は部室周辺か。

 他の人はどこにいるか分からないけれど、とりあえず、缶の近くにいて蹴りにくる人を待つのが定石。


 どっからでも来い!


 謎の自信を持って、待ち構える僕。


 そんな僕の自信を、いや、を打ち砕く光景が眼前に広がった。


 部室の中か部室の陰に潜んでいた部員たちが、一斉に走りながらその姿を見せた。その数、二十人はいるだろうか。

 明らかに缶蹴りをするに適さない大人数が、物凄い勢いで僕を襲ってくる。いや、缶に向かってくる。


 思わぬ光景に驚きながらも、僕は行動する。


「毛呂さん、薄井さん、大門さん、目方さん、代島さん……」


 名前を呼び、その度に缶を踏んでいく。

 でも、全員の名前を呼べるはずもない。


 そして——。


 カーン!


 僕の驚愕と絶望をよそに、缶が空高く蹴り上げられた。


 わぁ。青空とそこに向かって飛ぶ缶の組み合わせは、あんなにも綺麗だったんだ。


 美しく空を舞った缶は、やがて力を失い地面に落ちて、カランと無機質な音を立てて転がった。

 それはまるで、今の僕の心のようだった。


「よーし。次だな」


 誰かが言ったその言葉で、後悔が僕の心を支配した。


 どうして、こんなことに。

 ああ、まだ校内にいた時に、窓からこの有り様を見ることができていたのなら。


 泣きそうになっていた僕であったけれど、部活開始の時間が迫っていた。


「そろそろやめようぜ」


 先生がすぐに来る予定だったのか、やる気十分だったのか、この日はこれ以上遊ぶことなく練習に移行した。


 それにしても、一回だけでも絶望を感じて泣きそうになっていたこの缶蹴り。

 最早いじめではないかというこの鬼を、塚本は一体何度やったのだろう。涙も見せずに。


 塚本、お前すげぇよ。



 そんな塚本は今もきっと、強く生きていることだろう。

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