第41話 獣の咆哮

(……地震?)


 拳銃を片手に壁を這うように歩いていた時だった。

 地面が沈み込むような揺れが起きて進藤才はそう考えた。


(いや……違うか)


 疑問に思うとすぐさま情報を収集してしまうのは『本の虫』の便利なところでもあり、不便なところだ。


 この辺りでの地震の情報はない。


 ということはこの建物内で何かがあったということだ。

 才はまた一歩一歩、ゆっくりと動き出す。

 立ち上がれるまで回復したとはいえ、まだ足が震えている。

 色の攻撃の余波は未だ続いている。


 警視庁内は今、阿鼻叫喚の地獄絵図。

 色の仲間たちと警視庁捜査員との抗争は激化を極め、どんどんと死体が増えていく。

 色の仲間にもある程度の被害は出ているが、もっぱら死んでいるのは警視庁側の人間だ。


 選別はもう始まっていた。

 場所はここ警視庁内。

 それが予定されていたのか彼女による独断による変更なのかわからない。

 だが2週間という期限を待たずに灰枝色は強引にこの状況を作り出してしまった。

 結局理由もわからず、強行した目的も不明。


 話している限り色には、進藤始とは違う理由があるように感じる。

 その理由を問い質し選別を止めさせようと詰め寄ったが、


『才には理解できないと思うし、もう用済み』


 と追い出されてしまった。


 色は今、警視総監室に立てこもっている。

 近くには色による能力で操った進藤警と篠原侑里。

 警視総監室は彼らを人質にされてしまい、簡単には入ることが許されなくなった。


 時折、色の仲間と思わしき人間が捕まえた捜査員をこの部屋に入るのを見かけるが、今頃彼らも色による能力で奴隷となってしまっているだろう。


「まるでチェス対将棋ってところね」


 そう呟いて自嘲する。

 殺すか捕まえるかの二択なのはどちらも同じ。


 だが警視庁側は手駒が減る一方に対し、色たちは捕まえた敵を手駒にできる。

 目的もわからないのなら何が有効打なのかもわからず、打とうにも打てない。


 この圧倒的不利な状況を覆すにはもう彼しかいない。


 だが、こんな酷なことをさせてしまってもいいのだろうか。

 これから頼むことは灰枝新のこれからの人生を全て奪い変えてしまうものだ。

 こんな命令をしてしまったら彼はおそらくもう二度と陽のあたる道を歩けないだろう。


 それに新は1週間以上も探して見つからない。

 そして警視庁内にいるとわかったにもかかわらず建物内の監視カメラには一切引っ掛からなかった。

 と考えたところで才は立ち止まる。


「…………さっきまでは」


 そして収集した映像を観て目を丸くして呟いた。

 脳内再生された映像は、さっきの揺れの原因。警視庁内の地下の映像だった。

 もくもくと黒い煙が舞っていて、大きな爆発があったことを物語っている。

 その中に倒れている人影が見えた。


「まったく……やっぱりこの能力は便利で不便ね」


 それが見えた瞬間、才は呆れたように笑い、やがて意を決したように正面を見据えた。

 ならば、自分がやるべきことはひとつ。

 敵味方が闊歩するこの地獄をなんとか抜け出し――、


「あの場へ迎えに……!」


 重く震える身体に鞭を打ち、進藤才は拳銃を握り直した。


★★★


 クソ……クソ……。


 崩れたコンクリートに身体を潰され身動きが取れない。

 しかも周りには燃えカスとなった破片や鉄屑が散乱している。


 視界が霞む。意識を保つだけで精一杯。


 だがここで気絶するわけにもいかない。

 灰枝新は歯を食いしばりつつ、何とか瓦礫から抜け出そうと試みる。

 だが中々抜け出せない。


 全身が痛み気だるげだ。

 東郷を喰らうことはできなかった。

 支配されていたあの人間たちすらも救えず。

 自分の姉や叔父のことすら結局は何ひとつわからなかった。

 目的が何ひとつ達成できなかった虚無感。

 逆に自分を痛めつけた憎き敵をあの世へ逃がした悔しさ。

 その2つの感情が同時に新を襲い、力が抜ける。


 あぁ。俺の人生は何て空っぽなんだ。


 家族を失ったのも。

 叔父や姉が狂ったのも。

 空腹に耐える日々を送るようになったのも。


「……元はといえば全部、俺が原因じゃないか」


 自分が摂取者になんてなるから。

 自制心をもっと強く持たなかったから。

 もし虫を誤飲しなければ。

 もしもっと強く食欲に抗っていれば。

 みんな幸せに生きていたかもしれない。


 アークに目を付けられるなんてなかったかもしれない。

 姉も狂うことなんてなかったかもしれない。

 そもそも自分にこんな能力がなかったら。

 普通の人として生まれていたなら。

 重い瓦礫が更に重くなった気さえしてきた。


「こんな能力……不幸にするだけじゃないかぁ……」


「――同感ね」


 そんな時、聞き覚えのある凛とした声が聞こえてはっとする。

 漂ってくる臭いにも覚えがある。

 まさかと思い顔を上げると、


「……才、さん……」


 やはり彼女が目の前に立っていた。


 擦り傷だらけの全身に、疲れ切った表情。

 綺麗だったはずの金髪もボサボサで煤だらけ。

 だが、その瞳はいつも通り真っ直ぐこちらを見据えていた。


「人の欲を増幅し貪る生き物『欲の虫』。

 そんな虫、人を不幸にすることはあっても幸福にすることは決してない。

 強い欲望なんて、満たしたところでその先にあるのは虚無感のみ。

 手段を選ばずに欲を満たすならばなおさらよ。

 人間は自制が効くからこそ、不幸を避けられる。

 理性があるからこそ、幸を得られるの。

 この虫はその理性や自制を全て取り払って欲望を満たそうとする。

 不幸になって当たり前。

 こんな生物兵器、いない方が世のためよ。」


 才の言葉のひとつひとつが、新の心に深く突き刺さっていく。


「けれどね、新くん」


 そう言うと才は自身の腕を捲り素肌を見せた。

 その白い肌は今の新には魅力的に映り、凝視してしまう。


「兵器も要は使いよう。

 使い方が正しければ、ちゃんと自制できれば。

 こういうのも『幸』を運んでくる。

 これ以上、みんなが不幸にならないために新くんの力が必要よ」


 そう言うともう片方の手に持っていたナイフで腕を斬りつけた。


 出てくるのは美しい血。


 その血を新は焦がれるように見つめた。


 才はその腕を新の顔の上にまで持ってくる。


 雨が降り注ぐように新の顔に鮮血が飛び散った。


 自然と新の口は大きく開いた。


「今、上は大変なの。

 これ以上犠牲を出さないために新くんの能力を使わせて」


 その言葉は新にとっては酷な命令。

 それをわかっているのか才の口調は極めて冷徹だった。

 だが、その声の節々には――震えが混じっていた。

 それを感じ取り、新は顔を顰め目を閉じる。


「あなたのお姉さんを……灰枝色を……殺して頂戴」


 その瞬間、泣き叫ぶ獣のように新は咆哮した。

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