第34話 灰枝色VS進藤始

 あれからどれほどの時間が過ぎただろう。


 薄暗いコンクリートの空間。

 換気が充分ではないのか、肌に淀んだ空気がねっとりと撫でる。

 口はねちょねちょとしていて、鼻にも異物感があって気持ち悪い。

 服は汚れたからと脱ぎ捨てられた。

 上半身だけ裸。

 下半身は脱がせにくかったのかズボンを履いたまま。


 身体や地面からも異臭が漂っていた。

 だがその異臭と混じって別の臭いも感じていた。


 目の前を見る。

 すぐに見えたのは、使いっぱなしで放置された調理器具に薄汚い皿の数々。


 あの男はいない。

 前までは頻繁に現れてはいたが、ここ最近は不定期。


 というよりも空腹の限界までしばらく放置され、良き頃合いにニヤニヤとした顔で現れる。


(そして――)


 とその更に奥を見ると、美味しそうな生き肉が立っていた。

 その集団から漂う臭いが自分の鼻腔を刺激する。

 理性ではわかっている。

 だが腹に居座っている虫が吠え続けていた。


 そのことに辟易しながらも、灰枝新は軽く息を吐いた。



 あぁー腹減った。



★★★


「早かったな……色」


 頬の血を拭い持っていた銃を今度は灰枝色に向ける進藤始。


 その隙に、と才は足掻いてみるが上に乗っかっている侑里はまだ支配の途中で拘束からは抜け出せそうにない。

 大概、何かの衝撃を受けると能力が弱まるものだが、進藤始にはその常識は通用しないらしい。


「むしろ遅いくらいだよ」


 もうひとりの常識外れが口を開く。


「叔父さんは殺されちゃうし、あーくんも盗られちゃうし、要の公安も、私がゴミ掃除してあげたのに、何も進展ないし……」


 おちゃらけたようにそう言うと、色はわざとらしく才を横目で見る。


「直接乗り込んで潰した方が早いって判断するのにどれくらい掛かったか……。

 そろそろあーくんを返してくれないかな?」


 そう言い放った時の殺気は尋常にならないほど。

 急激に温度が下がりビリビリと空気が悲鳴を上げている気もする。

 色の怒りがこの空間を支配していると言っても過言ではない。


 だが、進藤始は怯まない。

 さすがは警視総監まで上り詰めただけはある人間。

 包まれた殺気の中でも平然と笑みを溢していた。


「まだダメだ」


「撃って」


 色がそう言った途端、銃声が鳴り響いた。

 だが、それは色の方向からではなかった。


 銃弾は始から色の頭に目掛けて飛ぶ。

 だが、色に当たることはなかった。


 隣に立っていた警が人間の反射スピードを超えて、色の顔付近に掌を出したのだ。

 結果、警の掌に銃弾が当たる。

 更に貫く瞬間、警は腕を掲げ弾の軌道を逸らし、色には傷ひとつ付くことがなかった。


 警の掌から血が噴き出た瞬間、才は顔を青ざめて息を呑んだ。

 だが警の意識は回復しない。

 掌が貫通したのにもかかわらず、警は痛がりもせず未だ茫然と立っていた。


「頭を狙うなんてひどいじゃん。まだ話の途中だよ」


「それはこっちのセリフだ。

 私を先に狙ったのはお前の方だろう?」


 興が削がれたように始の口からは笑みが消えこめかみに青筋が立った。

 だが色は気にせず、


「いいからあーくんを解放して」


「だからまだ無理だ。調整中だからな。

 だが驚いたよ。

 まさか新の中にあの腹の虫が生きているとは、なぁ。

 考えもしなかった」


「ふーん……そう……」


 色は一言そう言うと考えごとをするように俯き、しばらくすると始の方に向かって微笑んだ。


「じゃあ無理矢理奪い返すしかないね」


 そう言った瞬間、色の周りの空気が変化した。

 能力を解放したのか、離れていてもわかるほどの甘美な臭いが漂った。

 すぐ隣にいた警が嬉しそうに顔を紅潮させ、見たこともないような気持ち悪い笑みを浮かべ涎を垂らした。


(嗅いだらヤバい!)


 才はすぐにそう直感すると、出来るだけ頭を下に寄せ息を止めた。


 だが――、


「ほう。なら――」


 進藤始も自身の欲を解放する。

 空気がビリビリと振動し、耳の鼓膜が揺れる。

 侑里に腕を掴まれていなければ自分の耳を塞ぎたいほど。

 その侑里は、というと、


「ギギ……ギ……」


 支配が強まったのか更に強く腕を握った。

 肉にまで食い込むほどの握力に才は顔を歪めた。

 そんな中、始がゆっくりと口を開いた。


「そろそろ考えていたんだ。

 灰枝茂がいなくなった今、私の脅威は色しかいない。

 お前を処分しさえすればどれほど計画が円滑に進むか」


 それからゆっくりと右手を上げ、色の方を指差した。


「灰枝新を拉致すれば、必ずお前は取り返しにくることは予想していた。

 ちょうどいい。今ここでお前を処分し、世界の王に向けての障壁を完全に取り払おう」


「……そんなのできないよ」


「どうかな?」


 始がニヤリと笑った瞬間、警がいきなり色の頭へ銃を向けた。

 さっきまでの悦に浸るようなニヤケはなく、侑里のように顔が強張り、意志のない人形のようになっていた。


「支配の上書きだよ」


 始の言葉に色は真一文字に口を閉じ俯いた。


「忘れたか? お前が謀反を起こした時、お前からこうやって兵隊たちを奪っただろう?」


 そう言うと、今度は左手を上げて、才と侑里を指差した。

 すると操られた侑里が才を掴みながら立ち上がった。

 強い力で掴まれ才も抵抗できず立ち上がる。


「その結果、お前たちの兵力は半減。

 尻尾巻いて逃げるだけになった」


 始はひょいと左手の人差し指を動かすと、才を連れて侑里が始の元へ。


「結局お前は性欲でしか操れない。

 支配の専売特許である私とは王としての格が違う」


 そして侑里が才の首根っこを掴み押し付けるように始の元に才の顔を近づけた。


「そして摂取者としても、な」


 才の頬に触れ瞳を見る。

 すると才の身体は金縛りにあったかのように固まる。


(う……動け……ない……)


 それどころか自分の意志とは関係なく、勝手に色の方を向いてしまった。


(これが『王の虫』の力……!?)


「知っているだろうが、私は『欲の虫』被験者第3号。

 灰枝色初号進藤才第二号の問題を解消し、真に実用化された――云わば本当の始まりの摂取者。

 その能力は当然、お前達を凌ぐ」


 2人の人間と1人の摂取者を一瞬で同時に操るほどの力。

 色にさえ籠絡されなかったのに。

 才は改めて義父の強さを痛感する。


「ここにはもう色の味方はいない」


 そう言うと始は才に拳銃を渡し、侑里も同時に自身の拳銃を取り出し、警と同じく色にソレを向けた。

 その様子に色の肩がフルフルと震えている。


(抵抗も……できない……のか?)


 絶望が才の脳裏に走った瞬間、色の口から「ふふ」と息が漏れた。

 色の身体の震えは次第に大きくなり、それと連動するように色の笑い声も大きくなる。


 そして、


「アハハハハハハハハハハ!!」


 顔を上げた色の頬は紅潮し、愚かな生き物を間近で見たかのように高らかに笑い声を部屋中に響かせた。

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