お祝い / 青 / リボン

『魔王が生まれた日』


「姫! 早くそのリボンを!」


 大臣の叫び声が、どこか遠くに聞こえる。


 自分を呼んでいると頭の隅では解っているけど、どうしても身体は動いてくれなかった。


(おかしいですわ? 今日は一番幸せになる日だった筈でしょう?)


 だって今日は私が愛する人との結婚式。


 未来の魔導王と呼ばれた、世界で一番の魔力を持っている隣国の王子様と結ばれる日だった筈で、お祝いの言葉だってたくさん貰っていたのに。


 どうしてこんな事になっているのか、訳が解かりません。


「王子が魔の力に呑まれてしまう前に! 早くその封印のリボンを!」


 大臣の声に私は無意識の内に、ウェディングドレスに付けられているリボンに手をやる。


 どんな強力な力を持つ者でも二百年もの間、封じ込めてしまうという我が国に受け継がれている伝説のアイテム。


「躊躇う事はありません! 封印するだけで命を奪う訳ではないのです! 王子を助けられるのは、アナタしか居ないのです!」


「で、ですが!」


「魔の力に呑まれてしまえば、欲望を押さえられなくなってしまうのですよ! かつて偉大な魔術王が魔の力に呑まれてしまった後は、淫蕩の限りを尽くし、部下にも民にも見放され、滅びたという伝承は知っているでしょう! そんな王子の姿を見たいですか!」


「そ、それは――」


 大臣の叫び声に私は想像してしまいます。


 欲望のまま、乱暴に私を押し倒してしまう王子の姿を。


(ごめんなさい! 正直言うと、凄く見たいですわ!)


 確かに王子は優しく紳士的な上に、絶大な魔力を持っているだけじゃなく、知識も豊富で政治にも明るく、非の打ちどころのない人だとは私も思ってますよ。


(ただ、紳士的過ぎるんですの!)


 そりゃあ王族同士ですし、うっかり子どもとか出来てしまったらマズいどころじゃ済まないなんて事は私だって理解してますわ。


(だからって婚姻が成立するまでは、接吻の一つも無しというのは、ちょっとどうかと思いますの!)


 それどころか抱き締めてもくれません。


 大事にしてくれているのは理解しますが、それだけでは物足りないというのが女というものでしょうに。


「ひ、姫。頼む。早く私を封印してくれ……」


 むしろ欲望のままに私を押し倒してくれるなら、ウェルカムなんですけど。


 なんて妄想で煮えていた私の頭を、王子の苦しそうな声が冷やしていきます。


「魔の力に呑まれた私は、欲望を抑えられないだけでなく、姿まで醜く変化してしまうんだ。こんな姿を君に見られるのは耐えられない……」


 そんな言葉に思わず王子の方を向いてしまった私の目に――


 タキシードが張ち切れんばかりに、身体が肥大化して膨らんでいくのが見えました。


「なっ――」


 そして私が見ている前で服が弾け飛んだかと思うと。


 筋骨隆々になった、王子の裸が私の目の前に晒されました。


「なんてワイルドで素敵なんですの!」


 魔術師らしい細身の身体も、それはそれでソソるモノがありましたが――


 病的な程の青白さを持ちながら、まるで荒くれ者を思わせるほどに膨れ上がった筋肉は、例えるならよく出来た彫刻のような美しさが溢れ出ていて。


(これはこれで涎モノですわ!)


 その逞しい腕に抱き締められたい。


 仮にその腕で絞め殺され、この人の胸の中で生涯を終えるというのなら、それはそれで私としては本望なくらいです。


「ぐぅっ! 姫、これ以上、私を惑わせないでくれ!」 


「これ以上?」


「今日の君が美し過ぎるのがいけないんだ! 私なんかとの結婚を前にして、あんなに幸せそうに笑って! もっと仕方なさそうな顔をしてくれたら、君への愛しさが溢れ出して、魔の力に呑まれてしまう事なんてなかったのに!」


「だって、それは当然でしょう? 最愛の人と結ばれるんですのよ。これ以上に、幸せな日なんて、他にありまして?」


「くわぁっ!」


 私の言葉に王子が呻き声を上げたと思ったら。


 背中から鳥みたいな大きな大きな羽が生えましたの。


「ふかふかしていて、気持ちよさそうですわね」


 思わず私の口から、そんな言葉が飛び出てしまいましたが。


 どうやら王子は、それどころじゃなかったみたいです。


「もう駄目だ、我慢出来ない。君が欲しい」


 乱暴に私のドレスに手を掛けたかと思うと、そのまま脱がそうとしてきますの。


「い、嫌ですわ!」


 咄嗟に私は王子の手を振り払い――


 身体を隠すように腕で自分の身体を覆いました。


「ああ、解ってたさ。口で何と言っても。こんな化物に触れられたくなどあるまい。さあ、少しでも私の理性が残っている内に封印を――」


「私の肌を見ていいのも、愛されている時の声を聴いていいのも、アナタだけですの。こんな人目の多いところじゃ、嫌です……」


 私はずっと変な顔をして、黙り込んでいる大臣や周囲の人達に視線を向けます。


 こんなに激しく求めてくれるのは嬉しいけれど、王子以外の人に愛し合っているところなんて見られたら、恥ずかしくて死んでしまいますの。


「う、うわあああ!」


 私の言葉に王子は錯乱したように叫んだかと思うと――


 勢いのままに私を抱き上げました。


「私は姫と子どもを作り、我が妻と子ども達が笑顔で暮らし続けられる国を作る! 他国からの侵略だろうと天災だろうと、誰にも邪魔なぞ、させるものか!」


 そうして王子は私に口付けました。


 生まれて初めての接吻。


「姫! 今日は寝られると思うなよ!」


 驚きと嬉しさで何も考えられなくなった私に、王子は一方的にそれだけ告げると。


 生えたばかりの羽を器用に操り、私を連れて寝室へと飛び立っていったのです。


「我々は、何を見せられていたんだ?」


 私の耳に。


 大臣の戸惑いの声だけを残して。


 


   ○   ○




「こうして、アナタが生まれたという訳。どう、良い話でしょ?」


 私は歴史の教科書にも載っている上に、演劇にもなっている私達の馴れ初めを、成人した可愛い可愛い息子へと伝えてました。


 あらゆる侵略者を跳ね返し、飢饉も天災も全て跳ね除けた、偉大な偉大な王が生まれた時の話です。


「え、待って、母さん。これって母さん達の話だったの?」


「ええ、そうよ。凄いでしょう?」


「……これって皆、知ってるんだよね」


「勿論よ。だからアナタが私のお腹に宿った日は、貴方の誕生日とは別に、生誕祭があるでしょう?」


 息子の誕生日ではなく、私達の結婚式であり初夜の日。


 この日は偉大な王が生まれた日であると同時に、私が息子を授かった日として生誕祭が開かれ、国中で祝われているのだけど――


「う、うわああああ!」


 私の言葉に突然、息子は叫び声を上げたかと思うと。


 筋骨隆々で翼の生えた、かつてのあの人を思わせる姿に変貌してしまいました。


「何が悲しくて! 両親のそんな日を国中に知られてる上に、祝われ続けないといけないんだー!」


「ど、どうしたの! 私の可愛い――」


「こんな国の歴史、全て消し去ってやるぅー!」


 そして、私の手を離れ。


 何処かへと飛び立っていったのでした。


 これが後に魔王と呼ばれる者の誕生の瞬間だったとは、この時の私は、露にも思っていませんでした。

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三題小説 お米うまい @okazukure

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