漆 明治十一年
一
泰四郎の妻、せんの葬儀はつつがなく執り行われた。
彼には子がいなかったため、近くの若い衆が式を助けた。かくしゃくとしてはいるが泰四郎も歳である。彼らの手は必要なものであった。
それへ引け目を感じていたのか、はたまた元からの性分か。泰四郎は喪主の立場でありながら頻繁に歩き回り、おちらこちらで手を煩わせている人たちに礼を言っていた。
「じいさん、いいから」
笑顔で諭されると、泰四郎は笑みを返しながらもう一度だけ礼を重ねた。老人が一人残された葬儀の場とは思えない活気は、ひとえに彼の人柄によるところが大きかった。
「叔父さん、お疲れ様でした」
「とんでもない。こちらこそ面倒かけたな」
式が終わって一息ついていたところへ、家族を帰らせた甥の重右衛門が部屋に戻ってきた。今の彼にとって、唯一の身内である。
「しかし、続きますね」
「ここ二年で葬式が三件だからな。わしも色々と骨を折ったが、一番大変なのはやはりお前だろう重右衛門」
「何を仰いますか」
こんな時でも自分より他人を気遣う泰四郎。しかし重右衛門は浮かない顔だ。
「叔父さん。差し支えなければ、俺んとこで暮らしませんか」
気がかりな様子を見せる甥であったが、叔父は笑い声をあげて首を横に振った。
「せっかくだが遠慮させてもらうよ。体が動くうちは、自分の事は自分でやりたいからな」
つとめて気丈を振る舞ったが、重右衛門は表情を緩めなかった。それを見た泰四郎は、小さくため息をつく。
「たまに顔を見せてくれれば、それで良い。お前は、お前の家族を大事にしろ」
重右衛門の一家に何かあれば、一族の血筋は絶えてしまう。泰四郎は、それを何よりも憂いていた。
物分かりの悪い重右衛門をようやく帰し、泰四郎は、妻の霊前に改めて座る。
「とうとう、子宝には恵まれなかったなあ。本当に申し訳ない」
老いた夫はそう呟くと、しばらく手を合わせて深々と礼をした。
そして、頭をあげるや否や、
「何か、食いたいものはあるか」
事も無げに位牌に尋ねた。そして、聞き耳をたてる仕草をする。
少しの間そうしていたが、もちろん何か聞こえてくるわけがない。
「すまんな。やはり、お前の声はわしには届かんらしい」
泰四郎は笑った。先ほどまでのそれが嘘のような、無気力で淋しい笑顔だった。
「じゃあ、そうだな。肝煎様から上等な饅頭をいただいたから、あれを持っていこう」
あたかもすぐ傍に妻がいるような口振りで泰四郎は言った。そして位牌に一旦背を向けると台所へ行き、笹にくるまれた饅頭を手に取る。ついでに酒の入った瓢箪が目に入ったので、これも持つ。両手がふさがった状態で泰四郎は霊前に戻ってきた。
その場で立ったまま、彼は独り言をさらに重ねる。
「可笑しいだろう。わしが葬式饅頭もらっちまったよ。あべこべだな」
泰四郎の笑顔には、やはり力がない。
「今からそっちに行くから、一緒に食おう。せっかくの上物だ。わし一人で楽しんだら勿体ない」
その場に重右衛門が居たら何と思っただろう。そんな考えが泰四郎の頭をかすめたが、すぐに気にするのをやめた。
老人は背筋を伸ばし、改めて霊前に真っ正面から対峙した。そして、
「すぐ行く。待ってろ」
と言うと、家を出ていった。
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