家族の絆も、何もかも

 雨戸が外れた窓際からは、大雨がいやというほど入り込んでいた。加えて、現れたコウモリもびっしょりと濡れており、部屋はあっという間にずぶ濡れになった。


 コウモリの羽音と雷の轟音で、辺りは耳がイカレそうな五月蠅さだ。


「いわ!いるか!!」


「ここにおります!」


「よし!!」


 体をひたと密着させてはいるが、あまりにもコウモリが次々とぶつかってくるので、時々感覚が分からなくなる。俺はいわにしがみつき、見失わないよう一層腕に力を入れた。


「クソ、何なんだこれは!」


 草太郎さんが悲鳴をあげる。


 コウモリたちは体当たりをし続けてくる。体格差を考えると、やつらの方が衝撃は大きいはずなのだが、まったく懲りもせずにやつらは再び飛びあがり、俺たちにぶつかってくる。


「ちくしょう!絶対離さんぞ!」


 気持ちで負けてしまってはお終いだ。俺は大声で吼え、性根を奮い立たせた。


 コウモリは、際限なく襲い来る。その数は、さっきまでよりも増えているようにさえ感じる。


「いわ!!」

「ここにおります!!」


 時々、声をかけないと心配だった。


 コウモリの攻撃は終わらなかった。いくら何でも、ずっとこのままでは俺たちの体が持たない。


 不安の虫が、少しずつ俺を支配しだしていたその時、重右衛門さんが怒鳴った。


「おゆい殿よ!」


 コウモリの執拗な攻めにもかかわらず、彼の大声はよく通った。


「近くにいるのだろう! 姿を見せろ! わしの声が聞こえぬか、おゆいよ!」


 彼は、そこにいるはずの黄泉の使者、ゆいに呼びかけていた。


 ほどなく、コウモリは体当たりをやめた。そして、雨戸の辺りにそれらが集合する。


「……やはり」


 そこに、昼間見た汚い少女が立っていた。


 黄泉の使者ゆいは、何も語らずそこにいた。背中に豪雨を浴びているはずだが、その顔色はまったく変わらない。


 重右衛門さんは、そんなゆいの前に立ちはだかった。俺からは後ろ姿しか見えず、その表情は見えない。


「……久しいな、ゆい殿」


 その重右衛門さんの口から発せられたのは、あまりにも意外な言葉だった。


「五十年ぶりかな。わしもすっかり年老いたわ」


「正しくは四十*年ですね」


 ぶっきらぼうにゆいは答えたが、小声が過ぎて一部が聞き取れなかった。


「今度はわしの娘をさらうか。いい加減にしてもらえんかの」


「その子が勝手に入ってきたのですから、自業自得ですよ」


 重右衛門さんの両肩が、わずかに上がったように見えた。両手は拳が握られ、小刻みに震えている。


「ふざけるな。いわは絶対、お前には渡さん」


 怒りのこもった言葉に対し、ゆいは冷笑を浮かべるのみで何も答えない。


 わずかに間が空いたが、彼女は不意に俺たちに背を向けて、嵐の中を歩き去っていってしまった。


「……え?」


 思わぬ肩すかしをくらい、俺と草太郎さんは顔を見合わせた。


 それへ、重右衛門さんが檄を飛ばす。


「まだ気を抜くな!ゆいは必ずどこかでいわを狙っているはずだ!」 


 確かに、ゆいの手下と思われるコウモリが一匹も去ろうとしていない。


 まだ、何かが起こる。俺はそう思い改めて身構えた、


 その時。


「きゃああ!」


「うわ、何だこれ!」


 いわと草太郎さんが、ほぼ同時に悲鳴をあげる。


 壁から何本もの腕が伸び、いわを引っ張りだしたのだ。あっという間に、いわの体は半分が壁に埋もれた。一方で草太郎さんは壁の中に引きこまれることはなく、はじかれるかのようにいわをつかむ腕が離れた。


「くそ!」


 草太郎さんは壁の反対側へ回る為、外へ向かおうとした。が、大量のコウモリに遮られて身動きが取れない。


「させるか!」

 俺は必死でいわを引っ張り返したが、力の差は圧倒的だった。なすすべもなく、いわは壁の中に消えた。


 それを見届けたかのように、コウモリが一斉に飛び立つ。彼らは刹那のうちにいなくなり、後には荒れた部屋と三人の男が残された。


 それは、あまりにもあっけない幕切れだった。


 重右衛門さんがゆっくりと、

 本当にゆっくりと俺の前に来て、座った。


 そして、両の拳をついて、涙のにじんだ目で俺を見た。


「……栄之進君……」


 彼はつぶやくように言うと、深々と頭を下げた。


「こんな事になってしまって、申し訳ない……」


 絞り出すような声。俺は驚いて重右衛門さんの肩に手を置いた。


「やめてください、重右衛門さん! あなたに謝られても、僕は……」


 僕は。

 その後の言葉は、出なかった。


 俺は言葉につまったまま、重右衛門さんの肩に額を乗せた。涙が止められず、俺は泣いた。


 草太郎さんは思い出したかのように外へ走って出ていったが、すぐに抜け殻のような顔をして戻ってきた。崩れるようにその場に座り、虚ろな目で床を見ている。


 慈悲深い雨と雷は、惨めな男たちの嗚咽が聞こえないように、激しく音を鳴らし続けていた。

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