連れ去り

 結局、軍服さんは見つからなかった。


 心配ながらも寝床についた、その深夜。


 もうすぐ雪が降ってくる時節柄もあり、あまりの冷えに目が覚めてしまった。


 お手洗いに行きたい。


 私は、他の家族を起こさないように注意しながら部屋を出た。


 明かりをつけ、音を立てないように厠に入り、用をたす。


 そして、再び戸を静かに開けた、その時だった。


「!?」


 厠の前に、何者かがいた。


 男性だ。家族ではない。どこかで見た着流しを身にまとい、不自然なほどの猫背でこちらを見上げている。目は大きく見開かれ、口もそれに負けじとあけられていた。一応笑顔にも見えなくないが、あまり気分の良い表情ではない。


「誰?」


 私は、息を詰まらせながらも、かろうじて出た声で聞いた。


 いや、本当はこの人の事を知っていたのだが、あまりにも私の知っている彼とはかけ離れていたので、確認がどうしても必要だったのだ。


 しかしながら、私の問いに軍服さんは答える素振りをまるで見せず、そのまま私の腕をつかむと、ゆっくりと引っ張りだした。


「え……?」


 私は一瞬、声を上げようか迷った。実際、今の軍服さんは滅茶苦茶に怖い。が、彼には放火の疑いもかかっている。このまま私が叫べば、間違いなく彼は警察に捕まる。


 明らかに正気ではない彼を、このまま警察に引き渡して良いのだろうか。私はそんな風に考えてしまい、何一つ言葉を発する事が出来なくなった。


 軍服さんは、私を家の外まで引っ張り出した。目的地はどこなのだろう。三日月の浮かぶ暗い夜空の下、私たちはゆっくりと歩いた。


 私は黙って、なすがままに任せた。彼はそれを良いことに、私をどんどん村外れへ連れていく。


「はー……はー……」


 一体、目的地はどこなのだろう。軍服さんは時々不気味な息づかいを聞かせるだけで、全く何も話してくれない。私たちはどんどん人のいないところへ進んでいた。


 ふと気がつくと、足元にキツネが一匹、まとわりつくように私についてきていた。真夜中ではっきりとは分からないが、その毛は真っ白に見えた。


 しばらく行くと、私たちは民家のほとんどないところまで来てしまった。


「……あれ、ちょっと待って……」


 ここから先は一本道だ。民家は一軒しかない。


 それ以外にあるものといえば、


「あの、これ……黄泉小径へ行く道ですよね……」


 軍服さんは答えない。黙々と私を引っ張るのみだ。


 ここで私は初めて軍服さんに抵抗を試みたが、元より体力に差がありすぎた。どれだけ足を踏んばってみても、彼の歩みが遅くなる気配すらない。いまさらながら、さっき家の中で声を上げなかったことを後悔した。


 なされるがまま、私たちは黄泉小径がある竹藪にまで来てしまった。


「ひ……!」


 そこで私を待っていたもの。

 それは、同年代と見られる一人の女性だった。


 小径の番人、おゆいさまだ。


 うそでしょ?

 おゆいさまって、本当にいたの?


 私の混乱をよそに、軍服さんは淡々と私を引っ張り続ける。


「待って……それ以上はまずいよ……」


 行き先はもちろん、真っ暗闇で何も見えない竹藪の中だ。


 そしてその向こうは、あの世……


「待って! 待ってってば! 何でそういう事するの! 私が何をしたの!?」


 この期に及んで冷静でいられるほど、私も人間は出来ていない。が、叫んでも喚いても、誰も反応を示してくれない。


「なんでなの! なんで私なのよ! 答えなさいよ! 誰か!!」


 なんで私なの。

 私の言葉に、おゆいさまの眉がぴくりと動いた。


 わずかな反応を見た私は、彼女に食い下がった。


「あなた! 何か言いなさいよ! なんで、なんで私をこんな目にあわすの!?」


 おゆいさまは、私の言葉を無表情で聞いた。


 そして、

 軽く鼻で笑って私に背を向けた。


「何よそれ!いい加減にしなさいよ!せめて理由だけでも教えな……!」


 私の言葉は、途中で遮られた。

 誰かが手で私の口をふさいだのだ。

 腐った臭いがする、ジュクジュクした手だ。


 助けて……


 もはや、声を発する事も許されない。

 私は、無数の腐った腕によって、闇の中に引きずりこまれた。


 助けて……

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