無邪気

「弘一君は、良い子ですね」


 薄暗い竹藪の中を歩きながら、少女は言った。


「みんなの言う通りおりこうさんにしてたら、父ちゃんも母ちゃんも怒らなくなったって、喜んでましたよ」


 最近、奴の振る舞いが変わったのは、こいつらが関係していたのか。


 というか、みんなって、誰だ?


「ここにいるのは、お前ひとりではないのか?」


「来れば分かります」


 竹藪の中は一本道だった。凧糸は必要なかったか、と思っていたら、しばらくして直進か左折かで道が分かれているところに来た。


 女は左に曲がる。俺は凧糸を垂らしながら後へ続いた。


「さあ、こちらです。弘一君、お父さんだよ」


「あ、父ちゃん!」


 弘一の弾むような声が耳に届く。


 家族総出で心配しているのに、呑気なものだ。俺は凧糸を足元に置いて弘一の方へ近づいていき、


 そして、凍りついた。


 弘一のまわりに累々と置かれた、死体、死体、死体。


 その真ん中で、弘一は無邪気に笑っていたのだ。


 死体は、最近のものから、ミイラ化、白骨化したものまで様々だった。あまりの光景に、俺は言葉を失った。


「え? なあに?」


 何も出来ない俺を尻目に、弘一がミイラ化している死体のひとつに声をかけた。


「うん。これがウチの父ちゃん。たまに怒るとこわいけど、いつもはすごく優しいんだよ」


 あっけらかんとそう言って、また笑う。


 ……なんだよ、これ……。


「お父さん……」


 女は、後ろから俺に向かって言った。


「弘一君は、ここにずっといたいそうです。良ければ、お父さんも一緒にどうですか?」


 俺は、女を振り返った。



 間違っていた。

 この女、本物の『おゆいさま』だ……。



「……返してください……」


 自分でも情けないと思えるような、か細い声が出た。


「息子を返してください……あれは、大事な一人息子なんです……」


 俺の哀願を聞いた女は、最初は無表情だったが、いきなり禍々しく嗤いだした。


「勘違いしているようですが」


 両目と口を吊り上げながら、おゆいさまは言った。


「あの子はすでに私たちのものです。あなたに権限があるのは、あなたがこれからどうするか……その一点のみです」


 断言された。


 弘一は、すでに黄泉の住人になってしまったのだ。


 もう、連れては帰れない。


「父ちゃん、どうしたの?こっちでみんなと一緒に遊ぼうよ」


 何もわかっていない様子の弘一が、ただただ辛い。


 俺は、今にも崩れ落ちそうになるのをこらえながら、息子に言った。


「弘一、また来るぞ」


「ええ、帰っちゃうの?」


「そう言うな」


 たまらずに弘一から視線を外して、俺は踵を返した。


「お帰りですか」


 おゆいさまとも視線を合わせず、俺は逃げるようにしてその場を後にした。


       *


 凧糸に従い、俺はT字路を左に曲がる。


 足取りは、鉛のように重かった。


 家族に、なんて言えばいいんだろう。


 妻に、親父に、おふくろに。


(……)


 俺の気持ちを示すかのように、竹藪の闇は進むほど暗かった。

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