夕飯時

 信号もない山道をひたすら運転して家に着くと、父が農作業用で使う三輪トラックが駐車場所にない。


 まだ畑に出ているのだろうか。気になりつつも玄関の引き戸を開ける。


「帰ったぞ」


 誰も返事をしない。


 いないのか?と思って土間に足を進めると、台所の方で煮物が煮える音がした。


「おい、帰ったぞ」


 食事の支度をしている時は、妻は得てして俺の帰宅に気づかない。俺は台所まで足を運び、改めて言った。


 が、


「ああ、おかえり博」


「あれ、今日はおふくろが飯作ってるのか」


「うん」


 そこにいたのは、妻ではなく母だった。最近はめっきりここで作業をするのを見なくなっていたので、ちょっと意外な感じがした。


「あいつはどうしたんだ?」


「悦子さんなら、お父さんと一緒に弘一を迎えに行ったよ」


「迎えに?」


「ほら、いつものところ」


「はあ?」


「もう、通信簿の成績が良くなかったもんだから、悦子さん怒っちゃってね。それで弘一、駆け足で家出ていっちゃったのよ」


「通信簿って……それ、何時頃の話だよ」


「お昼食べてすぐ。最初は『いつまでも拗ねた子供を迎えにいくのは甘やかしてるみたいだから』って言って、悦子さんも放っておいたんだけど……この時間まで帰って来ないってなったら、さすがにちょっとねえ」


 俺は、部屋の掛け時計に目をやった。


 針が示している時間は、6時半。


 つまり息子は約5時間、黄泉小径に居続けている事になる。


 それを考えると、確かに不安になってくる。何だかんだ言っても、あいつはまだ小学1年生だ。6時を回っても家に戻らないとなると、どこかでトラブルを引き起こしている可能性もあるのだ。


「焦ったってしょうがないよ。悦子さんたちを信じて待ちなさい」


 俺の胸騒ぎを見て取ったのか、母はそう言ってきた。

 そして、そのまま料理に集中しだす。


 話し相手を失った俺は仕方なく、茶の間で弘一を待つ事にした。


 ふと見ると、ちゃぶ台の上に通信簿が無造作に置かれている。俺は手を伸ばし、二つ折りになったその厚紙を開いた。


 なるほど、芳しくない。全体的に低い数字が並んでいて、体育だけが好成績だ。


 ただ、今はまだ一年生の一学期である。この段階で息子を叱るのは尚早な気もしてしまう。


 俺は、小さくため息をつきながら先生のコメントが書いてある方のページに目を移す。


 と。


 ガガガガ……


 トラックの音が聞こえてきた。


「……あ、戻ったか」


 俺は通信簿をちゃぶ台に置き直し、外へ迎えに出た。


 荷台から飛び降りた息子が、ニコニコ顔ですっ飛んで来る。


「父ちゃんお帰り!」


「お、おお。帰ったぞ」


 しょげている様子の全くない弘一を、拍子抜けしながらも受け止める。後ろからは、無表情の妻と苦笑いの父が寄ってくる。


「悪いな、親父」


 一言詫びを入れると、父は俺の肩に右手を置き、小声で言った。


「わしの事はええから、悦子さんの機嫌を取ってやれ」


 その妻は、眉ひとつ動かさないまま俺たちを通り過ぎて玄関へ向かう。


「ただいま戻りました」


 引き戸を開けると、無機質にそう言って家に入った。その様は、中にいる母よりもむしろここにいる俺たちに向けて言っているようだった。


 父はおどけた表情で肩をすくめた。


 思わず、俺もそれへ倣う。


 さらにそれを見た息子も、まねをして肩をあげる。



 ……いや、

 お前はやるなよ。

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