オレが憧れた人

 アタシ…………、いや、オレの名前はソフィー・ドラクロワ。ドラクロワ伯爵家に生まれた女、だ。……はぁ。

 ……失礼、少し落ち込んじまった。もし、オレが男に、または姐御が良かったのに。

 いや、そうなったら今度はもしかしたらオレたち、出会わなかったかもな。

 それはそれでいやだな。だって、今のオレはあの人への憧れがあったこそ、なんだから。





 あの人とアタ…………、オレが出会ったのはだいたい8年前、か。ハミルトン公爵家に面白い令嬢がいるって噂になりはじめた頃だ。

 その少し前くらいから、ハミルトン公爵家が変なものを売り出した、なんて話題になってたんだ。

 今でこそ普及してるけど、石鹸とか悪魔の植物。あの人、姐御が馬鈴薯って名付けたんだっけ。とくに馬鈴薯、あれの芽の部分に毒があるなんて、どこで知ったんだろう。姐御曰く、書物に書いてあったらしいけど……。


 ちょっと話が脱線しちまったか。ともかく、そのことと、この頃、オレたちの主家。エルミナ侯爵家がハミルトン公爵家に接近している、なんて噂がたったからそれの確認のため、公爵閣下へのお目通りを願ったんだ。

 そうしたら、承諾自体は問題なく得られたんだけど、なんとも不思議な条件を付けられた。ドラクロワ伯爵家令嬢、ソフィー・ドラクロワも拝謁に臨むべし、ってな。


 公爵閣下はいったいどこで、オレのこと知ったんだか。なんてったって、まだ社交界へのデビューもしてなかったのに、家族みんなで首をかしげてたのを覚えてるよ。

 あるいはマリアさまが話してたのかもな。少し前に、姐御と直接会った、なんて話をしてたから。……オレのことなんて、話題にする内容もなかっただろうに……。


 まぁ、とにもかくにも。オレたちはゆるゆるとした旅路でハミルトン公爵家の館――もはや、城と形容しても良い――にたどり着いたんだ。

 あの大きさにはビックリしたなぁ。さすが王家の外戚だなんて父上は納得してたけど。でも、アタシはガチガチに緊張してたんだよ。なんと言ってもハミルトン公爵家なんて、こっちからすれば王家と同じく雲の上の存在。そんな一族に名指しで指名され、たどり着いたらこんなとんでもない場所だったんだから、緊張するな、ってのが無理だ。

 そんな緊張してたアタシだけど、カン、コン、と何かがぶつかる音が耳へ聞こえてきた。


 その音が聞こえてから、アタシたちを案内してた執事の爺さん――後に、その執事がハミルトン公爵家の家宰、セバス・アルフォードだって分かって父上たち、驚いてたなぁ――が、少し困った顔になってたんだ。

 こちらが何事か、と思ってみれば、その音自体は兵たちの訓練の音だった。

 ただ、当時はまだ領民兵が主流だった――うちら、ドラクロワ伯爵家や主家のエルミナ侯爵家だってそうだった――から、平時から兵士を鍛える。職業軍人は珍しかったんだよな。とくに戦いの時期じゃない兵士はただの金食い虫だから大々的に雇う、なんてエルミナ侯爵家だって難しいんじゃないかな?


 まぁ、そこらあたりの問題は公爵家の直轄領の畑を整備させることで、少しは出費を抑えるようにしてたらしい。屯田兵制度、だったかな?

 それの発案も姐御だったらしいから、本当多才だよなぁ。頭の中身、どうなってるんだか……。

 で、ハミルトン城に詰めてるのは親衛隊、って呼ばれるエリート部隊だって後から姐御に教えてもらったんだ。とくにハミルトン公爵家に対する忠誠心を植え付けて、絶対に裏切らない軍隊を組織する、って言ってたけど。姐御、まさか王家に弓引くつもりじゃないよな……?

 さすがに姐御が、そんな短絡的なことするとは思えないけどさ。


 ともかく、そんないろんな意味で圧倒されてた訳だけど、良く見たら大人の兵士たちが訓練しているなか、一組の子供が木剣で打ち合ってたんだ。

 一人は金髪で長い髪を翻していた女児。そう、姐御ことアンネローゼ・フォン・ハミルトン公爵令嬢。その相手をしてたのがアタシと同じ褐色の肌に黒い髪。どことなく、子供ながらも獰猛な雰囲気を感じさせた男児。

 後々知ることになったけど、ハミルトン公爵家麾下の伯爵家。四伯爵家に名を列ねる一家、ヴァレンティーヌ伯爵家の嫡子。ジャック・ヴァレンティーヌだった。


「破っ!」

「……なんのっ!」


 木剣を打ち合う両者。ジャックは荒々しい動きで、姐御は流れる水のごとく、流麗に。

 ……本当に、きれいだった。アタシも斯くありたい。そう思うほどに。

 ジャックが打つ、姐御が受ける。受けた剣を木剣で滑らせはね除けると、反撃、とばかりに一撃を。だけど、それをあいつは剣を盾代わりにして、自身の膂力で無理やり受ける。……って、言っても。それだって姐御が非力だったからこそ出来た。今の姐御に同じことやろうとしたら、多分、ブッ飛ばされるよ。


 まぁ、なんにせよ。あのときの姐御にはそれが通用した。けど……。


「甘いっ!」

「……えっ! うわぁっ!」


 姐御は防がれることも込みで打ち込んでたんだ。防がれた、と確認した直後。素早くしゃがみこんで足払いを仕掛けた。

 そんなものが来ると思わなかったジャックは足を取られてスッ転んだ。それでも、頭を打たなかったのはさすがだよな。そして、姐御もなぜか追撃しなかった。そのときはなんでだろう、って思ったな。


 でも、そこで審判役の兵士からストップがかかった。これ以上は危ない、って判断したんだろ。実際ジャックのやつ、すごく悔しがってたし……。

 二人の模擬戦を夢中で見てたアタシだけど、ポンポン、と肩を叩かれたんだ。ハッとして叩かれた方を見ると、そこには苦笑いしてみてる父上。あのときは恥ずかしかったなぁ……。

 何しろ、ハミルトン公爵閣下は多忙であらせられる。謁見だって、なんとか時間を工面してくれたんだから、待たせるなんてもってのほか。それなのに、アタシがじぃ、って見てたもんだから。穴があったら入りたかったよ。


 まぁ、ともかく。その後は急いで移動して謁見には間に合ったんだけど。予想外だったのは、さっきまで模擬戦してた筈の姐御。アンネローゼ・フォン・ハミルトン公爵令嬢が同席してたこと。

 思わず、目を疑っちまったよ。それで気付いたんだ。さっき兵が模擬戦を止めたのは、単純に謁見の時間が迫ってたから、なんだって。それに、父上が最後まで模擬戦を見せててくれたのも、姐御が同席するのを知ってたからなんだって。

 そりゃあ、止める必要なんてないよな。姐御があそこにいた以上、謁見はまだ始まらないんだから。


 それからは、まぁアタシが終始ビックリさせられてた以外、何も問題なく謁見は終わった。けど……。

 やっと、謁見が終わった。なんて考えて、はふぅ。と息を吐いてたアタシに声がかけられた。


「ソフィー・ドラクロワ伯爵令嬢。少し、よろしいか?」

「えっ……? あっ、は――」


 ――い。そう返事しようとして固まったよ。何せ、目の前には公爵閣下とともにいた筈の姐御がいたんだ。完全に動揺して頭の中は真っ白さ。もっとも、姐御はそんなのお構いなしに話しかけてきた。


「もっと、色々お話ししたくてね。もちろん、ドラクロワ伯爵閣下には許可を頂いている。……もう少し、俺――じゃなかった。わたくしの部屋で話をしないか?」


 凛、とした姐御からのお誘い。それを断るなんて選択肢、アタシにはなかったよ。

 それからは夢のような時間だった……。


 姐御の、きらびやかな部屋に招待されて、色々な話をしたんだ。

 領地の話、領民の話。マリアさまとはどんな話をしたのか、姐御とマリアさまの仲の良さ、とか。

 もっとも、最初は緊張のしっぱなしでお付きのメイド。エリス・アルフォードがなにかと気を遣ってくれてたんだ。お嬢さま、ソフィーお嬢さまが気後れされてますから、とか、ね。


 それでも、本当に楽しかったんだ。それとともに本当に

 同じ世代の男の子にだって負けない武力。民を、領民たちを安んじることができる思慮の深さと優しさ。アタシみたいなガサツな男女みたいなのだってエスコートできる紳士、淑女っぷり。


 本当にときめいちまったんだもん。だから、アタシと姐御がおんなじ性別。女であることが残念だった。違ってたら、絶対婚約者に立候補してたのに。

 ……でも、まぁ。そうだったとしても今度は既にジュリアン王子と婚約が決まってたらしいから、悔し涙で枕を濡らしてただろうけど、ね……。


 そんなアタシの婚約者は、あの時姐御と模擬戦をしてたジャック。ジャック・ヴァレンティーヌ。妙な縁もあったもんだね。まぁ、でも。最初の方は喧嘩ばっかりだったけどね。お互いがお互い、姐御のことが大好きだったから。


 ……ちなみに、だけど。ジャックのやつ、姐御の婚約者が王子に決まって、実際に枕を涙で濡らしたんだってさ。……気持ちは、分からなくもない。というより、良く分かるけどね。





 ……途中から、一人称がアタシになってた?

 どうしても、気が抜けるとねぇ……。

 なんで、オレ、なんて言ってるのか?

 なんてことはない。結局、姐御の物真似だよ。リスペクトってやつ。婚約者にはなれなかったけど、それでも姐御に少しでも近づきたかったから。ただ、それだけだよ。

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