第2話三番目のお色気担当ヒロイン
気がつくと、俺はどこかのベッドに寝かされていた。
あれ、あの後、俺どうなったんだろう……思い返そうとしてみて、額に鈍痛を覚えた。
つっ……! と呻いて、俺はしたたかに強打した額に手で触れた。
どうやらあの後、両親が昏倒している俺に気づき、病院に搬送されたらしい。
石膏ボードの天井も、ぶら下がる蛍光灯も、そしてプンと香る消毒液の匂いも、ここが自室でないことを示していた。
そんなに打ちどころが悪かったのかな……と思いながら顔をしかめた俺は、ふと、自分の腕を見て、あることに気がついた。
なんだこりゃ、俺、ワイシャツ着てる……?
おかしい。俺が部屋で昏倒した時はスウェット姿だったのに、今の俺はシャツ姿だ。
まさか救急搬送前に両親が着替えさせたわけでもなかろう。
ということは、ここは昏倒している最中の俺が見ている夢の中――?
「おっ、おい三津島! お、お前ぇ、何考えてんだよ……!?」
不意に――そんな声が隣から聞こえ、俺はそっちの方を見た。
なんだか大慌てに慌てている男の声とは裏腹に、すぐに甲高い女の声が答えた。
「クロエ――そう呼べって言ってるでしょ?」
なんだか、妙に色気ある微笑み声と共に、女の声はそう言った。
は、クロエ――? 俺が顔を一層しかめると、ドサッ、という湿った音が発した。
「――
ギシッ、と、ベッドのスプリングが軋む音、そしてうひっと男が悲鳴を上げるのが同時に聞こえた。
「だから――アンタとそういう関係に進むことだけは、私が最初でありたいの。練習のつもりでいいよ? 私だって初めてだしさ」
イライラ……と、俺はその睦み言を聞いていて、したたかにぶつけた額が一層痛むのを感じた。
くっそー、これが夢を失った挙げ句、昏倒して病院に担ぎ込まれた人間に聞かせていい音声であろうか。
こちとら三十年近く生きてきて、そういう関係になるどころか、彼女がいたことすらないのに。
っていうか、八百原? 一葉? 二階堂?
なんだか、全員聞いたことがある名字だ。
特に八百原。そんな珍しい苗字の人間、俺は一人しか知らない。
そう、それは俺の小説、『シュレディンガーのラブコメ』の主人公、
「あっ、あのな三津島! そっ、そういう大事なことは俺なんかじゃなくて、あの、ちゃんと好きな男と――!」
情けない声で慌てている男の声に、しゅる、と、何か衣擦れの音が重なった。
男の方が息を呑む気配の後、クスッ、と、女の方が途方もなく妖艶な声で笑う。
「私、ちゃんとスキだよ? 八百原のこと」
イライライライラ。そのイチャイチャを隣で聞いている俺の苛立ちは天元突破しそうな感じになってきた。
「ほぉら、ちゃんとこっち見る! この身体も心も、みんな八百原のものなんだよ? 思う存分好きにしていいから――!」
ギシッ。またベッドが軋む音をきっかけに、俺はとうとうブチ切れた。
俺は右手でカーテンをふん掴むや、一息に開け放った。
そこには、こっちを向いてぎょっと固まる、ベッドの上で絡み合う一組の男女の姿があった。
男の方は学生服姿で、その上に馬乗りになった女の手がベルトのバックルに伸びている。
一方、女の方は――かなり際どいことになっていた。
スカートを脱ぎ捨て、シャツのボタンを全て外して前をくつろげ、ブラジャーもパンツも丸出しという、いわゆる「ヤる気満々」の格好のまま、女は俺を凝視して硬直している。
コイツら、負傷者のすぐ横で、マジでおっぱじめる気だったのか――。
俺は自分でも信じられないほど冷たい声で一喝した。
「怪我人の横でサカってんじゃねぇよ、サルども。乳繰り合うのは他所でやれ」
俺の一喝に、今まで半ば放心していた男子生徒の方が正気に戻ったらしかった。
弾かれたように身体を起こした男子生徒は、馬乗りになる半裸の女子生徒を突き飛ばすようにして起き上がり、「ごっ、ごめん!」という悲鳴と共に、バタバタと部屋を走って出ていってしまった。
「ああっ――!? ちょ、ちょっと待ってよ八百原! ちょっと――!」
半裸体の女の追いすがる声が、虚しく部屋に響き渡った。
女はがっくりと肩を落とした。
「もう、あと少しで既成事実作れそうだったのに……! アンタのせいよ! どう責任取ってくれんのよ!?」
「責任もへったくれもねぇだろうが。俺は負傷者だ、怪我人だ。怪我人とヤる気満々のド痴女、どっちがこの部屋を優先的に使用する権利があるかは明らかだろうが」
俺が正論をぶつけると、女の方がビクッと怯えた。
なんだ? と俺が眉間に皺を寄せると、女の方が少し驚いた表情になる。
「……アンタ、そんな乱暴な言い方する奴だったんだ。ほ、本気で怒ってんの? 悪かったわよ。隣にアンタがいるのに気づかなかったのよ……」
なんだ、この女? まるで俺と顔見知りであるかのようなことを言う。
俺は半裸体である女を、思わずじろじろと眺め回した。
んん? 妙だな。俺の方もこの女に見覚えがある気がする。
いや――正確には「見」覚えではない。なんというか、俺の記憶の断片といちいち一致する佇まいをしている、という方が正確だった。
おそらくさっきの男子生徒の佇まいを考えるに、この女も女子高生と思われたが、これが一体未成年の女子高生といえる容姿だろうか。
まるで大玉スイカのような、色気よりもまず迫力を感じさせる程に暴力的に巨大な胸と、その胸よりも遥かに小さい、すっきりと整った顔。
明らかに日本人由来のものではない白い肌と碧眼、そして、すっきりと整った顔に妙に勝ち気な印象を与える、ツンと尖り気味の鼻頭。
耳に控えめなピアス、そして何よりも、このショートボブに切り揃えられた、輝くような銀色の髪――。
そう、それは俺が最も力を入れて作った、あのキャラクターの佇まいそのものだ。
まさか、と、俺は顔をしかめて尋ねた。
「お前、まさか……三津島クロエ、か?」
俺の質問に、女はちょっと不満げに答えた。
「な、何よ、改まってそんなこと尋ねて……そうだけど、何?」
参った。俺は嘆息した。
如何に最終選考での落選が堪えたからと言って、自分で作った作品のキャラクターたちの夢を見るとは。
俺は右手で額を覆い、あまりの情けなさに笑ってしまった。
「ハハッ、お前、マジで三津島クロエ? マジか」
「な……何よ突然? 何喜んでんのよ?」
「いや、思ってた以上に美少女だなぁ、って思ってさ」
「なっ――!?」
その言葉に、三津島クロエの顔が紅潮した。
「な、なにを言い出すのよ突然!? 急にどうしたの!?」
「いやしかし、これはすげぇ。この爆乳、顔つき、髪の色……マジで美少女だな。受賞してイラストレーターさんに表紙描いてもらったらまさにこんな感じだったんだろうなぁ……」
そう、夢の中とはいえ、眼の前にいる我がヒロインは、それはそれは圧倒されるような容姿の少女だったのだ。
俺が再びジロジロと無遠慮に三津島クロエの半裸体を眺めて笑うと、三津島クロエは少し赤面し、「な、何よ……! そんなエロい目で見んな!」などとボヤきながら、毛布で自分の体を覆った。
はーあ、と俺は大きく大きくため息を吐いた。
「こんないい女、言い寄ってくる男なんかたくさんいるだろうにねぇ……全く、主人公である八百原君は救いがたく愚か者だよな。――何せこんないい女を最終的に手酷くフるってんだから」
俺の一言に、ピクッ、と、三津島クロエの表情が強張った。
「な、何――? あ、アンタ、今なんて言ったの!?」
「お前は最終的に八百原那由太にフられるって言ったの。お前、近いうちに負けヒロインになるぞ」
受賞を逃したのと、その落胆から妙な夢を見ている己への苛立ちから、俺は滅多になく露悪的な気分になっていた。
はぁ!? と不満げに声を上げた三津島クロエに、俺は意地悪な笑みで答えた。
「なっ、なんでそんなことアンタにわかるのよ!? 知ったようなこと言って! アンタなんかに私の何がわかるって――!」
「三津島クロエ、十七歳。私立青藍学園高等部二年A組、出席番号二十三番。本名は三津島・クロエ・
俺がつらつらと諳んじると、ぎょっと三津島クロエが目を剥いた。
「身長百六十五センチ、体重五十七キログラム、スリーサイズは上から九十五センチのHカップ、五十九センチ、九十センチ。乙女座のA型で動物占いでは黒豹タイプ、趣味はスタバの新作漁りとインスタグラムの更新。好きな食べ物は甘いもの全般で嫌いなものは辛いもの全般。右乳の胸元に二個並んだほくろアリ。八百原那由太を好きになったきっかけはタチの悪いナンパに絡まれた時にアイツが泥だらけになって助けてくれたこと。とどめに、お前がここに来たのは放課後、アイツがお前を庇って野球部の流れ弾に当たって保健室に運ばれたから……今俺が言った中に一個でも間違いがあるか?」
俺の言葉に、三津島クロエが明らかにゾッとした表情で身を固くした。
そう、それは俺が自作『シュレディンガーのラブコメ』に書き記したイベントで、その後保健室のベッドの上で主人公である八百原那由太が三津島クロエに迫られる内容も俺が書いたものだ。
そして今語ったデータはすべて、俺があの大学ノートに細かく設定していた三津島クロエというキャラクターの詳細な設定である。覚えていないはずがなかった。
「な――何よ、アンタ……な、なんでそんなことまで知って……!?」
「当たり前だろ、誰がお前ら創ったと思ってんだ? とにかく、お前は八百原那由太には選ばれない。アイツは別のヒロインと結ばれる。残念だったな」
「そっ、それってどういう意味よ!? まだ勝負は終わってない! 絶対に私は八百原をオトしてみせる! それに私は一葉さんよりも二階堂さんよりも、私はアイツの親友として一歩リードしてて……!」
「それも違う。八百原那由太ってさ、昔結婚の約束した幼馴染がいたって話は聞いてるよな? アレ、一葉深雪のことだぞ」
俺が物凄いネタバレをぶつけると、サーッと三津島クロエの顔が青褪めた。
「そ、んな……! あ、あの、八百原が言ってた初恋の人が、一葉さん……!?」
「おっと、こんなんで驚いてるなよ。まだある。……二階堂
ぎょっ、と、三津島クロエが目を見開いた。
「は、はぁ……!? 義妹!? そっ、それマジなの!? 今時義妹とかどこのラブコメ小説よ!?」
「そりゃマジでラブコメ小説なんだから仕方ないわな。二階堂奏と八百原那由太は両親の再婚で、今年の夏から義兄妹になった……どうだ、知らなかっただろ?」
にひひ、と意地悪に笑った俺に、三津島クロエの顔が一層青褪め、三津島クロエは愕然とした表情で俯いてしまった。
「そ、んな……! 八百原のヤツ、そんなこと一言も言ってなかったじゃない……!」
「まぁ二階堂奏については事情が事情だからわからんでもないが、八百原はまだこの時点では初恋の幼馴染が一葉深雪だとは気がついていないぜ。まぁ、一葉深雪の方はとっくに気づいてるけどな。でもアイツってツンデレだろ? 素直になれない、ってヤツだ。まぁそういうわけで、お前はリードしてるどころか、今のところ二人のヒロインに大きく水を開けられていて……」
と、そこまで俺が説明したその瞬間、グスッ、と洟を啜る音がして、俺は口を閉じた。
三津島クロエが――涙を浮かべて震えていた。
ありったけの力で歯を食い縛り、拳を握り締めて、三津島クロエは吐き捨てるように言った。
「……何よそれ、知らなかったの私だけなの!? アイツだけじゃない、一葉さんも二階堂さんも、自分が何をしなくとも物凄くリードしてるのを黙ってたわけ!? 今まで必死に色仕掛けして八百原に言い寄ってた私を影でみんなで笑ってたんだ……!」
あ……と、俺は自分の言ったことを反省した。
あ、あの、と話しかけようとしたのを、三津島クロエは拒否するように首を振った。
「信じられない……! 八百原のヤツ、あの人たちとそんな仲になってるのに、私にだけは今まであんな優柔不断な態度取り続けてたんだ……! マジ最ッ低! こんな色仕掛けまでして迫ってた私がバカみたいじゃないの……!!」
ああ、しまった、三津島クロエは――こういう人なのだった。
奔放で、快活で、あけすけで、元気いっぱいで――そして何よりも、努力家なのだ。
その努力をフルスイングでぶち壊しにしてしまった俺は、ごほん、と咳払いをひとつして、涙に震える三津島クロエに話しかけた。
「あ――悪かったよ、三津島クロエ。そんな落ち込むな、な? これでも俺はちゃんとお前の努力を見てるんだぞ」
「は、はぁ――!? さっきから思ってたけど、アンタは一体何様のつもりなの!? 何よその上から目線!?」
「とっ、とにかく、お前が八百原とくっつく可能性は無……いや、限りなく低いんだけどな? その代わり、お前には最後の最後にいい出会いがあるんだよ」
いい出会いって? ぐすっ、と洟を啜った三津島クロエに、俺は静かに告げた。
「お前はおそらく、二年の最後、告白した八百原那由太にフられる。でもすぐに別の男から告白され、お前はそれを受け入れるんだよ。今は辛くとも、お前はすぐに誰もが羨む幸せなカップルになれる。だから元気出せ、な?」
「な、何よ。アンタ予言者かなんかなの? だ、第一、私が誰と付き合うって?」
なんだか原作者としてヒロインの一人に今後のネタバレをしてしまうのは如何なものかなとも思ったが、どうせこれは夢なのだ。
ついつい酷いネタバレをぶつけて泣かせてしまったのを詫びるつもりで、俺は三津島クロエに向かって、重大なネタバレを口にした。
「ホラ、アイツだよアイツ。八百原那由太の親友の、
◆
「面白かった」
「続きが気になる」
「いや面白いと思うよコレ」
そう思っていただけましたら、
何卒下の方の『★』でご供養ください。
もしかしたら面白いかもしれませんので。
よろしくお願いいたします。
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