第5話 聖女魔王、貴婦人の呪いを解除する
「さて、ニッコロさん。今日はこの町で救済活動に励みましょう!」
「朝っぱらから元気いいねぇ。俺もっと惰眠を貪りたかったんだけど?」
「怠惰は大罪です! さ、身支度を整えて早く行きましょう!」
「へーへー。仰せのとおりに」
次の日、日の出ぐらいでミカエラに叩き起こされた俺は、朝食のパンと塩スープを腹の中にかき込んで歯を磨いた。それから聖騎士としての武具を装備する。寝癖は整えたし顔も洗った。俺がやらないとミカエラの方がすぐサボるからな。手本を示さないと。
ミカエラもまたきちんと聖女としての祭服を身にまとっている。ちなみに二つあるので、町に滞在してる間に二日かけて両方洗ってもらうつもりだ。汚れてたり臭かったりしたらみっともないからな。
「次の乗合馬車の出発は明後日の朝だ。明日は消耗品とか食材とか買い集めるぞ」
「そうですね。他人ばかりにかまっていて旅支度がおろそかになってしまっては本末転倒ですもの」
「やっぱさあ、奇跡の行使に金を取るべきだと思うんだけど。駄目か?」
「あくまで余の技量を高めるために奇跡を使ってるだけですからね。善意は受け取りますけど、身ぐるみ剥がす勢いでむしり取るつもりはありませんよ」
二日目になれば聖女が町に滞在していることは広く知れ渡ったようだ。けれど畏れ敬う様子は薄れているようにも感じる。これはミカエラが気さくに挨拶を送るのもあるんだろうな。
「けっ。何が聖女だ。馬鹿馬鹿しい」
そんな中、悪態をつく中年の男と遭遇する。
朝っぱらから酒瓶を片手に酔っ払う中年男は路地の片隅でこっちを睨みつけてきた。体格はいいから昔は兵士やら冒険者やらで戦えたのだろうが、彼は右肩から先の腕を失っていた。
「聖女サマが奇跡を起こせるってんならよ、オレの腕だって元通りに出来るだろ?」
恨み骨髄に徹して俺達……いや、ミカエラに悪態をつく。
どうやらその中年男、町では有名なようで、周囲の町人達が「また彼か」と言った感じに騒ぎ出す。同情はするものの軽蔑も入り混じっていて、この男の態度は決して短くない期間続いているらしい。
「はっ! 出来ねえよなぁ! 何が神の奇跡だくそったれ!」
「むっ。何を根拠にそう言ってるのか知ったこっちゃありませんが、それぐらい余にかかれば朝飯前ですよ。今日はもう食べちゃいましたけどね」
馬鹿にされたのが気に食わなかったのか、ミカエラは売り言葉に買い言葉とばかりに言い返した。それを中年男は鼻で笑う。その反応が癪に障ったミカエラ、大股で中年男へと歩み寄った。
「じゃあ治せたら謝ってください。それで許してあげます」
「おい、ちょっと待て。何をするつもり――」
「エクスヒーリング!」
回復の奇跡の最上位。ミカエラはそれをためらうことなく行使した。
まばゆい光が辺り一帯を包む。
変化はすぐに現れた。
中年男は「熱い」だの「かゆい」だのうめきながら失われてた右腕の跡を左手で押さえる。程なく、服の袖だけだった場所からうねうねと肉が盛り上がっていき、やがて腕と手を形作っていった。
「こ、これは……」
中年男は再生した自分の右腕をまじまじと眺める。肘を曲げ伸ばしし、腕をぐるぐる回して、手を握ったり開いたりを繰り返す。そして左手で皮と肉をつねって、最後には右腕を抱きかかえた。
「う……うぐ……っ」
中年男は感涙する。本当に治るとは微塵も思っていなかったようだ。
「ありがてえ……。聖女様、本当に――」
「お礼は要りません。それより報酬をください」
まあ、当のミカエラはそんな中年男の反応に不満なようだが。
「……は? え? ほ、報酬?」
「謝ってください。「偉大なる聖女ミカエラ様。奇跡を疑ってごめんなさい」、こんな感じでいいですよ」
「あ、ああ……も、もちろんですよ……」
中年男が地面に額を擦り付ける勢いで頭を下げて謝罪を口にすると、ミカエラはご満悦な様子でうなづいた。みみっちいなぁ、と正直な感想を思い浮かべたらミカエラに睨まれた。何でバレたし。
□□□
「そなたがこの町に滞在する聖女に相違無いか?」
「え? はい、そうですけれど」
練り歩きつつ回復と治療を施すミカエラと付き添いの俺は、葬式の時みたいに漆黒のドレスとヴェールに身を包んだ婦人に遭遇した。彼女へ日傘を差す初老の男は彼女の執事か。護衛らしき騎士も斜め後ろに控えている。
「では、私も治療できるな?」
「見たところ怪我もしてませんし健康そうですけれど?」
「今は、な」
婦人は顔を隠したヴェールをほんの少しだけめくり上げた。左右は執事と騎士が固めていたから、彼女の前方にいた俺達だけが見えるように。
顕になった婦人の顔は……酷い痣が出来ていた。聖騎士見習いとして実地訓練を積んだ俺でも思わず衝撃でたじろいだぐらいだ。俺の後ろで彼女の顔を見てしまったらしき町人達の悲鳴が聞こえてくる。隣のミカエラは平然としてるけどな。
「それは病気か何かの後遺症で?」
「そうだ。もうずっと前のことだ」
「その時に治療師は呼ばなかったんですか? 症状が改善した頃でしたら充分に治療出来たと思いますけれど」
「呼んださ。手遅れだと言われたがな」
婦人は憎々しげに舌打ちした。そう言われた頃の過去を思い出して憎悪をつのらせたんだろうか?
「どうにか金を積んで他の聖女に診てもらったこともあったが、これは無理だと言われたわ。はっ、神の奇跡とやらも大したことないらしい」
「じゃあどうして余に声をかけたんですか?」
「……さてな。昨日の騒ぎを耳にして興が乗った、程度か」
「成程。ではその痣を治したい、でいいですか?」
「出来るのか? そなたに」
「もちろんですとも! なんたって余は聖女ですからね!」
別の聖女が治せなかったのにそんな自信は一体どこから湧いて出てくるんだ、と言いたげな男もいた。成り行きを固唾を呑んで見守る女子供もいた。当の婦人本人は諦め半分望み半分、と言ったところか。
自信満々に笑みをこぼしつつミカエラは婦人に歩み寄り、彼女の顔に向けて両手をかざした。
両手? 普段回復やら治療やら奇跡を施すにも片手で事足りたのに?
「キュアカーズ」
「え?」
「ヒーリング」
ミカエラの両手からそれぞれ別の濃度をした白色の光が放たれた。
俺を含めた皆が見守ること少しの間、ミカエラは息を吐いてから婦人のヴェールを少し持ち上げ、素顔を覗き込む。それから満足気に頷くと俺の下へと戻ってきた。
「はい、治りましたよ。後でご自分で鏡を見て確認してくださいね」
「……本当に?」
「え? 疑うんですか? えっと、ニッコロさん。手鏡貸してください」
「ほいよ」
俺はミカエラに自分で身だしなみを確認させるために持ち運んでる手鏡を渡す。ミカエラは蓋を開いて婦人へと突きつけた。婦人は恐る恐る自分のヴェールを持ち上げ、痣が完璧に消えた初老の女性の面容を確かめた。
「あぁ……。私、今はこんな顔をしていたのか……」
危うくその場で崩れ落ちそうになる婦人を護衛の騎士が支える。執事は「ようございましたな」といった感じに呟きながら涙をこぼしている。婦人は何ともなくなった自分の顔を触り、つねり、微笑み、他色々とやって治ったことを実感する。
「別の聖女には治せなかったのに、どうして……?」
「さっきの痣、単なる病気の後遺症じゃなかったからですよ。回復の奇跡で一時的には治せても、大元がそのままだとすぐに再発しちゃうんです。だから回復と呪いの解除を同時に施したわけですね」
「呪い……!? 私が呪われていた……!?」
「呪いの感じから察するに、多分植物系魔物由来でしょう。山菜か野菜か果物かまでは分かりませんけど、死んだ魔物の素材を口にして呪われたのが病気の原因です」
成程、だから同時に奇跡を行使する必要があったわけか。そして別の聖女に治せなかったのは原因を突き止められずに回復や治療の奇跡だけ施した、辺りか。
見事なお手並みに観衆から拍手喝采が起こる。中には聖女を崇めたり祈りを捧げる者まで現れる。ミカエラは手を振って皆に答えた。謙虚とか献身とは程遠い有りようだけれど、それで支持を集めるんだものな、ミカエラは。
婦人は俺に手鏡を返すと、ミカエラへと深々とお辞儀をした。
「ありがとう。おかげで私は救われた。この恩は必ず返そう」
「いえ。こちらこそいい経験になりましたよ。あ、教会に許可取ってませんから、余が勝手にやったってことだけは言いふらしといてください」
「……ええ、そうしましょう」
ミカエラが念押しするのは後で教会の連中が勝手に治療を受けた人々を迫害しないためだ。ミカエラが勝手に救った、ってことにすれば彼女が叱られれば済む話だ。そうなったら俺も始末書作るの手伝わされるから面倒くさいんだけどな。
聞けば婦人はこの一帯を治める領主の妻らしく、二十代前半頃に病魔に侵されたらしい。それから人生の半分近くを痣と共に過ごしたらしく、屋敷から表に出たのも指で数えられる回数だったとか何とか。
「それにしても、失った手足を再生させ、治療と解呪を同時にこなし、聖女様はそんなに若いのに凄い方なのだな」
「いえ、余も修行中なので出来ないことだらけですよ。例えばアレとか無理ですし」
「アレ?」
「はい。人類史を紐解いても行使出来る聖女が希少な奇跡……」
死者蘇生。
それが最終目標、とミカエラは語った。
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