悪魔の剣で天使を喰らう

竜胆マサタカ

一部 魔剣編

一章 魔剣抜刀

第1話 おいでませ、離れ牢


 突如『天獄てんごく』が日本に現れたのは、遡ること十年前の話だ。


 霊峰富士を食い破り、宇宙との境界線カーマン・ラインすら突き抜けた、白亜の巨塔。

 その内部には、空間が捻じ曲がった巨大迷宮と、迷宮を跋扈する怪物たち。


 そして。尽きることを知らない『財宝』があった。


 今では『ダンジョン』とも俗称されている天獄の出現は、それまでの常識をひっくり返すような出来事だった。

 国内どころか、世界中にまで影響を及ぼすほどの一大事件だった。


 およそ三年間に亘る研究、諸外国との間に起こった様々な事案を経て、日本政府は天獄内部のより詳細な調査と資源回収のための組織──『魔剣士協会』を設立した。


 以降七年間、日本は天獄から汲み上げられる恩恵を啜り、栄華の時代を謳歌していた。


 もっとも──天獄が与えた影響は、必ずしもプラスに働くものばかりではなかったが。






 俺こと胡蝶こちょうジンヤの日常は、それなりに平凡かつ、そこそこに退屈なものであった。


 少なくとも、今日この時までは。


「……どーすっかな」


 いつもと同じように学校に通い、バイトを終えた、変わり映えしない帰り道。

 しかし路地裏を歩く中、突然周囲の景色が歪み、気付けば全く別の場所に立っていた。


 黒い石で閉ざされた、薄暗い通路。

 俺の認識が間違っていなければ、ここは、


 ──まさか『離れ牢』に呑まれるとは、まったくツイてない。


 天獄出現以降、その半径五十キロメートル圏内で稀に観測されるようになった現象。


 分かりやすく言えば、ごく小規模かつ一時的な、新しい天獄ダンジョンの発生。

 毎年何人も被害に遭っている、厄介なのひとつ。


 ──スマホは……まあ異空間なワケだし、電波なんざ届いてないわな。


 画面の片隅に表示される、無機質な圏外の二文字。

 小中で何度か受けた、天獄関連の授業で教わった内容通り。


 ──となれば、選択肢は二択か。


 離れ牢は人間を起点に発生する。今回の場合は俺。

 その後は取り込んだ奴が死ぬまでの間、同じ座標に入り口を開いたまま滞留し続ける。

 なので誰かが気付いて警察なり魔剣士協会なりに通報してくれれば、救援が来る筈。

 そいつを待つってのが、まず一択。


 だがしかし、生憎と今は夜半。

 人通りなど皆無に等しい上、街灯もロクに設置されていない路地裏は視認性も最悪。


 迅速な助けを期待するのは、ちょっと無理があるだろう。

 どんなに早くとも半日後か、はたまた一日後か。


 しかも。


「……当然、居るよな」


 石造りの迷宮内に鳴り渡る、いくつもの硬質な足音。

 壁や天井を反響して正確な位置こそ掴めないが、歩を刻む度、確実に近付いている。


 俺が呑まれたのは僅か数分前。どう考えても救助ではない。

 十中八九、使どもだろう。


 ──自力で脱出するしかない、か。


 いつ来るのかさえ分からん助けを待っていては、命がいくつあっても足りやしない。

 そもそも離れ牢に巻き込まれた際の致死率は、確か九割以上だとか。

 現時点で、ほぼアウト。


 だったら、せめて悪あがきくらいはやっておくべきだ。

 誇れるほど大した人生は送っちゃいないが、流石に命は惜しい。

 何もせず殺されるのは勘弁。家族を泣かせる羽目にもなるし。


「さ、て」


 曰く、離れ牢には入り口はあっても出口は無い。

 故に抜け出す方法は、たったひとつ。


 そいつを成し遂げるためには──が要る。


 ──離れ牢は、そこまで広くない、筈。大丈夫、見つけ出せる。


 掌を胸元に添え、何度か深呼吸を繰り返す。

 早鐘を打つ鼓動を宥め、手足の震えを押さえ込む。


 ──よし、落ち着いた。


 幸い、元々夜道を歩いてたから目は暗闇に慣れている。

 両の拳を握り締め、俺は迷宮の奥へと進み始めた。

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