西瓜妻

暇崎ルア

第一夜

 夢を見た。

 柄の長いサベルを使って、庭の土を掘っている。息が荒くなるぐらい、激しく。どこまで掘り続けるつもりなのだろう。深さはもう三十センチを越していそうだが止まらない。

 ようやく掘るのをやめた私は、赤く丸いものを土に埋め始める。それは私にとって忌まわしいものなのだ。早く自分から遠ざけてしまいたくてたまらない。

 それが完全に見えなくなってから、ほっとして夜空を見上げる。しかし、同時に何か大切なものを失ったときの絶望感に襲われ、その場にしゃがみこんだところで夢は終わる。

 私は何を失ったのだろう。


 夏。着るものを着ているのも不快なぐらいの暑さだというのに、布団から出られないでいた。尋常ではない暑さと身体の不調が重なると、いっそ死んでしまいたいとさえ思う。

 昼頃急激に襲ってきた強烈な腹の痛みのために、何とか這って便所にはたどりついたものの、そのまま半刻ほど動くことができなかった。

 やっとのことで医者を呼ぶと、信楽焼の狸を思わせるような太鼓腹をした好々爺が来た。兼重というその医者は来るなり、何を食ったのかねと問う。

「大方腐った刺身でも食べたんだろう。この時期は、しょっちゅうだよ」

 言わなくともわかっていると言いたげなのんびりとした声に、嫌気がさした。

 今朝は何も食べていない。食べられるわけがない。私は昨日、何を食べたんだったか。食べることを考えただけで腹が地獄の炎のように熱く痛むのを堪えながら、思い出してみる。

 昨夜は仕事から帰ってきて、風呂に入り。嗚呼、思い出した。西瓜を食べたのだ。

「ほう、どれぐらい食べたのかね」

 大玉を半分に切ったうちの一つ、だったろうか。

「まさか、氷をかけて食ったなどと言わんだろうね」

 かけました、と正直に白状すると。好々爺はわははは、と笑った。

「そいつだな。西瓜はほとんどが水なんだから冷水の塊の氷をかけて食ったりなんぞしたら、腹ぐらい下すに決まっとるわい」

 医者は、誰だってわかることだともう一つ大笑いした。

「まあ、養生することだな。ところで、あれは奥さんのかね」

 兼重は、私が座っている布団の隣を顎で示した。赤い椿の掛け布団のかかった寝床が一式揃っている。

「そうですが、それが何か」

「いやね、干しておかないで畳が腐らんのかと心配になってなあ」

「雨が降っているわけでもないし、大丈夫でしょう」

「それもそうか。わははは」

 どうもつまらないことを心配する爺さんだ。

 兼重は腹下しに効くという漢方だかを白湯で飲むようにと言って、数包残して帰って行った。

 言われた通り白湯で飲んだはいいものの、痛みは夕方まで収まらず、結局布団の中で一うんうんうなるか、這って行った便所にこもるだけの一日となった。たまの仕事の休みだというのに、とんだ休日だ。

 夜、白湯と薬以外口に入れておらず、空腹を感じながら庭に出る。

 この日は夜ですら暑かった。じんわりとした湿り気を含んだ熱が身体中にまとわりつくようである。

 庭の土の上で黒いものがぶんぶん音を立てていた。見ると、打ち捨てられた西瓜の皮に蠅たちがたかっているのだった。覚えていないが、昨日食べたのを庭に投げ捨てておいたのだろう。我ながら横着なものだ。

 西瓜の上で蠢く羽虫の大群の薄気味悪い光景と、今日一日伏せっている原因となった西瓜のなれの果てを見ているとまた胸が悪くなって来た。今日はもう、そろそろ休むべきなのだろう。

 部屋に戻ると布団が二組残されていた。入口に近いのが私、奥の床の間に近いのが兼重が気にしていた麻美のものだ。

 今日はこの布団に持ち主は入って来ない。この家をしばらく離れるにも関わらず、麻美は片づけていかず、私もそのままにしておいたのだ。

 麻美は几帳面な方だがたまに抜けているときがあって、些細なものが放っておかれることがある。この残された布団はそれを表しているようで、思わず笑ってしまった。

「麻美」

 布団の中で枕に頭を横たえ、隣に呼びかけてみる。いつもならあるはずの膨らみのない布団からは返事はない。あるわけがない。しいんとした部屋に私の声だけが虚ろに響く。なぜ呼んだのか。微かに麻美の残り香が残っているからだろうか。

 明かりを消した暗闇の中でも、麻美の布団の濃い椿色が目の中に鮮明に映ったのを見届けて、いつしか眠りについた。

 明け方、何者かに呼ばれて目が覚めた。

 康夫さん、康夫さん。

 麻美の声に似ていた。起き上がって、部屋を見回したが誰もいない。大方、妻のいない寂しさから夢にまで見たのだろう。

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