10月28日(日)(33日目)

 心身ともに酷使した一日であった。


 この一言でもう本日分の日記ノルマを終えてベッドに飛び込みたい気分であるのは間違いないが、目が冴えてしまい寝れそうにない。インターネットで簡単に寝れる方法などを調べて試してみたが全く効果がない。中には半分無我の境地に達しているだろう的な実践方法もあったりして、煩悩まみれの俺には合わなかった。ゆえに仕方ないと割り切って続ける。


 今日は学祭二日目。待ちに待った奴なんていてたまるかという女装ミスコン開催日。そして、強制ダイエットの開放日。もはや俺にとっては後者の意味合いの方が強くなってしまっている。付随するピアス女とマッチョをくっつけようなんて要望はもはや些事である。


 というかくっつける切っ掛けが女装ミスコンで本当に構わないのかとピアス女に問いたい。将来詳しい馴れ初めを訊かれたら「女装ミスコンで……」なんて答えるつもりなのか。いやまあ「あれは私がメイクしたんだ」「やるなぁおめぇ!」的な流れで盛り上がることを期待しているのだと思うが、やっていることは蛮族が狩った獲物を自慢するやつと変わらない。美的蛮族である。


 そんな疑問を抱えつつももはや俺に選択肢はない。なので定刻通りに、大人しくちゃらんぽらんな学生と専門学校生でごったする更衣室へ向かった。


 そこは不気味でカオスな空間であった。


 化物と呼んでも遜色のない女装野郎もあれば、そこらの女性よりも美しく可憐な女装野郎もいた。中には女装ミスコンというデカイ趣旨から外れないものの、アニメコスプレというより狭いところに狙いを定めた者もいた。


 ただ野郎どもは皆揃って顔色が冴えなかった。


 部屋の空気のせいである。嗅ぎ慣れた汗臭さではなく、多種多様な人工的な芳香剤を密室で振り回したらこうなるであろうという香りであった。メイクする女性陣は慣れたものなのか顔色ひとつ変えていない。男性陣は痩せ我慢して何も言わない。武士は食わねど高楊枝だと誤解しているのか、もしくはピュアボーイゆえにメイクする女性陣に恥ずかしがって何も言えないのか。後者だとしたら女装するくせに何を今更恥ずかしがっているのだろう。


 無論、もはや他人にどう思われようが手遅れな俺は「くっさ!」とわざとらしい大声を出し、ズカズカと窓に近づく。尋ねる気のない「換気すっから!」という言葉とともに窓を開けた。


 肌寒さを感じる秋風が吹き込み、空気を入れ替えていく。


 それと同時にメイク担当である専門学校生の女性陣からは「なんだこのヤバい奴」みたいな視線を送られてしまう。反面、野郎どもからは「こいつが神か」と限界までトイレを我慢した者がする祈りが如き信仰を感じた。もし今ここで「私が神だ」と言えば新興宗教が誕生するだろう。ただ全員女装するという謎の教義が生まれそうである。


 そんなこんなで自らも女性に仮装する。みるみるうちに女へと変わっていく自分に末恐ろしさを感じざるを得ない。女は化粧で化けるというが、変化率だけなら男も負けたものではないだろう。


 こうして目に活力がない生活力限界系美人が生まれることとなった。パンツルックに身体のラインを隠すロングニットカーディガン。その下の綺麗めTシャツ。さらにその下には女性らしさを強調するためシリコンが入っている。そこに黒い長髪のウィッグを被って完成した。


 我ながら恐ろしい出来である。悲しきことに男らしさの欠片もない。本物の女性陣である専門学校生はこれを見て「逸材じゃん」などと口々に俺を褒め称える。悪い気はしない。女装で褒め称えられるのは如何かと思うが。だが決して悪い気はしない。これこそ我が貧弱な成功体験さが為せる技であろう。


 気分を良くしたところで女装ミスコンの時間になる。周囲ではメイク担当と女装した野郎どもが余念のない最終チェックを行っていた。我がパートナーたるピアス女は早々にチェックを切り上げてマッチョとの語らいへと向かった。


 一人取り残された俺は美女や醜女、容姿を書き起こすのが難しいアニメチックな装いの野郎どもを寂しく眺めるしかなかった。


 ミスコンは基本的に袖口から眺めているだけだったので省かせてもらう。


 女装ミスコンの結果は二位であった。真っ当な可愛い系に票が集中し大差の二位。やはり本学に多いピュアボーイどもは守りたくなる系女子が好みとして多いらしい。守られたい系軟弱ボーイはこぞって俺に入れたようである。マイノリティ票が集まったがゆえの二位である。


 記録として順位を記したがこんなものは些事である。


 大事なのはその後に起きた事件である。


 女装ミスコンが終わってすぐに着替えようとしたら、ひょっとこが「せっかくだから後夜祭もそのまま参加しましょうよ」とか言い出した。何故にそんなことをしなけりゃいかんのだと思ったがピアス女のためにと言われては断りにくい。本心ではなさそうなニヤケ面が気にはなったが理屈はわかるため提案に乗ることにした。


 その後に事件は起きた。


 ひょっとこについて行った先で麗しの君を始めとする面々と合流を果たす。面子としては麗しの君、義妹にピアス女、マッチョにひょっとこ。


 合流した俺を迎え入れ、皆口々に褒めているのか貶しているのか微妙なラインの言葉を投げかけてくる。一人を除いて。


 麗しの君は「男には見えなかった」と。


 義妹は「二丁目でも生きていける」と。


 ピアス女は「まあ、よくやった方なんじゃない?」と。


 ひょっとこは「君が二位なんて世も末ですね!」と。コイツは普通に悪口である。……まあ同感だ。


 黙っていたのはマッチョである。デカイ図体の癖にこっちを直視せず、なんだか縮こまって見えた。なにか言いたいことでもあるだろうか、なんてその時の俺は気楽に思っていた。だから冗談風味に笑って「この美人様に文句でもあんのかよ」とマッチョのケツを平手で叩いてやった。


 それがマッチョのやる気スイッチだった。


 ケツを叩かれて起動とかマゾヒズムの素質もあるのかもしれない。


 目覚めてしまったマッチョは突然俺の手を取る。それから此奴は口々に「可憐だ」「美しい」などと俺を褒め称える。嫌な予感がして逃げようとするが、筋肉の絶対量が違い過ぎてその手を振り切れなかった。


 周囲が何事かと視線を集め始めた頃合いで、マッチョは覚悟を決めた目をした。


「惚れた。俺と付き合ってくれ」


 周囲がザワつく。ピアス女は理不尽な怒りを込めた視線を送ってきて、義妹と麗しの君は事態を飲み込めず目が点となっていた。ひょっとこはおかしそうに腹を抱えていた。くたばれ。


 俺は男だ。


 目を覚ませ。


 などと悲鳴に近い言葉で説得するも「真実の愛に目覚めたのだ!」などと言って、まるでこちらの言葉を聞きやしない。本人の中では英雄的かつロマンチシズム溢れる行為なのだろう。マゾの癖に。そういうのは一人でやってくれ。こちとらもうそういう麻疹は卒業したのである。


 その後、正気に戻った義妹が俺とマッチョの間に割って入る。生まれて初めて義妹に感謝した。すぐに撤回することになるが。


 義妹は俺を身を挺して守るように立つと「結婚の約束してる相手に粉掛けるのなし!」などと年端も行かぬ頃の話を持ち出しやがった。マッチョが狼狽える分には構わないが麗しの君に誤解を与えるのはいけない。小さい頃義妹が言い出しただけだと説明する。


 するとこのクサンティッペ、「許嫁だし!」と親が再婚する前に冗談で言ったことを持ち出してきやがった。親ももはや覚えていないことだし、覚えていたところでより良い相手がいると反故にするだろう。つまるところそれに意味はない。


 だがマッチョは許嫁という伝説の関係性に怯む。だがスポーツで己を追い込むことに慣れたマゾヒスト的根性で耐える。


「親に決められた関係より己の想いの方が強いに決まっている!」


 拳を握って豪語する。無論、俺が同意していないことは捨て置かれている。


 義妹とマッチョの言い争いがそれから暫く続いた。


 ひょっとこはカメラを回し始め、ピアス女は今にも泣きそうだ。麗しの君はそんなピアス女を慰めている。俺等を囲むように騒ぎを聞きつけた馬鹿野郎どもが何事だと集まってきた。


 地獄である。


 だがまだ生温い。義妹とマッチョがどっちを選ぶのか迫ってくる。それを燃料に地獄はさらに熱を上げる。ピアス女はたまらず泣いていた。俺も泣きたかった。


 どちらも御免だと大声をあげてやろう。


 そう考えた。だがそれを見越した大馬鹿野郎がいた。ひょっとこである。


 そいつは手に持ったカメラを麗しの君に渡すと、俺の手を取って走り出す。空腹でフラフラな俺はそれに抗えない。


「これは渡しませんよ!」


 悪魔が笑っていた。醜悪な笑みを浮かべていた。修羅場がどこまで燃え上るのか楽しむだけの悪魔だった。背後からは俺を取り戻せと怒声が響く。


 浮いた話がなかった俺にも春が来たともいえる。


 浮足立ち、現実感もなければ、現実とも思いたくない。


 ああ、俺が思い描いていた薔薇色の青春とはこういうものではなかったはずなのに。

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