9月28日(金)(3日目ということにしよう)

 三日目にしてようやく日記らしい日記を書こうではないか。


 夏休みも終わるタイミングで奴が来た。忘れた頃に顔を出した。ひょっとこを多少人間寄りにした造形を引っ提げて「夏休みを取り返しに行こう」などと言って家に押入って来やがった。せっかくの休日に付き合う理由もないゆえ追い返そうとしたがテコでも動かんと座り込みを始めやがった。


「なんなんだ貴様は」


 そう問うたら「我こそは過ぎゆく夏を惜しみ最後の最後までめいいっぱい楽しむ残暑の使者なり」と頭のネジが馬鹿になった答えが返ってきた。


 要は暇だから遊ぼうということらしかった。せめて普通にアポ取りしてくれと思って仕方ない。元気一杯な我が愚息を慰めるぐらいしか予定がなかったゆえ、やぶさかでもなかったのだから。


 観念した風を装って夏の使者に何をしたいのだと改めて問う。ひょっとこ顔の夏の使者は「祭りに行こう」と誘ってきた。地元から遠く離れた地で一人暮らししているゆえ知らない祭りがあっても不思議ではない。ただそんな楽しみ方も知らない他所の土地のちっちゃな祭りに行って何が楽しいのだろうか。


「めんどい」と言って断ろうとしたが大学入学してからほぼ毎日の付き合いであるひょっとこには予定調和であり、これに対する回答も持ち寄っていた。


「里中さんも来ますよ」


 麗しの君のことである。


「仕方ねえな。付き合ってやるよ」


 手のひらグルングルンである。


「僕、君のそういう現金なところ好きですよ」


「表現がいちいち気持ち悪いんだよ」


 こうして俺ら二人は祭りに向かった。電車を数駅乗り越し、日も暮れかけた頃に着いた駅のホームに遠くで鳴る祭囃しが届いてきていた。ちっちゃな祭りだと思っていたが、それなりに大きな祭りらしい。話を聞けば、どこかの境内の一角などではなく、道路を一直線に長く貸し切ってそこで行われるものらしい。


 それから待ち合わせのために駅で待っていると大学で顔を見たことのある一団が視界に入った。その中には麗しの君もいた。


 長い黒髪、大人びた相貌、猫のようにパッチリ開いた瞳。スレンダーな体は白シャツとジーンズといったラフな格好でさえも彼女が着ればたちまちエレガンスになってしまう。


 彼女の姿を見れた。それだけで満足であった。だが今日の俺は一味違う。彼女に話し掛け、お友達に関係性を変化させるのだ。


 それから数時間。


 その決意が実った。ひょっとこの妨害工作を乗り越え、どうにかこうにか麗しの君と二人抜け出し、苦労の末二人きりで話せる空間の確保に成功した。愛を育む宿屋ではなく近場の公園にあるベンチである。一休みがてらに辿り着く大人連中や出店で当てた玩具を持ち寄って遊ぶ子供たちが多くいて、ロマンチシズムなどかけ離れた空間なのは遺憾であるが、ようやく手に入れた機会に贅沢は言えない。


 戦略眼に優れた俺は、ここは次の機会に繋ぐための場だと割り切ることにした。ここで色欲を出して嫌悪されては元も子もない。誠実で頼りになる先輩という立ち位置を確保しようと決めた。


 それは功を奏し、喜色を多分に含んだ笑い声も絶えなくなった。この勢いのまま遊ぶ約束を取り付けることだってできるはず。そう思った矢先ひょっとこのお面をつけたひょっとこが現れやがった。的確なタイミングで邪魔しにやってきた。その後ひょっとこを追って一団も現れた。誰一人として空気を読もうとしない男女揃って非モテ集団である。


 こうして約束を取り付けることができないまま帰路につく。ひょっとこも当然といった顔でついてきた。


 わざとだろう。


 そう問うたら「当然でしょう」とひょっとこお面の下からシタリ顔が現れた。


「夏休みを取り返しに来たんですから」


「俺の一夏の思い出も返してくれないかなぁ」


「貴方だけ良い思いをするなんて仏様が許しても僕は許せません。何処まででもお付き合いさせますし、付き合ってあげますよ」


 こいつは最後の最後まで過ぎ往く夏を楽しんだようだった。

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