9月27日(木)(2日目)
なんだこれは。
酔った勢いで書いた昨日の日記を見て愕然とした。我が魂の濁り具合の悲惨なたるや。日記が己が魂を映す鏡ならば醜い豚としか言いようがない。酔ったせいで自己愛が肥大化したとしか思えない。そうでなければ取り繕うことを否定なぞしないだろう。まさにナルシストが如き思考であった。
これはいけない。
思い立ったが吉日で始めた日記であったが二日目にして軌道修正を求められることになるとは。ならばどういう日記にすべきだろうか。最初に思いついたのはエッセイ漫画のように日々あったことをひたすら誇張して面白おかしく綴るというものだ。これは脳内会議で提案後、まともに議論するまでもなく却下した。毎日面白おかしいことがあるはずがない。数日でネタが切れ、嘘八百になること請け合いである。もはやネタ帳もしくは妄想日記に成り果てるであろう。
であればどうするか。
日記とは己が魂を映す鏡。
ならば思索に耽るものも良いだろう。日々あったことをネタに膨らませるのだ。エッセイ漫画と同じではないかと文句をいう輩もいるだろう。だが違う。エッセイ漫画は噓八百であるが、こちらは事実から着想を得ようとする。もしからしたらなにかの間違いで、林檎が木から落ちたことで万有引力を見つけたニュートンのように何か世界的発見をするやもしれん。もしくは、かの偉大な哲学者ソクラテスと肩を並べる存在になる可能性だってある。
それにソクラテスは悪妻クサンティッペを妻に迎えたことで哲学者として大成したと述べている。俺は悪妻を迎えることなく大成してみせようではないか。さすればソクラテスを超えたのは自明である。
そもそも灰色の大学生活を送っている奴には悪妻どころか恋人すらいないだろうという指摘もあるだろう。ごもっともである。だがそれは恋人を得る算段がないのとは別問題である。恋人が欲しいなどとほざきながら何も行動を起こさない怠惰な人種とは違うのだ。
そう俺には麗しの君がいる。
友人と呼ぶのさえ憚られる程度の仲である。だが世の中にはマッチングアプリなるものがあり、浮ついた男女が出会って即日恋人になることも少なくないと聞く。ならばキッカケさえ作れれば、たちまち灰色が薔薇色に塗り潰されることも可能だろう。
美人で気立ても良い彼女を恋人に出来たのならば、泥水を啜っていた方がマシだと思わんばかりの我が人生にもハリがでるというもの。
良妻となる未来しか見えない彼女を手に入れるというハンデを背負い哲学者として大成する。己が未来はきっと明るいに違いない。まともに女性と話す機会が妹しかなかったあの頃とは違うのだ。
妹という名の悪妻クサンティッペにことあるごとに付き纏われたあの頃とは違うのだ。
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