第22話
ナオの葬式には21人の人間が出席していた。年寄りもいたし若者もいた。男もいたし女もいた。そのほとんどは僕の知らない人たちだった。21人というのが、18歳の青年が亡くなった葬式に集う人数として多いのか少ないのかはわからない。「これくらいが相場だよ」という話は聞いたことがないし、もしあったとしても数値というのは自ずと相対性を産み出してしまうから知りたくもない。比較という概念はナオの世界線上においては無用のモノなのだ。式場にはナオの母親の希望でどう考えても場違いなパンクロック・ミュージックが流されていた。ナオが蒐集していたCDコレクションの、特に気に入っていたアルバムをかけていたようだ。「あの子の好きな曲で送り出してあげたい」とナオの母親は涙ながらに言った。それを見て、何人かが釣られて泣きはじめた。スピーカーから流れる嗄れ声は「ロックは死なない」というようなことを唄っていた。僕は思わず口角があがってしまうくらい真剣に腹が立った。トモの姿は式場になかった。
僕はこの葬式以来、高校2年生の夏から続けていたノートに書き殴る心の翻訳作業をやめた。僕はそれをある種の回復行為として行っていたことは先に述べた通りだ。逆を言えば、そうすることで回復されてしまうほどの痛みにしか、僕はそれまで出くわさなかったのだと気づいてしまった。半分ほど食べたところで落下したホットドッグのソーセージとか、うまくコトが運ばなかったはじめてのセックスとか、諦めのわるい国営放送の集金人とか、その程度のことだ。それらとナオを失った痛みとを同列に扱えるはずもなかったし、ノートに哀しみをぶっつけたところで癒えるとも思わなかった。心に穿たれたのは、傷とか穴とか、そういってしまうには生優しすぎる大きな空洞だったからだ。それにそもそも、その痛みを僕は癒したいと思えなかった。いち早くその痛みから逃れようとすることが健全だとは思わなかったし、何よりその痛みこそが僕とナオを繋ぐ最後のしるしである気がしていた。失ったモノが与えてくれる痛みですら手離したくないと考える僕は、果たして誰に何を与えることができるだろう。何度も言うが、僕は中身のない「すかすか」な男なのだ。
ナオの葬式に出席しなかったトモは、件の事故で無傷だったふたりのうちのひとりだった。だから、彼は治療や入院を理由として来なかったわけではなく、自らの意思で足を運ばなかったのだ。数週間が立ってから聞いた話では、彼はその時フランスにいたらしい。
そしてそれから半年ばかりが過ぎた頃、東京の僕のアパートにトモからの葉書が届いた。消印はパリとなっており、文面はたったの3行だった。
ナオは本当にいい奴だった
こんなに早く死んでいいような奴ではなかった
薄暮の空を探してもあいつは見つからない
まったく、その通りだ。そしてやはり、車に喩えるのならナオはダッシュボードの上のぬいぐるみだったのだ。トモは奔放で、僕は不器用だったけれどナオがいることで僕らはうまくやってこれたのだ。彼が転げてしまわないようにと、無意識に安全運転をしてこれたのだ。しかし彼がこの世から転げ落ちてしまったことで僕らはバラバラになってしまった。
僕はその葉書を2度と読み返すことなく破り棄ててしまった。
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