第20話


「関係者への取材でわかったのですが、バスの運転手は昨夜遅くまで、本日は非番である彼の上司と酒を飲んでいたことが明らかになっています」「その上司の方からは何か、コメントはもらえているんですか?」「いえ、会社に問い合わせてみたところ、調査中、確認中、という言葉しか返ってきてません」「人の命を預かる立場という自覚が果たしてあるのでしょうか」


 2015年の8月初旬、僕はひとり暮らしをするアパートでそのニュースを見ていた。テレビ画面の時刻は17時24分を示していた。空はまだ青かったし、部屋にはエアー・コンディショナーもなかった。僕は全身に汗をかいていた。


 17時20分に母から電話がかかってきた。読んでいた小説を脇に置き、液晶の「通話」アイコンをタップするといつもより上擦った母の声が僕の鼓膜を蹴り飛ばした。どうやら母は冷静さを完全に失っていた。言葉と言葉の繋ぎ方を一時的に失念しているみたいだった。なんとか文章として理解できたのは、「とにかくテレビを点けてニュースを見てみろ」ということだけだった。あとは単語でしか僕の耳に入ってこなかった上に、とても不穏で不吉な単語と、とても親しい単語とが細切れに聴こえてきたから、その「とにかくテレビを点けてニュースを見てみろ」という単純明快な1文さえも理解するのにひどく時間がかかった。たぶん、僕も混乱していたのだろう。


 震える手でテレビを点けると、ちょうど母が伝えようとしていたと思われるニュースが報じられていた。まったくの偶然であるが、そのニュース原稿を読んでいるアナウンサーは、僕が唯一忘れられない「ゆるキャラ暴行事件」を伝えていた男性アナウンサーと同一人物だった。


 それは茨城県・南西部、高速道路上で中型バスが起こした転倒事故に関する報道だった。バスの乗客は16人、その全員が県内の大学に籍を置き、同じサークルに所属していた。バスは全員でお金を出し合い、安い運行会社からチャーターしたモノらしい。サークルのイベントで餃子を食べに栃木県の宇都宮に向かっていたのだ。目撃者から聞いた、事故の瞬間の様子を男性アナウンサーは話しはじめた。「右車線を走るバスは突如ふらつきはじめ、10秒も経たないうちに中央分離帯に車体を寄せ、直後、バランスを崩したバスは転倒したようです。後方を走っていた男性に依りますと、『ふらついているのが見え、こわくて距離を取っていた。中央分離帯に近づいたと思ったらガゴガゴッという大きな音がした。運転手は居眠りをしていて、その音に驚いて慌ててハンドルを切ったんじゃないかな』とのことです。今回の事故で重軽傷者が11名、死亡者が3名となっており、遺族への対応について運行会社の責任者は未だハッキリとしたコメントを発表しておりません」、画面には亡くなった3名の名前が表示されていた。そのなかのふたりは僕の知らない名前だった。しかしもうひとりは僕の友だちの名前だった。いつも微笑みを絶やすことのなかった、パンクロックをこよなく愛する男の名前。僕は全身に汗をかいていた。テロップが消えた後も男性アナウンサーは冷静な声と表情で原稿を読み続けていた。


 彼がどうして泣き出さないのか、僕は不思議でならなかった。

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