1−1

「おはよう!」

 教室の自席で机の上にランドセルを置き、教科書を机の中に移していた結衣は、後ろから声を掛けられて振り返った。

「おはよう」

 結衣も挨拶を返す。二学期始めの席替えで琴音が結衣の後ろに来てから、毎朝繰り返される光景だ。


「結衣、『みんなが欲しがるものしか欲しくない』観た?」

 今シーズン一番人気の配信ドラマのことだ。

「うん、観た。あれってやっぱり佑樹は千尋が好きってことになるのかな?」

「たぶん。玲奈推しのアタシとしては納得いかないけどね。なんであんなオンナを好きになるかなあ」


 琴音もランドセルを肩から降ろして机の上に置き、蓋を開けて教科書を机の中に移し始めた。

「あっ! 今日って算数の宿題あったよね。すっかり忘れてた! 結衣さま、お願い!」

 結衣の鼻先に、琴音が合わせた両手を突き出して頭を下げる。

「ええ、また? 仕方ないなあ」

 結衣は前に向き直って机の中から算数のノートを引っ張り出し、再び後ろを向いて琴音に差し出そうとしたが、すぐに引っ込めた。

「四ツ辻茶屋のあんみつ奢る!」

「チョコパフェがいい」

「なんて贅沢な……分かった。チョコパフェで手を打とう」

 琴音は結衣が差し出したノートをひったくるように受け取ると、一心不乱に結衣のノートから自分のノートに宿題の解答を書き写し始めた。


        * * *


 琴音のことを優等生とはとても呼べない。宿題を忘れてくるのは日常茶飯事、その度に結衣がノートを見せてやっている。いつもスイーツの誘惑に負けてしまうのだ。琴音は、親が裕福で小遣いをふんだんに貰っている境遇を存分に活かしている。でも結衣はそんな琴音のことが嫌いではない。奢ってやるから言うこと聞けという感じは微塵もなく、いつもお願いが先にあって、その対価としてスイーツを持ち出すからだろう。形だけでもこちらが上の立場だと思わせておくところが、琴音の上手いところだと思う。


 そんな琴音を中心に、なんとなく仲良しグループができていた。琴音、結衣、莉緒、柚希、葵の五人だ。琴音と結衣は席が前後。琴音と莉緒は一学期に席が前後だった。琴音と柚希は五年生だった去年から同じクラス。琴音と葵は家が近所。琴音の縁つながりで出来たグループなのは間違いないのだが、琴音がグループの中心だというのはそれだけが理由ではなかった。大体いつも何かをやろうと言い出すのが琴音だからだ。他の四人は琴音のやりだしたことに付き合わされるのが常だった。しかし四人もそれが嫌なわけではない。琴音に引っ張られて、自分では絶対に知ることのできない世界や経験できないことに触れられるのを楽しんでいた。


 五人は学校にいる間も放課後も一緒にいることが多いのだが、それでも時間が足りなかった。流行りのドラマのこと、是非食べてみたいスイーツのこと、いけ好かない女子のこと、気になる男子のこと、話したいことはいくらでもある。小学六年生の女子が五人も集まれば話のタネは尽きない。いや、実際には話の内容など無くてもいいのだ。繋がっていることが確かめられれば。

 それでやっぱり琴音の発案で、SNSのグループアカウントを作った。それからというもの、五人は夜でも休日でもチャットに興じるようになった。


        * * *


「ごちそうさま!」

 結衣が空になった夕食の食器を流しに下げ、そそくさと二階にある自分の部屋に戻ろうとしたら、階段を昇りかけた結衣の背中に母親が言った。

「結衣! お友達と仲良くするのはいいけど、夜中までチャットするのはやめなさいよ」

「はあい」

 母親は仕事で遅くなることが多いので、結衣は一人で出来合いの弁当を食べることが多い。だから今日みたいに母親が早く帰ってきて料理をしてくれて、一緒に食卓を囲めるのは勿論嬉しい。しかし、一人に慣れてしまった結衣には少し煩わしいと思えるのも事実だった。


 結衣は自分の部屋に戻ると、十二歳の誕生日に父にねだって買ってもらったピンクのキッズスマホを学習机の上から掴み取り、ベッドにうつ伏せに寝転がった。肘を立てて上半身を反らせ、スマホを顔の前に掲げて電源を入れる。待ち受け画面に漫画の吹き出しに似たポップアップ。メッセージが届いているという通知だ。


ーーみんなでコレやってみない?


 SNSグループに琴音からのメッセージが入っていた。メッセージにはサイトへのリンクが貼りつけてある。


『モビー・ディック・チャレンジ!』


 結衣がリンク先を開いてみると、黒地の画面いっぱいに白抜き文字でタイトルが表示された。結衣はウィンドウを切り替えて、琴音からのメッセージ画面に戻す。


ーーこのSNSアカウントで登録すれば皆のチャレンジをシェアできるようになるよ。登録したら返信して!


 結衣はまたウィンドウを切り替えてサイトの画面をよく見てみる。タイトルの下に『アカウント登録』のボタンがあり、さらにその下には「モビー・ディック・チャレンジってなに?」と書かれている。文字列に下線が引かれているから、説明文へのリンクだろう。

 結衣は登録ボタンではなく、説明文へのリンクをタップしてみた。


『モビー・ディック・チャレンジは、マスターから出される課題を次々にクリアしていくことを競うゲームだ。世界中のチャレンジャーを相手にスコアを競うこともできるし、仲間内だけで順位をつけることもできる』

『競争はあまり好きじゃないというキミには、順位を付けずにクリアした証拠画像を仲間とシェアしてGOODを送り合うという楽しみ方がオススメだ』

『やり方は簡単。アカウント登録したらサイトにログインしてマスターからの指令を受け取るだけ。クリアした証拠画像・映像をアップロードしてミッション・コンプリートだ』

『さあキミもチャレンジャーの仲間に加わろう!』


 要は王様ゲームみたいなものだろう。結衣は人に命令するのも人から命令されるのも嫌なので、王様ゲームなんて面白いとは思わない。仲間外れにされたくなくて仕方なく付き合うことがあるだけだ。

 琴音はなんでこんなものをやろうと言い出したんだろう? やっぱり人に命令するのが好きなのかな? 確かに五人の中でも琴音が言い出しっぺになって何かすることが多い。でもそれはやりたいことがあるからであって、なんでもいいから人に命令したいというのとは違うだろう。そもそもこのゲームで命令を出すのはマスターであって、琴音が命令を出すわけじゃない。なんとなく琴音らしくない気がする。


 あんまりやりたくないな。皆はどうするんだろう? 違和感を覚えた結衣が逡巡していると、ぴろりんと着信音が鳴った。待受画面に出るのと同じような漫画の吹き出しを模した通知ウィンドウが、サイトの画面の上に被さるように表示されている。五人組のうちの一人、葵からメッセージが来たことを告げる通知だ。

 結衣が吹き出しをタップすると、

ーー登録したよ! 皆も早く登録しよう!

というメッセージ内容が表示された。


 それを皮切りに続けて二通のメッセージ通知が来た。柚希と莉緒からの、

ーー登録したよ! 結衣も早く!

というメッセージだった。まるで結衣が逡巡しているのを見透かしたようだ。


 これで五人のうち結衣を除いた皆が登録したことになる。

 それでも結衣が迷っていると、追い打ちをかけるように琴音からのメッセージが届いた。


ーーあとは結衣だけだよ!


 結衣は大きくため息をついてから『アカウント登録』ボタンをタップした。

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