吸血鬼は今日も今日とて
治療薬
第一話 吸血鬼、復讐する
復讐だ。復讐してやる。
この世に生まれ落ちたとき、俺は吸血鬼と呼ばれる生物だった。容姿は人間に近いが、人間の食事を必要とせず、生き物の血液で栄養を摂り生きながらえる種族である。生まれもった特性を捨てることはできず、動物から血を抜いたり、人間に交渉をして血を譲り受けたり、そんなことをしながら何百年生きてきた。
しかし、ある日突然、おかしな女が現れて俺を殺そうとしてきた。弁明する間もなく俺は消滅した。誰なんだあの女は。憎しみを抱えながら、長い長い時間を眠って過ごした。ここまで回復するのに二百年という時間がかかった。
そうしてようやく眠りから覚めて動けるようになるも、俺をこんな目に合わせた女はとっくに死んでいたというわけだ。
「というわけなんですね、吸血鬼様」
「とういわけだよ! あの女の子孫を突き止めるのに三年、日本語の習得に五年で二百八年経ったわぁ!」
「日本語、お上手です」
「そりゃどぉも!」
目の前にちょんと座る女は、にこりともせずにそう言った。俺を殺した女は、その後何やかんや日本に向かったと聞き、探し回って三年。日本語とかいう訳の分からない言語の習得に五年。計二百八年。寿命が長くなきゃやってらんねえ時間のかけ方だ。
「私は茉莉と申します。あなた様を殺害したマリアの玄孫にあたります」
マリアは日本で死に、代わりに子孫を残した。マリとかいう女は背筋をまっすぐ伸ばして、俺を見つめた。復讐しに来た吸血鬼に対する顔としては、どうもおかしい。怯えも恐怖も一筋も感じられない。気色悪い女だ。さすが、人の話を一切聞かずに俺を殺した女の子孫である。
「玄孫……人間ってのはすぐ死ぬな」
「そうにございます」
「まあ死んだなら仕方ない。代わりにお前は殺す」
「まあまあ」
「なだめんな」
あなた様に宛てたお手紙を預かっておりますので、お持ちします。マリはスッと立ち上がって部屋から消えた。目の前の湯呑みから、まだ湯気の立っている。復讐に来た吸血鬼に対して茶を出すなんてナメたマネしやがって。
それにしても、確かマリアは西洋人だったはずだ。金色の糸のような髪と、青い目だけがかすかに記憶に残っている。どちらもこの日本風の家屋にはきっと似合わないだろう。
「マリアおばあさまからあなた様への、お手紙にございます」
古ぼけた手紙が一通差し出される。
「とりあえず読んでから考えるわ」
「はい」
「……俺復讐に来たんだけど分かってる?」
「はい」
分かってんのかよ。玄孫から手紙をひったくって封を開ける。中には紙切れ一枚。文字は日本語ではなかった。
「何だこれはぁ……」
思わずすっとんきょうな声が出る。二百年ぶりに外に出て、それだけでもうこっちは目が回るっていうのに。
マリアからの手紙は、簡素な内容だった。一点目、人違いで殺した、間違えて悪かった。二点目、この手紙の預かり主が詫びを入れる。以上。
「マリアおばあさまは、地域で悪さをする魔物を祓うエクソシストでした。処女ばかりを狙って惨殺する吸血鬼がおりまして、それと間違えてあなた様を殺したそうです」
「納得できるかぁ!」
「すみません」
「すみませんで済んだら復讐なんてこの世にねぇんだよ……!」
「アレオン様」
「アレ……ああ、オレのことか」
「復讐は、今の世にはございません」
そういえばそんな名前で呼ばれていたこともあったかもしれない。長い年月を生きていると、自分の名前も年齢も何もかもが曖昧になっていく。
「現代社会では魔物も福祉の対象。私にも、あなた様にも、平等に幸福に生きるため、法律が適用されます」
「な、何の話だよ……」
「私を殺した後、どうなさるおつもりですか? 二百年前のようなアウトローな生活をすれば、警察に捕まって罰を受けます」
「ケイサツ?」
さっきからこの女が何を言っているのか、まるで分からない。しかし、二百年前から様相を変えた世界のことには当然気付いている。意味わかんねぇ機械が動いているし、あちこちに人間がいるし、言語も文化も、二百年前とはまるで違う。ただそれはいつの時代も同じことだった。どうせどんな時代であっても、俺たちは人間には受け入れられない。所詮は、化け物だ。人間に追われて、殺される。それはマリアが俺にしたことと同じ。慣れてるさ。
「マリアおばあさまの遺言により、私が責任をもって、あなた様の現代生活のお手伝いをさせていただきます」
凛とした声が響く。吸い込まれそうな瞳に思わずたじろいだ。
「いやっ、何だよそれ怖ぇよ、普通に殺させてくれ」
「だめです。殺人は法律により禁止されています」
「俺だって一回殺されてるんだけど!?」
「人間は一回死んだら終わりなので……」
後ずさる俺に、女が身を乗り出して顔を近づけてくる。現代の女、しかも俺を殺した女の子孫。何を考えているか分からない黒っぽい瞳に見つめられて、体が軋んだ。この女、ただの人間か? 肝が座ってるってレベルじゃない。
「わ、分かった。責任取るってんなら、血を飲ませろ。お前処女だろ」
「迷惑防止条例によりそのような不愉快な言葉も禁止されております。お慎みください」
「訳わかんないことばっか言うな!」
コイツ俺をナメてんな。殺すまではしないでも、血を飲んで犯すくらいはしてやろうか。別に好みではないが、処女だし、景気付けにはいいかもしれない。薄い肩を掴んで畳に押し倒す。マリアはもう死んだ。だから代わりにこの女をめちゃくちゃにして、復讐ということにしよう。手っ取り早いし、悪くない案だ。
もう片方の手で乳房を掴むと、女は眉間にシワを寄せた。
「……変態」
「もういいわ、訳わかんねぇし。お前の血を吸って、処女ももらう」
見覚えのある光だった。息を吸って、瞬時に体を部屋の隅に避ける。マリはむくりと起き上がってこちらを睨んだ。乱れた髪をてぐしで直して、居住いを直している。この女、なんか一瞬光ったような。
「マリアおばあさまができることは、私にもできます」
「……」
「アレオン様、法律というものは弱いものを守るためにあるのではありません。強きものを縛るためにあるのですよ」
「お前今、俺を殺そうとした?」
「はい」
復讐に来たのは俺なのに? 背筋に寒気が走った。もしかしたら、俺はここに来ない方が良かったかもしれない。マリアは死んでいて、代わりの玄孫は変な女で……俺はまた殺されかけていた。
「私の指示に従ってください。さもなくば、もう一度殺します。今度は入念に」
女が人差し指を俺の方に向ける。指先が光っていて、髪の端から燃えていく。あ、これダメだわ。復讐失敗したわ。チリチリと燃えていく体に、二度目の死を悟った。
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