穢手
深山周
第1話 戯れ
目の前の八歳児は熟考している。
自分より二歳年上だ。
黒髪に豪奢な着物を着た贅沢者は眉を顰めて口をへの字にしている。
顔には出さないが、俺は勝ちを確信した。
「…神宮寺、藍具説」
「浄武、藍具説」
俺が答えると聖苑(セイエン)は顔を真っ赤にした。
「ずるい!まだそこは授業でやってないじゃない!」
俺は心底愉快で仕方がなく、聖苑がぷんぷんと振り回す拳も膨らんだ頬も、何もかもが笑えて仕方なかった。
「ずるくない!お前も予習していただろう?」
これで418敗422勝。俺の方が優位だ。俺たちはこの二年間何かにつけて競ってきた。それでも勝ちの快楽は色褪せない。
「最近廻茱(エシュ)ばっかり勝つね、悔しいな」
「必勝法がある」
俺はにやりと笑って見せた。
「相手と思考を同じくすることだ」
聖苑は興味深そうに聞いている。
「相手の感覚を体内に入れ、頭に相手の考え方そのものを取り込む。課題が出たら、その考え方通りに答えるのだ」
「そんなことできるの?」
「現に俺は勝っている。それに、何年お前と一緒にいる?お前も多少俺の考えが分かるはずだ」
頬をつまんでくにくに揺らしてやると聖苑は仕方なさそうに笑った。
次は聖苑が問題を出す番だ。次は工夫してくるはずだ。俺は勝ち星の変わりの碁を眺めて遊んだ。ただの丸い石だ。国宝だそうだが、こんなものになんの価値があるんだか。せいぜい、6,8歳のおもちゃが関の山だ。しかし陽の光を受けて細やかに光るその様は、自分の戦法が無敵だという賛美に見えて小気味良かった。
「廻茱」
俺が優越感に浸りながら顔を上げると、聖苑は珍しく真剣な表情をしていた。
「僕が廻茱以外の奴と、遊ぶと思う?」
「は?なんだ急に」
「いいから答えろよ」
急に始まった、流れにそぐわない問答に「なんだこいつ」と心底変に思いながらも、聖苑が真剣そうなので一応取り合うことにした。
「そりゃそんなこともあるだろ」
当然すぎる回答に反し、彼の一声は冷たかった。
「ないよ」
「は?」
訝しみ、振り返る。
柔らかな瞳で聖苑は俺を見据えて言い切った。
「僕は廻茱以外とは遊ばない」
なんだか、何かがおかしい。それはなんだか、普通っぽくない。
「お前なぁ」
「なぁに」
「お前はさ、俺と違って人間なんだから…いろんな人間の友達作って遊べば?それがさ、ほら、人間の幅?とかになるんじゃないの?」
そう。聖苑は人間だ。それも、この国の皇子だ。だが俺は人間ではなかった。穢(ケガレ)と呼ばれる人智を超えた化け物。若干六歳でも人ならざる怪力で何人も敵を屠れるし、当然に知能の発達も早い。俺が神童の聖苑と匹敵する頭脳を持てたのは、単純に生き物レベルで違いがあったからだ。
「僕らの頭脳に匹敵する子供なんていないよ。誰も彼も、相手にならない。こっちがお世話するばかりだもの。でもお前は違う」
そうかもしれない。聖苑は今世紀最大の神童と謳われている。確かに普通の大人に分かることは聖苑にはもう分かってしまうくらいだ。俺は人でない穢で、そもそも生命として人間とは違うので若干六歳でも聖苑と同じくらいの頭脳がある。聖苑の言うことは分かる。頭脳だけで言えば、聖苑に釣り合うのは人外の俺だけだ。
だが、友達とは頭脳で決めるものだろうか?俺には友達が聖苑しかいないから分からなかった。悩む俺を置いて、聖苑は続ける。
「唯一、僕と一緒に遊べる。対等に遊べるんだ!僕にはお前だけなんだよ、廻茱」
「…………」
「これまでも、これからも、僕の相手はお前だけだ、廻茱」
どうしてか、心が寒々しかった。俺だけに決める必要などどこにもない。聖苑は、誰でも何人でも選べるのに。なぜわざと選択肢を狭めるのか。
そのとき、コンコン、と控えめに扉が叩かれた。
「殿下、時間でございます」
「ご苦労。下がりなさい」
聖苑は下男を下がらせ、俺に向き直る。
「僕、授業行かなきゃ」
「そんな時間か」
俺が外履きを履くのを聖苑は見守っている。準備が整うと、聖苑は朗らかな笑顔でこう言った。
「またね、廻茱!」
俺も笑顔を作って朗らかに返す。
「ああ、またな」
踵を返し、二人は別の場所へ行く。
聖苑は宮の本殿へ。
俺は、穢児舎(エジシャ)へ。
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