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10月、朝の風は寒く感じる。
彼がいつもの公園につくと、そこには既に由夏がいた。
由夏は彼の存在に気が付き、彼に大きく手を振る。
「おはよう。」
天真爛漫な彼女と共に学校に通えて、彼は毎朝が楽しい時間のように感じていた。
最近、近野と会木とも仲が良く、由夏と近野、会木、そして彼の4人で行動することも多くなった。
学校につくと、仲間がいる。それだけで、彼は幸せだと感じた。こんな幸せな時間がずっと続けばいいのに。彼はそう思っていた。
「おはよう。青山くん。」
「おはよう近野。」
学校につくと、近野が彼にいち早く挨拶をした。最近は、学校の中だと近野と接する機会が特に多い気がした。
「由夏、今日の数学の授業全っくわからなかった。」
「教えてほしいってこと?」
「お願い。」
「しょうがないなー。」
こんな感じで、勉強も仲間に教わって伸び悩んでいた成績も改善傾向であった。
それなのに、彼は夜、パソコンで自身が女性になった理由を調べていた。
「遺伝子応用工学研究財団?」
彼は、以前養護教諭に紹介された失踪事件に関するブログに気になる記述を見つけた。この財団は、政府や有名製薬会社からの出資を受けて表立って活躍している。しかし、裏では国際的な協定や法を犯していると噂されている財団である。
彼は、にわかには信じがたいその噂を最初は疑っていた。
ただ、その財団の詳細が気になったので調べてみる。
「これって・・・」
財団の研究所は、全国に3箇所程ある。一つはK府に、もう一つは都内に、最後はあの少女が保護された付近のF県の山間部にあった。
人の世には、建前と本音がある。財団の理念は「高度な技術で人、社会と環境を育む。」であるが、それは建前だ。本音は高度な技術で不正に利益を得ようとしているのであろう。それも、複雑な経済界と政界の合間で。
翌朝、彼は眠い目をこすりながら由夏と学校へゆく。
「最近、遅くまで起きてる?」
「ん?ああ。でも、大丈夫だよ。」
「そう。もし、何か悩んでるんじゃないの?」
「性別変わってあーだとか。」
由夏は突然聞き出す。彼はギクリとした。
女子になって、学生生活の一瞬一瞬に彩りがついたと思っている。男の時は、学校は空虚で灰色な時間を過ごすものだと思っていた。それを考えれば今はまさに充実していると思う。
しかし、本心では変わってしまった生活に不安がある。全てが変わってしまった環境は楽しいが、以前の静かな生活も名残惜しいのだ。それでも、彼は過去を捨てて明るい未来へ進もうとする。その結果が由夏や他の仲間に囲まれた今なのである。彼は、女性になることを受け入れつつある。その上で、最後の砦として、自分が女性になった理由を知らないと、心が女性の身体を完全に受け入れてくれない。だから、理由を知らなければいけないのである。
「まあ、ほんの小さな悩みだよ。」
「直に忘れるさ。」
いつも通り、彼は授業を受ける。彼は放課後、由夏と別れて保健室へ向かう。
「先生。気になるの見つけました。」
彼は昨日、プリンターで印刷したブログページのコピーを渡す。
「この遺伝子応用工学研究財団ってのが関わっているかもって、ネットで見つけました。」
養護教諭は、そのブログの内容をまじまじと見つめる。陰謀論の極相のような内容にも関わらず、養護教諭は真面目に文章を読んでいた。
「なるほど。確かに、この財団は多額の出資を受けているし、内部の機密性も高いので秘密裏に法外な実験を行っててもおかしくはない、ですね。」
「じゃあ、この財団があの失踪した少年や俺に関わってると言うことですか?」
「そう考えるのが近道だと思いますが、それだと本質的にあなたが女性になった理由になってないのですよ。」
「たしかに・・・」
「でも、これ以上深掘りするのも厳しいんじゃ、」
「ここは一回、その失踪して女性になった少年に会ってみるのはどうでしょうか。」
1999年に失踪した少年は現在40代半ば、働き盛りの立派な年齢で少年とは言い難い。彼と養護教諭は、当時の事件を取り扱った編集者や関係者に問い合わせることにした。
彼らは、その女性になった方の捜索は難航すると思っていた。しかし、予想に反して直ぐに身元を特定することはできた。
彼はとある出版社の所属作家のプロフィールを見ている。彼が探している人は当に画面に映っている人物である。顔も出しており、連絡先のメールアドレスも書いてある。
彼は予想に反して表出て積極的に活動している姿に違和感を感じつつも、書いてあるメール宛に事情と本人に会う機会が欲しい旨を送る。
返信は1日足らずで帰ってきた。次の週末に、O駅のカフェで会おうとの事だった。
彼はカジュアルなブラウンのワンピースに身を包む。退院後、私服が無いので由夏に買って貰ったものである。彼は元々インドア派な故に、この服で外を出歩いた回数はそれほど多くない。
家を出るとき、彼は少し立ち止まった。緊張しているのだ。自身が女性になった真相に大きく近づくことができる。そんな重要な機会を安易な気持ちで挑めるわけ無いだろう。
最寄り駅につくと彼の緊張は一旦和らいだ。そして、今から謁見する人物にどのようなことを聞こうか、失礼のない発言ができるだろうか、そんな事を考えていた。
彼は約束のカフェの目の前につく。オフィスビルの狭間の街路樹のある通りにカフェは位置する。彼は慣れない舞台とかの女性に対面する事に再び緊張を感じていた。
ガラリと入り口のドアを開ける。彼はあたりを見渡す。近所にはないようなガラスとチーク材をふんだんに使ったおしゃれなカフェである。その店の奥にウェブページで見たことのある顔がある。
「こんにちは」
「こんにちは、青山さんですか?」
彼は緊張しながらも返事をする。相手も緊張している様子に気がついたのか、彼の心を解そうと敷居の低い言葉を多用する。
「こうやって、お話を聞いてくれるのはありがたいなー。それに、同じ境遇の人間と会えたのもスゴく嬉しい。」
「そう言って頂ければありがたいです。」
彼は今までの事のあらましを全て話した。入院中のこと。身体が変化していく過程。そして、女性に変化して以降の経過。綾瀬はそれをラップトップに打ちながら興味津々に聞いていた。途中、店員が飲み物を持ってきてくれた。
「なるほどね。病院の先生は何も分からなかったの?」
「はい。」
彼は抹茶ラテを飲む。
「そういえば、綾瀬さんは何で女性になられたのですか?」
「そうね。遺伝子応用工学研究財団って知ってる?」
「はい。ネットでそこに関して色んな書き込みもされてますよね。」
「もう昔のことだからあまり覚えてないけど、私はその財団に誘拐されたの。」
「それで、研究所の動物の檻みたいな場所でご飯と一緒にある薬を飲まされて、一ヶ月くらいで女性になったの。」
彼は飄飄と話す綾瀬の姿に驚く。てっきり、頑なに話してくれないと予想していたので、意外である。
「よく研究所から抜け出せましたね。」
「まあね。でも、あの研究所は外部のセキュリティは厳しいのに内部のセキュリティはザルだったから案外簡単だったわ。」
「とはいえ、今でも財団の監視は受けているんだけどね。」
「そうなんですか?」
「それって大丈夫何ですか?」
「多分、長い間こうして監視されてるだけだから何もしてこないと思うわ。」
「ところで、財団が綾瀬さんの様に人をさらって性別を変える理由ってなんですか?」
「難しい質問ね。多分、性別を変化させる薬剤を開発したくて、実験体として適正なものを世の中の人からさらっているんだろうけど、詳しい事は私でも分からないわ。」
「でもね、財団が性別を変化させる薬を作ってるのは、財団が政界と経済界の重鎮から出資を受けていてその人達の利権の取札として、薬が開発されてると思うの。」
彼は高校生のうちから触れてはいけない世の闇に触れてしまったと思った。
「それで、特に聞きたい事って何かな?」
「俺、自分が女子になった理由を知りたいんです。」
綾瀬は間を置いて返事をする。
「さっきの話でもあったけど、何か心当たりとかないの?」
「いえ、特に・・・」
「何か変な薬を飲まされたとか、注射を打たれたとかそういうのもないの?」
「はい」
綾瀬は不思議がっていた。
「財団が開発した経口薬を飲まされたら、精神的な部分以外は女性にされてしまうの。染色体から何もかも。」
「でも、飲まされていないのなら不思議ね。」
「薬を飲まされていた場合、俺が女性になったのはその財団が関係するということですよね?」
「いや、そうとも限らないわ。」
「というのもね、その薬剤はある研究所の事故をきっかけに漏洩した研究データがダークウェブに公開されていて、資金と技術のある違法な団体が製造しているの。だから、財団がやったとは言い切れないの。」
「そうですか。」
綾瀬は自身の左腕の腕時計を見る。
「おっと、もうこんな時間。」
「私も忙しいからいかないといけないわ。」
「頑張って青山君の女の子になった理由を探してみるから、青山君も何かあればここに教えて。」
綾瀬はラップトップをカバンにしまい、彼に電話番号の書かれたメモを差し出す。
綾瀬は料金を払ったあと、忙しそうに店を出た。彼は綾瀬にもっと聞きたい事があったらしく何処か味気なさそうな顔をしていた。
北方からの寒気が強くなり、朝は寒くも感じる。
彼は由夏と学校へ向かう。
「そういえば、悠太は昨日、何処行ってたの?」
彼は由夏が何故その質問をするのか不思議に感じた。昨日、綾瀬に会いに行ったことは話していないからである。
彼は真実を話そうとしたが、ふと昨日の綾瀬の発言を思い出す。同人曰くは、現状を把握できてない今、対談したこと事態を秘密にするようにとの事であった。
彼は慌てて嘘を付く。
「好きなミュージシャンのライブに行ってたんだよ。」
しかし、由夏の目はそう簡単に欺くことはできない。
「本当?悠太ってそういうの今まで行ったことないよね。」
彼は由夏の的を射る発言に戸惑う。
「いやー、たまにはそういうのにも行こうと思ってね。」
理由としては少し不自然な回答だ。彼女も何かそこから察した様子である。
「ふーん。そうなんだー。」
昼休み、彼は養護教諭に昨日の成果を報告する。
綾瀬が意外にも失踪期間について話してくれたこと、財団が開発した薬品のこと、彼の女性に変化した理由は未だはっきりわからないこと、全てを詳細に話した。
養護教諭は、真剣な眼差しで彼の話を聞いていた。
「つまり、ある薬が原因だろうけど、無理に飲まされた記憶はないと。」
「では、薬を何かに紛れ込ませて摂取させた可能性がありますね。」
「俺もそう考えたんですけど、その薬の濃い苦みと独特の風味を消すのは大変そうで、料理や飲料に紛れ込ませるのは至難なことだそうです。」
「うーん。これは困りましたね。」
「結局何か分からずって感じですよね。」
「青山君は本当に薬を飲まされた経験はないの?」
「例えば、他人から出された飲食物に何か違和感を感じたとか。」
「なかったと思います。」
彼は保健室を後にする。彼はその後も綾瀬と繰り返し会いに行くが、誰がなぜ自分を女性にさせたのか、その謎は解けぬまま時間だけが過ぎていった。しかし、一向に謎が解けない事とは裏腹に、彼の心は終わりの見えない謎解きに心が飲み込まれていた。
「今日元気ないよね?」
放課後の帰り道、由夏が突然彼に話す。
彼は悟られまいと自然なふりをする。
「そうかな?別にいつも通りだよ。」
「そんなの嘘。」
「え?」
「最近の悠太はおかしいよ。」
「どこか浮かない顔して、適当に相槌を打って、かと思えば休みの日にはどこか行って。」
彼は良い返事が思い浮かばず、沈黙してしまった。
「もう、何か言ってよ。悩んでることバレバレだよ。」
「心配しないでいいよ。そこまで大したことじゃないから。」
「前もそう言ってたけど絶対嘘じゃん。」
「そうだ。帰る前に私の家に上がってってよ。今は家に誰もいないし、家の中なら口開いてくれるでしょ?」
彼は何となく由夏の招待を受け取ってしまった。いや、受け取らないことはできなかったのであろう。
由夏の言う通り、葉田宅には誰もいなかった。薄暗くて静寂な室内に由夏が電気を灯す。由夏は部屋の中央にあるローテーブルのの傍に座り、彼を卓の向かいに座らせる。
「そんなに浮かない顔しないで、いつものかわいい顔してるのに。」
由夏の言葉に彼はそっけない返事をするだけであった。そんな姿の彼に由夏はしびれを切らした様子である。
由夏は前のめりになり、彼の片方の肩に手を置く。
「それで、なに悩んでるの?」
「そ、それは・・・」
もし、これが由夏以外の仲のいい人ならとっくに打ち明けているかもしれない。しかし、目の前にいる人物は由夏である。由夏は彼が女子になって以降、唯一の親友として彼を支えてきた。そして、彼をさも出会った時から彼が女子であったように、彼が女子に変化したことを楽しんでいるようであった。彼も由夏との新たな日常を楽しんでおり、この日常が変化しないことを切に願っている。だから、彼自身が女子になった出来事というシビアな内容に触れることで、由夏に自分の気を遣わせて、結果的に日常が壊れてしまう可能性を恐れているのである。
由夏は彼の肩から手を離し、一呼吸置く。
「悠太、女子になって悩んでることがあるんだよね。」
「今まで私の好き勝手やってるのについてきてたけど、ほんとは嫌なんだよね。」
彼は由夏の口から出た言葉で目が覚める。絶対、そんなことないと。
無意識に違うよと声が出る。
「もういいよ。わかってるんだって、何もかも。」
「悠太が犯人捜しをしてることも知ってる。」
彼は由夏がその事を既に知っていることに背筋が凍った。このままでは誤解が膨らんで取り返しがつかなくなる。今まで通りが出来なくなってしまうかもしれない。彼はそう考えて、露骨に焦りながら由夏の言葉を否定する。ここで落ち着いて弁明すれば事は解消できたかもしれないのに、彼はそれができなかった。
「犯人探しもしてないし、女子になって満足だよ。」
半分嘘で本当のことを言った。
すると突然、由夏は不敵な笑みを浮かべる。
「ねえ、建前はなしにしようよ。私も本当のこと言うから。」
「本当のこと?」
彼はその言葉の意味について知る由もなかった。
「まず、誰が悠太を女子にさせたんだと思う?」
「・・・怪しい研究者?」
「研究者って、遺伝子応用工学研究財団の?」
「不正解。ちなみに、綾瀬がたてた財団の陰謀説はウソ。」
「たしかに、過去に性転換薬の研究はしてたけど、今の財団はそういう国際法で禁止されてそうな研究はしてないよ。」
彼は由夏から一方的に発せられる情報に戸惑うばかりであった。なぜ由夏が綾瀬の名前を知っているのか、なぜ財団の詳細を語れるのか、彼は不意に彼女が不気味な存在に見えた。
「答えは私だよ。」
「え?」
彼は最初は聞き間違いかと聞き返してしまった。しかし、由夏に何回聞いても答えは同じように帰ってきた。彼女が彼を女性にさせたというのだ。彼はそれを理解した瞬間、脳内が真っ白になった。
「夏休みの始めに、悠太が始めて私の家に来た時の事、覚えてる?」
七月中旬、彼は葉田宅にお邪魔した。葉田宅には初めての訪問で、屋外の真夏の暑さと呼応しあうセミの鳴き声とは対照的に、涼しくて静寂な室内が印象的であった。由夏が彼を家に招待したわけだが、彼は慣れない女子の部屋に困惑していた。一時間程一緒に課題を解き、環境に慣れ始めた頃、由夏に出された麦茶を飲んだ。
最初はのど越しの良い麦茶と思っていた。しかし、すぐに強い苦みと妙な舌触りを感じた。由夏は最初の一口以降、コップを持たない彼に対して質問をした。彼は由夏に麦茶の異変を教えると、由夏は手作りの麦茶で、残渣がピッチャーに入ったのかもしれないと言った。彼はそれを聞き、麦茶の交換を拒否してそれをすべて飲んだ。
彼は相槌を打つ。
「その時に飲んだ麦茶、私が性転換薬を入れたの。」
つまり、由夏の話によると性転換薬を含んだ麦茶を彼が飲んだことによって、彼は女性になってしまったということである。ただ、20年以上前に秘密裏に研究されていた性転換薬をただの少女が本当に持っているのだろうか。
「どうやって、薬は手に入れたんだ?」
「たまたま、財団の内部サイトのゲートウェイを見つけて、一か八かでSQLインジェクションしてみたら、なんにも対策されてなくてデータの呼び出しが出来ちゃったんだよ。」
「だから、遠慮なくユーザーデータを使わせて財団の内部データにアクセスしてたの。」
「それで、隠されてるデータもあったけど、この性転換薬のデータは閲覧可能で、最終的に山の中に埋めたって書かれてた。」
「試しに、データの通りの場所の土を掘ってみたら出てきたんだよ、この薬が。」
由夏はポケットからジップロックに入った薬を見せる。彼は由夏の発言が理解できないし、信じられなかった。だがともかく、彼を女性にさせた性転換薬の実物を由夏が持っている。これは揺らぎない事実で、由夏が自身を女性に変化させた諜報人だということを証明していた。
「そんな。」
彼は葉田宅を勢いよく飛び出した。衝撃の事実に目を背けたかったのである。彼は泣きながら自宅を目指した。様々な感情がせめぎあい、彼自身どうすればいいのかわからなかった。
彼は自宅に着き、心を落ち着かせる。
「どういうことなんだ?」
彼は由夏の発言を回想する。由夏は綾瀬との会話の内容も、財団の事も、性転換薬の詳細も知っていた。そして、彼女が自身を女性に変化させた張本人であった。
彼はこれを一人で抱え込むことはできなかった。
彼は綾瀬へ電話する。そして、先ほどまでの出来事をすべて話した。
「伝えてくれてありがとう。」
「友達がそうだったなんて、ショックよね。」
綾瀬は彼に慰めの言葉をかけ続けた。彼は受話器を掴みながらただ涙を流すだけだった。
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